「山の日」に思う

長い梅雨が明けたと思ったら、強烈に暑い日々が続く。
夏だ。そしてお盆がやってくる。
あまり孝行息子でない私は帰省するでもなく、例年山登りにいそしんでいた。

お盆まではどの山も混雑する。山小屋は定数以上の宿泊客で込み合う。
「避難」という性質を持ち合わせるために、基本的に山小屋は宿泊する人を拒めない。だから一つの寝具に2名、3名泊めるのもありだ。
混雑する時には、夫婦でも、男性女性と振り分けられて別々な床で寝る。
隣客を選べない。寝返り打つのも気を使うが、イビキをかく客が隣だと最悪になる。

それを避けるために、私はお盆過ぎ1週間目あたりに行く場合が多かった。
断然空いている。
日程に合わせて、列車時間を調べ、駅から登山口までのバス時刻を調べ、およその登山工程時間を計算し、そのほとんどが縦走だったために、帰りのバスや駅も調べた。何日もかけて駅や地元情報を集めた。
そしてそのほとんどが私の一人登山だった。
テントなどを持参するわけでなく、カメラと数日分の着替えと食料をリュックに詰め込み、山小屋に数泊する、割と簡易な登山だった。

それでも尾根伝いを歩くときに、滑落しそうになった時がたびたびあった。

突然の雨に会い進退窮まったことがあった。ただひたすら岩陰に潜み雨の過ぎ去るのを待った。ヤッケの隙間から冷たい露が入り込む。
(これ、30分以上続くとやばいな!)
低体温になり自分の唇が紫色に変化しているのを感じる。

濃霧に包まれ1m先も見えず、恐る恐る歩を踏み出した瞬間、風で霧がサーっと晴れると、目の前に切り立った崖が現れ、ドキッとしたこともあった。

一人登山だったために、もし滑落などの事故があった場合、助けてくれる人もいないし、たぶん数日、数か月見つからない場合だってあっただろう。

無責任だが、自分の運試しみたいな気持ちで山登りに臨んでいた。自身で商売していて苦しくて仕方ない時に、一つの運試しに山登りを選んでいた。
(俺に運がなければ、このまま逝っちゃうだろうし、運が残っていれば、下山後の運だって俺に回ってくる。)
何の根拠もない運試しに登山を使っていた。
もし遭難などしたら、迷惑千万な奴だ、私は。

運試しだったが、でも山は楽しかった。苦しいこと(主に商売のことだったが)をすべて忘れられた。体の中のエネルギーがすべて入れ替わり、新しいパワーが入ってきた。

前立腺の手術後それができなくなった。尿障害が残り、登山最中の処理を考えると、面倒であり鬱陶しかった。
山が遠くなった。山に行かなくなって今年が4年目になる。

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