コロナ禍と蔓延防止処置期間(マンボー)で客足は激減している。
手の打ちようがない・・・・というのが本音だ。
3月6日にマンボーがあけるが、7日から客足が戻ってくるとは、とてもじゃないが想像できない。

迷った。ホントに迷った。
お店を閉めようかどうか。
余力が少しでもある内に止めたほうが・・・。
昨年12月20日に、2月20日で辞めますと調理長から言われた。
私は基本的に「去りたい」という者を引き留めたことはない。
「別離」はどういう形であり、どういう時期であり必ず訪れると考えているから。

2月20日は日曜日で歓ファンの定休日だ。だから調理長が勤務するのは、実質的に19日土曜日まで。
調理師は募集していて数名の面接を経ている。が、まだ決まってない。

月曜日から私が厨房に入る。
厨房に入るのは、はてさていつ以来だろう。
忙しい時に時々助っ人として入ることはある。あった。
しかし調理補助という立場だった。
今度は違う。重みが違う。
自分でも多少の不安がある。

しかし蔓延防止処置期間であり、コロナ禍が収まっているわけでもない。
何より客足が戻ってきてない。
この情況下でコストのかかる調理人不在は、むしろ奇貨とすべきか。
新しい調理長が決まるまで、売上の悲惨な現状で店舗が正常に稼働できるまで、何としても乗り切るために。

ということで、30年ぶりくらいに鍋を振る。
当時より握力も無くなっている。
68歳という高齢者として体力の衰えもある。
が、ここは何としても踏ん張るべし!

体力や技術に対しての不安とは別の不安がある。
いろいろな状況が重なっているとは言え、私の周りから人が離れている。
私のなかでは、この不安の方が大きい。
一昨年の2021年に後楽園店を閉鎖してから好む好まざるにかかわらず人を減らした。結果的に人が離れた。

私の長所の一つは「人集め」だと自負している。
密かに自負しているのが「人脈」なのだ。
その私から人が離れている。

調理長が辞意を表明してから悶々とする日が続く。
ストレスは血糖値も危険水域まで引き上げた。
ふた月も悩んだだろうか。弱気になっただろうか。
状況はまったく変わらないが、ただ、気持ちは落ち着いた。

調理提供時間が遅くなったり、味が変わったりとお客様にご迷惑を掛けるかも知れない。贔屓にしてくれるお客様が離れるかも知れない。
そういった一切合切を含めて、
(なるようにしかならん!)

そう思った。