2022年 12月 の投稿一覧

スマホ、どこだっけ?

ネットニュースを見ていた。
限界ニュータウンという記事。千葉県や東京郊外でも限界ニュータウンという分譲のままで売れ残っていると画像付きで組んである。

私は男だけの三人兄弟で生まれ育った。
その兄弟も長男の私を筆頭に69、67、65歳と高齢化してきた。
兄弟は割と仲が良い。それぞれが近くに住んでいないというのも理由の一つだろうが、嫁同士も折り合いは悪くない(と思う。)
仲が良い一番の理由は、全員が貧乏だからだ。
争いの元になる財産らしきものが兄弟揃ってないのだ。
その最たるものは、兄弟全員が誰一人家を持たない。

若い時には家を欲したこともあったが、調理職人という職業柄、一つの地域に留まることは少なかった。現に私は、職場は東京新宿で、家族は茨城県石岡市にという単身赴任生活を18年間過ごした。
一つ所に定着するという気持ちが希薄だったのだ。
でも、妻は違ったろう、と私と出会いいっしょになった妻のことを少し不憫に思う。

で、くだんの記事。お店のなかで読んでいた。
どのくらいで買えると、お金もないのに胸算用。
この歳じゃ、銀行だってお金貸してくれることもないだろうし・・・。


「おはようございます。」
肉屋が来た。魚介専門の業者も来た。
(お、もうそんな時間か・・・)
時間を確認すべく、スマホを探した。
ない。ない。・・・・ない。
(えっ、どこに置いたっけ?)
掃除をした店内、レジ周り、と探した。

(あ、手に持っていた・・・)
スマホを片手に、そのスマホを探している自分がそこにいた。

家を持てなかった理由が少し分かった。









道路、駅前、公園での「歩きスマホ」禁止という条例

ここまで規則を設けなければならないのか・・・
子供じゃあるまいし、自己責任でやれないのかと思う。
「歩きスマホ」
要は歩きながらスマホをいじるな、ということ。
これを法律にするという感覚がわからない。

歩きスマホをしながら、例えば交通事故に遭ったとしても自業自得で処理できないのか。
日本人が劣化していく・・・・。
そんな気持ちでいっぱいなんですが、私は。

そしてたぶん、こんな法律ができたら、歩きスマホしている人を、マスクしてない人のように、
「入店できません。」
「歩道は歩かないでください。」
なんて言い出す人が出てくるのでは、と訝りたくなる。

日本人に生まれたことが誇りなのだが、もう少し若ければ、こんな日本から出て行きたいと私は思うだろう。
こんな環境で生きることは、自分が馬鹿になることと同義だから。
歩きスマホで事故に遭った人、 場合によっては大きなハンデを負うかも知れませんが「自業自得」という事で処理してください。
スマホ歩きでケガをした・・・恥ずかしくて人に言えない・・・。








だれか、日本を助けて













小さな診療報酬で大きな診療

あんなに足繁く通っていたゴールデン街。
なんだか近くて遠い町になってきた。

ちょっと食べるだけでお腹いっぱいになる。
ちょっと飲むだけで眠くなる。
良いか悪いかは別にして、私の身体がそんなサイクルに入ってきたようなのだ。

師走になって少し忙しくなってきたのだが、予約のない日はフリーのお客様を期待できない立地なだけに、メチャクチャ閑な日がある。師走、忘年会のシーズンでも閑な日が出現してしまうのだ。
商店会長でもある私は、そんな時に会員のお店をまわる。たいした金額を使うわけではないのだが、顔を見せることによって商店会の会員だということを思い出させる様にしている。
が、それにしても一回にまわるお店は最大2軒が限度だ。

自分のお店にいて、気の合うお客様と連れ立っていく時もある。
相応の立場の方だったらゴチになったり、割り勘だったりするが、ほとんど私が負担する。
そうやっての梯子酒は、私は嫌いじゃない。
自分の好きなお店に連れて行って、そのお店の自慢をさりげなくする。
連れて行く方のほとんどがお店を気に入ってくれる。

たくさん食べられなくなり、アルコールの量もほどほどになってきた時に、当然の様に行くお店の数も限度が出てくる。
そして年齢的な体力問題もある。
「さあ、もう一軒!」という体力が戻ってこない。

かくしてゴールデン街は近くて遠い町になりかけてきている。
そのゴールデン街に、ほぼ半年ぶりに出かけた。
私が通っていたお店は少なくとも5軒はあった。
1軒は看板の灯が消えている。
1軒は看板すらなくなっていた。
(ありゃありゃ・・・?)
1番街から五番街まであるゴールデン街。
通りを一本間違えたか、と思いき、歩き返すが、やっぱりない。ない。

また一軒、別なお店に行く。
そこで看板の、消えているお店、なくなっているお店の情報を仕入れる。
なくなっているお店は、母の介護で茨城に行ったと。
消えているお店のママは心不全で急逝と聞く。50代半ばの若さで。

いつもの笑顔で迎えてくれるお店が二つも消滅。
脱力感が半端ない。
両方のお店のママたちは、それぞれのお客様を30名ほど集めて歓で忘年会を催してくれた。そんなよしみもあったが、もう戻ってこない思い出に変わった。

コロナ禍は、マスクやソーシャルディスタンス以外にも実にいろいろな遮断を突きつけてくれる。
もうそろそろ終わりにしてくれ、そう切実に思う。
PCR検査やワクチンなどで潤うお医者さん、本来の仕事である、人の健康を診てくださいな。診療報酬が少なくても・・・。

コロナを収束させるために、貴方たちの力は大きい。
笑顔を含めて喜怒哀楽を隠すマスクはもう終わりにしましょうよ。
でないと、知らない間に人が消滅しちゃいますよ。




















公園の使い道

長野市の青木島遊園地が周辺住民の苦情のために廃止。というニュースが流れる。
私が会長を務める商店会も人ごとではない。毎年3月に行うスタンプラリー抽選会の会場に医大通りに隣接する「富久さくら公園」を使う。
ここにもまさしく同じクレームをつける方がいる。
スタンプラリー抽選会は年一回だから、まだいいが、やはり子供の声がうるさいと、公園内にあった遊具が公園内の反対側に移設になった。
それでもまだクレームが来るという。

(へー、どこにでも変人がいるんだ・・・・)

今年3月の抽選会、特等は電動自転車、任天堂SWITCH、Apple Watch、と豪華景品が来客を待っている。
そして、今年は工学院大学の学生たちが子供向けのスライム作りを、ケーブルテレビ局のジェイコムが大きな着ぐるみで歩き回り、会場を盛り立てる。
毎年、新しいグループが少しずつ参加し、年々賑やかになっている。イベントが育ち始めているのだ。

私も公園内のあちこちをまわり、人員が不足しているところへフォローにまわる。商店会長は忙しいのだ。

と・・・、公園の一角に人が集まり、何やらゴチャゴチャしている。
近づくと
「あ、こちらが商店会長です。」
と待ちかねた様に、スタッフが一人の男性に私を紹介する。
「あんたが会長さんかね。子供の声がうるさいんだよ。なんで毎年この公園でやらなきゃいけないんだ。」
噂は聞いていた。この人か。
「あ、うるさかったですか?スミマセンね。」
と、声が届きそうもない子供たちの群れにむかって、口に人差し指を添え
「シーッ!」
「さあ、ちょっと静かにしようね。」
それで、クレームを言った男性に向かって
「これで静かになってくれると良いですね。」

「あんたねぇ、そんなんで静かにならないでしょう。こういうイベントを開催するのはどうなの?」
ちょっと怒り顔。
徹底してすっとぼける。
「そうですね、お天気も良いし、子供たちもうれしいんでしょうね。」
「あんたねぇ・・・:」
途中から様子見に来られた区の職員や区議の方々が遠巻きで様子をうかがっている。
水商売していると、この手のお客様は時々いらっしゃる。
いなしつつ、相手に寄り添うふうをしつつ、解決策をこの男性に尋ねる。
「いろいろ工夫しているんですがねぇ、なには良い手はありませんかねぇ?」

「ま、私ももう少し知恵を絞ってみます。少々お待ちください。」
待って貰うだけで、何かをする気持ちはさらさら無い。
「とにかく静かにさせてくれ。」
「わかりました。ありがとうございます。」
何のお礼か、言っている私もわからないが、お礼を述べて、男性が去るのを待つ。
文句を言わせたら、怒りは半分程度おさまると私は思っている。こういう相手に出会ったこの男性が不運だったのだ。


私のやり方が良かったとも思わないし、このやり方が通じるとおも思わないが、長野市の青木島遊園地問題、、、、何か方法はないのかな・・・。





師走のランチ

店のガラス戸越しに見えるビルのすき間。
そのすき間から届く日差しが道路を眩しく照らしている。
日向ぼっこをしたくなる陽気に見える、そんなお昼時。

人通りが少ない。
田舎町の長閑な風景に映るが、ここは新宿。
ランチ時は「のどか」では困るのだ。
もうちょっと、もうちょっとだけ都心の喧噪が欲しい。

マスク姿はいっこう減らないが、コロナはだいぶ収束状況にあると思う。
そして今は忘年会シーズンのまっただなか。
なのに、昼も夜も人出は少ない・・・。
ニュースは景況感が戻ってきていると報じている。
どこの世界かと首をひねりたくなる。

師走の喧噪から取り残されて、それでも時間はゆっくりと流れていく。
老い始めた私には、ま、これもいいか・・・








環状5号線開通式

12月3日、先週土曜日の話しになる。
伊勢丹前を通る明治通りの迂回路である環状五号線、千駄ヶ谷トンネルが開通した。
明治通りの混雑緩和を図る道路だ。
新宿御苑と新宿高校の間を通り抜ける。池袋から渋谷方面へ向かうと地上部分を走り高島屋の先、千駄ヶ谷に抜ける。逆は千駄ヶ谷から地下トンネルを通って、新宿通りの交差点へ、さらに進んで花園神社、日清食品本社前、そして池袋へ向かう。
その開通式セレモニーがあった。
この日に招待されたのは30人程度。
壇上で紹介されたのは、新宿区長、渋谷区長、建設庁の何とか課長・・。
さらに挨拶なしで名前を紹介されたのが、新宿区渋谷区選出の都議さんたち。
私は商店会長として臨席。

新宿高校で開通式、その後、開通した道路上でテープカットとくす玉割り。
白バイが先導するマイクロバス7台が連ねて新明治通りを走行した。

テープカット、くす玉割りには、4人のマスコットが登場。警察のピーポーちゃんは知っていた。「キュータ」は胸に119の文字があり消防署のマスコットだなと想像できたが、新宿区の「新宿シンちゃん」と渋谷の「シブヤラブハチ」は、説明を受けてもどっちがどっちのキャラクターなのか混乱。
でも開通式会場を通りかかった子供たちには受けていた。

やがてマイクロバス7台に招待された賓客(?)が分散して乗車した。コロナ対策らしかったが、なんと30人乗りマイクロバスに招待客はそれぞれ3名!
横3列シート(補助席を入れると4列シート)に一人。それも前後の列は空席シート。乗客同士の話しもできない。
仕方なく窓から景色を眺めていたら、なんと開通した道路上ほぼ50m間隔でカメラを構えている方たちがいる。その背後には手を休めて仕事を中断している道路工事従事者。
仕事を中断させてまで
(誰が来たんだ?)
(誰が乗っているんだ?)
という眼でこちらを見ている。
バスのなかで私は上級国民になっていた。

バス下車後、広告代理店を生業としている商店会長仲間に聞いた。
これってどのくらい予算使ってますか?
こういうことを請け負う会社って?

「電通か博報堂ですね。」
「都に要求した金額は、おそらく1本(1千万円)だと思います。」
なるほど・・・・。







十九周年アニバーサリー

12月3日土曜日は、歓の十九周年イベントを行った。
この地に店を出しまるまる18年が経ったのだ。
周年行事は毎年やっていた。それがコロナ禍で2年ナシ。
今年も第八波が押し寄せている最中に、
(今年も無理かな・・・)
と半分諦めていた。
私の住まいのある新宿五丁目の町会長が新年会の余興での芸人さんを私に求めてきた。これまでも何名も芸人さんをご紹介してきた。延べ7~8名様ほどご紹介してきただろうか。それぞれ連絡先がわかっている芸人さんは直接連絡できる様にしてきたはずだった。
聞いてみると、新しい芸人さんを欲しているらしい。
お店の方は、長いコロナ禍で中止方向で検討に入っていた。

日時、場所、ギャラなどを告げて、鶴瓶さんにメールを打った。
鶴瓶さんが若手の落語家さんに、
「お前、見つけてやれ。」
と言われたらしい。その若手の落語さんから電話があった。
「鶴瓶師匠は私どもにとっても雲の上の存在なんです。芸人さんの紹介は私が請け負います。鶴瓶師匠にそんなことは頼めません。」らしい。
で、歓の周年行事と合わせてお願いした。

ビックスモールンという大道芸人を若手落語さんは指定した。
芸能界音痴の私、申し訳ないがビックスモールンは知らなかった。
YouTubeで見つけた。動画を見た。
(えっ?こんなの、テーブル広げてるお店でできるの?)
が正直な気持ちだった。
「大丈夫です。今、彼はあちこちで引っ張りだこです。」
「ギャラも歓さんの都合で良いです。」
これで周年行事開催も芸人さんの選定も終わった。

相棒の女性に「会費1万円」と告げた。例年7千円か8千円だった会費だ。
「えっ?」
金額に驚愕した様だ。背中を押した。
「大丈夫だよ、私とあなたと二人だったら満席にできるよ。」

彼女が頑張った。
32名様になり、後から申し込んだ方の数名は断ったほど。
これ以上入れると、芸が、芸を行うスペースがとれない。

会費が高かった分、現在開発中の「新宿醤」6000円相当をお土産につけた。
そして久しぶりの満席宴会。
久しぶりの気持ちいい疲れが残る。

師走忘年会シーズン。
まだまだ空きがある。
木曜だとか金曜日だとかおいしい曜日がまだまだ空いている。

皆さん、来てくださ~い。
予約待ってまーす。








スタンプカード

ランチタイムにスタンプカードを出している。
一回食事(1000円)のたびに1個スタンプを押している。
20個貯まれば、1回の食事代(1000円)が無料になる。
10個で出しているお店があるなか、コンプリートの20個は長い。
それでもせっせとスタンプを貯めて楽しみにしているお客様はけっこういる。

そのスタンプカード、表面に小さく発行年月が書いてある。
小さくというより密かにという感じで印字してある。

今日のランチは、スタンプカードが多かった。全部で5枚。
出されたスタンプカードの年月を確認したら、2019年9月というのが2件あった。
2019年!
3年前!
ありがたいのだが、20個集めるのに3年・・・・。
何か複雑な気持ちになった。
3年間、財布の片隅にとっておいてくれた・・
土曜日もランチは営業しているのだが、年間平日のランチ数は約100日ほどある。それが3年間だから300日。
年間約50週間。二週間に一回ランチに来たとしても、余裕でスタンプは貯まる。

それで複雑な気持ちなのだ。
何年経ってもお店を使うかも知れないとカードをとっていただけるという嬉しい気持ちと、三年間での来店数・・・・。
いやいやありがたやありがたや。











渡辺徹さん

俳優の渡辺徹さんが亡くなった。
ニュースを聞きながら、渡辺さんとの短い出会いを思い出した。

奥さんの榊原郁恵さんと同じくチマキの注文を何度かいただいた。
渡辺さんは配達先で出会ったことはあったが、お店にいらっしゃったことはなかった。
二年ほど前に、その渡辺さんが闘病生活を送っていること、ニュースで知った。
ぶしつけながら一度メールを送った。

「チマキでお世話になっている歓ファンの梅橋です。ニュース見ました。 闘病、頑張って下さい。 私67歳。5年前前立腺癌摘除でキツイ思いをし、未だ尿障害など引きずっています。
ファンの皆さん不死鳥のように立ち上がる渡辺さんを待ってます。
心折れそうになること度々あるでしょうが、どうぞ、また元気な姿を見せて下さい。
「いまやらねばいつできる。 わしがやらねばたれがやる」
108歳で亡くなった平櫛 田中(ひらぐしでんちゅう)という彫刻家が98歳の時に発した言葉です。
この方はまたこういう有名な言葉を座右の銘にしてました。
「六十七十は鼻垂れ小僧。 男盛りは百から百から。 わしもこれからこれから」

渡辺さんから返事をいただいた。
「ありがとうございます。 素敵な言葉大切にこころに留め置きます。」

そう遠くない時期に、私にも私の妻にもやってくることを想像しながら、残された郁恵さんの気持ちに思いを馳せる。
生者必滅の理なれど、やりきれなさが交錯する。

ご冥福を。