ちばてつや

訃報
ちばてつやさんが亡くなったとの報。
87歳だったそう。
店長を務めていた前のお店に一度いらっしゃった。
「ぱっちりクラブ」というカメラ同好会のメンバーの宴席だった。
メンバーの中には私の上司であり、カメラ好きだった当時の常務がいた。
私の記憶違いでなければ亡くなった古今亭志ん朝さんや、今も現役で活躍されているボンボンブラザーズの鏡味繁二郎さんもぱっちりクラブのメンバーだった。
前のお店は寄席の末廣亭の並びにあり、芸人さんの来店も多かった。

その常務が持ってきたパーティのさなか、マンガなどまったく縁のない常務だったが、その上司が会話の中で「ちばてつや」という名前を発した。
えっ!
ちばてつやさんがいるの?!
驚いた。一瞬、首を360°回して20名程度だった宴席を見回した。
いた!
雑誌などで何度か見たことのある「ちばてつや」さんがそこにいた。
常務に文句を言った。
「ちばさんがいらっしゃるなら、早く教えてくださいよ、もう!」
その価値がわからない常務は
「なんだ、お前、知ってるのか?」

そして常務はニヤニヤ笑いながら、ちばさんの席まで私を連れて行き
「うちの支配人の梅橋です。」
代表作の「あしたのジョー」はともかく、初期の頃の「ユカをよぶ海」や「ちかいの魔球」「紫電改のタカ」など読み尽くしていた私にとって、ちばさんは神様に近い存在だ。
感激している私にニコニコと好好爺の表情を見せるちばさんだった。

20数年前の思い出の光景が蘇りながら、感慨にふける。
時代のひとつがまた過ぎていく・・・・。





商店会

10月25日第8回目の商店会主催の音楽フェスティバルが開催された。
昨年度「災害級の大雨」という報道が1週間ほど前から流れ、結果的に中止になった。舞台設営からテント、テーブル、イスなのレンタル品までほとんどが無駄になった。悔しかったし、何より商店会の予算が大きく減った。
会員の一人であった保険会社が懸命に動いてくれてけっこうな保険金がおりてきたが、中止と言うことで助成金がゼロになった。

今年の音フェスは、昨年度の結果を踏まえ、企画会社を雇わない、ステージを作らない、テーブル、イスなどのレンタル品を使わない、あげくは交通規制を頼んでいた警備会社も呼ばなかった。
ステージは路上をそのまま使った。テーブル、イスなどは東京医大や近隣の町会が保有するものを借り受けた。交通規制用の赤のコーンや虎模様のバーは近所の工事現場から借りた。ステージで使うアンプやスピーカーはバンドやプロの司会者が所有する機材を応用した。警備員は会員の知り合いの応援を頼んだ。保健所に相談し、食材をフードパック提供でテント不使用での営業許可をいただいた。
ミュージックバンドも極力抑えたかわり、近隣の小中学校の太鼓クラブや合唱団が参加してくれた。
まだ経費の詳細は調べていないが、かなりの省エネ開催になったはずだ。

だが、ただただ疲れた。
何かロスがないか、ミスがないか、気疲れが半端じゃなかった。頭の中で整理が追いつかない。
当日、なんとかお天気が持ちそうだなと思ったお昼過ぎ雨が降ってきた。
もう少しだけ持ち堪えろよ、と願うも雨脚はひどくなってくる。メイン演奏は終えていた。主立った来賓挨拶も終わっていた。
中止を告げる。機材の撤去にあたる。
終えた後、残ったスタッフに声かけし、営業している店舗にてそれぞれの打上をお願いした。
私の店舗にも20名ほど集まった。遅参で出番のなかったオペラ歌手が唄を披露する。心に染みた。

来年はやれるかな、この疲労感。
でも若い人たちがよく動いてくれた。
LINEで会員の一人が
「昨日はお疲れ様でした。途中の雨は残念でしたが、盛り上がりましたね!医大通り商店会は、若い方々が多く、素敵な商店会だと思います。これからも続けてくたざいねー」
他の商店会にも顔を出している伊勢丹スタッフの一言。

そうなのか・・と、でもちょっと嬉しい一言。

29.5°

左肩から上腕にかけて痛みが走ることは書いた。
鍼を打ったが痛みは治まらない。
(上腕の痛みが引いたから、ま、いいか。)
と安易に手を打つ。寝返りを打つ際や寝床から起き上がるときにどうしても左側をかばう姿勢になる。
(歳のせいだろ、ま、いいか。)
と、ここでも適当さが出てくる。

10月25日(日)商店会が主催する「音楽フェスティバル」なるイベントが今週末だ。お店は相変わらずヒマなのだが、会長としての立場の私はかなり追い込まれている。
今日も6時くらいから当日マップの作成を取りかかる。一昨日出店データーが私の手元に届いたせいだ。
今日は区役所に、不足の書類を提出する。
電気の供給確認も、他のメンバーがやったのやらないのか。
みんな仕事を抱えての商店会活動だ。たぶん夜だけ仕事の私が一番時間を使える。私を含めて全員が無償報酬で走り回っている。無償報酬でも走り回ってくれている。
だから頑張ろうと思い、不慣れなマップ作りにも励む。

ん?プリンターが止まった。区に提出する書類の印刷だ。
パソコンの画面が開く。インク切れの表示。
はーぁ・・・・
ため息が出る。
仕方ない。インクを買いに行くか。

思いつくのは伊勢丹のすぐ向こうのビックカメラ。直線距離でおそらく5~600mほどの距離。インクの型番をメモって住まいを後にする。
昨日修理から帰ってきたバイクを使えば簡単なのだが。新宿通りに面するビックカメラは、駐禁キップを切られる可能性が高い。バイクは使えない。
徒歩。直線距離は500mほどだが、新宿の繁華街や地下街をクネクネ歩き回らないと行けない。体感距離は優に1kmはある。往復2kmと言ったところ。
ま、健康のために体力作りだ・・・

台風30号のせいか、やたら風が強い。新宿の地下街を中心に、目的地のビックカメラに向かう。たかがプリンターインク1個のために・・・・。

自宅に帰り一息つく。ドーッと汗が噴き出る。
えっ、なんでこんなに汗出るの?
強い風のせいがあり、表(地上)は、気温を感じない。地下街はビルの空調に覆われているし。

なにげに点けたテレビから今日の天気を知らせている。
都下は真夏並みの気温・・・29.5°・・・

老いのせいでも、体調不良でもなかった・・・






バイクの反乱

紙おしぼり、長ネギ、胡麻、スリ胡麻、餃子のタレ・・・
スマホのメモ帳には前日に書き込んだ買い物リストが並ぶ。
今夜の予約は2件。人数こそ多くは無いものの、何を出してやろうと頭の中は冷蔵庫冷凍庫に残る在庫を思い出す。
いつも寄る業務用スーパーで買い物を終え、バイクはお店への帰路につく。
運転をしながらも、頭の中は今夜のメニューを組み立て、買い忘れがないかと確認する。

突然スマホの呼び出し音が鳴った。
路肩にバイクを停めスマホを見る。そこには鶴瓶さんの名前があった。
(あ、チマキの注文・・・)
配達先は赤坂で、これから持って行けとの注文。鶴瓶さんの、いつも無茶を聞いているから当たり前のように、こちらの都合を考えない無茶ぶり注文。

チマキを蒸し終え、チマキを発泡スチロールの箱に入れる。
頭の中は赤坂までのルートをおさらいしている。
いざ出発。

ん?
キュルキュルキュル・・・
走り始めて間もなく、バイクが突然失速する。えっ、何?何?
残り少ないが、ガソリンはまだ入ってる。何?何?何?
ガス欠のような症状だ。
バイクをごまかしごまかし一番近くのガソリンスタンドまで走らせる。

ガソリンは満タン。が、エンジンをキックスタートさせても、パワーが車輪の駆動まで伝わらない。
新宿から赤坂まで・・無理・・

優先順位は、まずチマキの配達だ。
ガソリンスタンド沿いの明治通りに立ち、タクシーを捕まえる。
走り始めたタクシーの中で購入したバイクの販売店に電話を入れる。バイクを取りに来ての修理を頼む。
バイク屋。バイクを積み込む車がないと言う。さらに加入している任意保険にバイクをレッカー移動してくれるサービスがあるはずだから、保険屋に連絡してくれと言う。
保険屋。事情を説明すると、スマホのショートメールにロードサービスの電話番号を送るという。

タクシーが赤坂の目的に着いた。
チマキを届けた。
「ただいまチマキをお届けしました。ありがとうございます。」
届けた後、届けた由のショートメールを鶴瓶さんに 送る。

帰りの地下鉄の駅に向かいながら、届いたショートメールの保険会社に電話する。バイクのナンバー、保険番号、私の電話、バイク屋の電話・・・。必要な情報を伝える。

経過を妻、バイク屋に伝えた。
今やれることをすべて終えて電車に乗ると、途端にどっと疲れが出てきた。

(おい、これから予約の仕込みが残ってるぞ。疲れるのはまだ早いぞ。)
気持ちを奮い立たせる言葉を自身にかけるが、・・・・疲れた。ただただ疲れた。


みぎ腕、ひだり腕

みぎ腕
3月末で終わった中国料理歓fun
半年を過ぎた今でも、お店を継続するために他に方法がなかったのかと思いにふける時がある。
昔ながらのお客様にあって、
「みんなで集まる場所がなくなったよ。」
などと言われたとき。そして一緒に働いていた従業員たちがそれぞれ、その後の場所で働く様子を見たり聞いたりして、慣れるまでのひとときなのだろうが、歓で輝いていた頃とは違う苦労をさせていることを知ったときだ。

歓fun時代、私をいろいろな場面で助けてくれた女性がいる。私より6歳上の、現在79歳。この歳でも時々私をドキッとさせるかわいい仕草を見せてくれる。この人の魅力なんだと思う。だからお客様を呼び寄せてくれる。
仕事上の実質的な女房だった。私の右腕だった。
今、日本蕎麦屋の厨房で働いてる。この人の魅力は人とのふれあいで爆発する。せまい厨房で仕事をさせるのが勿体ないのだ。
私がこの人の舞台を取り上げたのだ。今さらだが社長としての責任を重く受け止める。
現在の勤めに空きがあり、私の店が混雑するときなどに時々手伝いに来てくれる。

ひだり腕
もう10年ほど前から左手が小刻みに震えていた。たぶん脳の疾患からくる震えだ。主治医に相談して薬をいただいた。少し収まった。
しかし時とともに震えは前以上に震えるようになった。主治医はこれ以上の服薬はないという。中華鍋を一身に振るってきた職業としての衰えも加わってきたのだろう。このパソコンを打つ指にも震えが伝わり、ダブルで打つ「ッ」の文字がよく画面に躍る。
現在夜だけの仕事になり身体は楽になっているはずなのだが、左肩から上腕にかけて痛みが、少しのひねりで出てくる。老いが重なり、ひどくなることはあっても治ることはないのだろうと、この震え、ある意味達観している。

みぎ腕、ひだり腕ともわが意のままにならない。
が、意のままにならないままに、両腕とも私を助けてくれる。
まだ私に遠からずついてきてくれる。

この両腕がついてきてくれる間は、まだまだ働くよ。



柿

私は果物の中で柿が一番好きだ。
それも完熟した柿が好物。干し柿も美味しい。
これから柿の季節。楽しみな季節になる。
和菓子職人が後輩に菓子の甘さの基準を教えるのに干し柿の甘さを伝えるという。さもありなん。

仏壇はないが、部屋には先祖をまつっている棚がある。
妻が飾っているものだ。
私の両親、去年亡くなった妻の母、そして弟の写真が飾ってある。
写真の前には、ちょっとした花や、貰ったお菓子や果物なども添えてある。

今日は柿がおいてあった。
柿を指で突いた。
お、ほどよい完熟具合だ・・・
柿は2個。

今日はパートで妻はいない。
そのうちの一個を手にとって台所に持って行く。
包丁で八等分。
スーッ
包丁の刃の通り具合と刃にまとわりつく柿のしずくが熟し具合を教えてくれる。

皮ごとカットした柿を手に取る。ほどよい柔らかさだ。
もうすでに指先が熟した汁でベトベトする。
うーん、甘~い。

夕方になり、妻と入れ替わるように私は仕事に向かった。
職場について間もなく妻からのショートメールが届いた。

「仏様の柿食べたな!」
「仏さんの顔がモグモグしてたよ。」




免許更新

先日高齢者講習を受けた、という話しはこのブログで上げたけど、免許更新手続きの通知が来て、本日新しい免許を受取に行った。
都庁下の免許更新センター。
出かける際に妻が
「予約はしたの?」
「予約しろって、通知のハガキには何も書いてないよ。」
妻と二人でハガキを読み返すが、やはり「予約」の文字はない。
「大丈夫だよ。」
例によって根拠のない自信をもって出かけた。

到着は9時30分頃。
さほど混んでなかったが、受付のところに
「予約の方」「予約のない方」と二つの札が掲げてあった。
ありゃ、妻の言う通りか・・「予約がない方」と断ってあるところを見ると、予約がなくても何とかなりそうだな・・と考えつつ、その列に並んだ。といっても私だけだったが。
男性の係の方が来て、
「予約されなかったんですね・・・」
チラッと私を見て、
「高齢者更新じゃないですよね。」
と念押しをされる。
「いえ、高齢者です。」
「あ、それじゃ、こちらに・・・」
ん?

高齢者じゃないかもと私を見てくれたのは嬉しいが・・
高齢者は予約なしで通される???これって特典?
喜んで良いのか悪いのか・・。

次回更新は3年後。
更新手続きの用紙をよく見てみると「ゴールデン免許」になっている。
でも、高齢者だから5年更新じゃなくて3年更新。
ま、いいか、運転する機会が少なくなり、当然違反も少ない。バイク(三輪)は路上駐車でも駐車違反件数も少ない。いや、なかった。
努めて模範運転をしたわけじゃなかったが、歳なりに運転は慎重になる。特に雨の夜の運転は怖く感じる。運転は好きだし、少なくともヘタじゃないと思っている。しかし若い頃より視野が狭くなっているのが自分でもわかる。

3年という更新期間をいただいたが、これは1年間隔でもいいかなと思う。

商店会主催のイベントが近くなり、そのイベントポスターを各会員のお店に配布する。背中の荷受けにポスターを入れ、バイクはタッタカターと走る、運ぶ。
ゴールデン免許のお出ましだ。
もう少し、あと数年、運転させてくださいな。






おみとり

先週土曜日午前中に「おみとり」という映写会が東京医大であった。
看護学科の取り組みだ。
映画は一人の男性(80歳)が死にゆくまでのほぼ1ヶ月間のドキュメンタリーだ。撮影者(監督?)はその実子。出演者は見送られる男性と奥さん(お母さん)、医者、介護と数人程度。
介護は入浴シーンや下の始末まで実にリアルな場面がそのままに映る。
寝たきりの男性は、昨年逝去した4歳下の弟のガリガリ痩せ細った弟と重なる。そして 数年後の老いた私が重なってみえる。
食い入るように見入った。映画の中の時間は淡々と過ぎゆく。

弟は望み通りに自宅で息を引き取った。奥さんもその息子も口を揃えて、
「気がついたらなくなっていた。死に顔は安らかだった。苦しまずに死ねたんだ。」
映画の中の男性も安らかに死を迎えていた。
私もこういう死に方できるかな・・・。
いっぽう、映画のなかの奥さんの姿も淡々として、夫を、最後の別れを静かに迎えていた。
私の妻もこういう迎え方ができるのかな・・・。
いろいろなことを考えさせられる映画だった。

映画は船上から散骨する場面で終わったt。
弟の散骨も海だった。
何もかも自分自身のおみとりに重なる。











もう二度と会えなくなる前に

私も年を取ったんだろうね。(実際に老人だけど・・・)
女性が男性にあてた文章らしいが、胸キュンとしたので、ここで掲載する。
こんなフレーズに感じ入る歳になった。
遺書のつもりで、答えも考えておこうか。


☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

もう二度と会えなくなる前に

1、私と初めて出会った日、
あの日の私を見たとき、
どんな気持ちだった?

2、一緒に過ごした中で、
私のどんなところがいちばん好きだった?

3、一緒に重ねてきた
たくさんの思い出の中で
いちばん心に残っているのはどれ?

4、私と過ごした時間はしあわせだった?

5、もし、いつか、あなたがいなくなって
泣いている私を見たら、どんな言葉をかける?

6、私がこれからしあわせに生きていくために
これだけは忘れないで、ということは何?

7、最後に一つ
私に会えて良かった?

こんなこと、今はまだ聞かなくてもいいと思うかも知れない。
少し照れくさいし、急にどうしたのって、笑われるかも知れない。

でも大切な人との時間には、いつか必ず終わりが来る。
だからもし、大切な人がまだそばにいるのなら、いつか聞こう、じゃなくて
今日、今、聞いてみて欲しい。

その答えはきっと、大切な人と会えなくなった後も、これからを一生支える言葉になるから。

寝落ち

商店会一大イベント「音楽フェスティバル」が近づいてきた。
10月25日(日曜日)開催だ。
そのための準備を7月より始めている。残り2ヶ月を切り準備も多忙を極める。
そのなかの一つに各種申請がある。
新宿区への「道路占有許可」「確約書」「道路占有料免除」
新宿警察、四谷警察への「道路使用許可」及び「パトカー白バイ派遣要望書」
新宿消防署への「道路規制申請」
消防団への「演習依頼書」
保健所への主催者としての「催事届け」、各店舗の「催事出店届」
提出先によっては、コピーが2部必要だ。
たった1日のイベントでも煩雑な手続きが多数必要になる。
その一つ、新宿警察署への「道路使用許可」を、本日提出に行った。
道路使用許可と言っても、イベント開催以外でも、道路工事や増改築などの建築など許可を必要とする方はたくさんいる。
その窓口はいつも混雑し、待たされること30分から1時間程度は普通にある。

商店会として道路使用許可を貰うのに毎年都会議員を連れ添って行く。警察署の扱い方がまるで違う。まず待たずに済む。窓口には並ばず、交通課の一番奥にある課長席にまで通される。
忖度省庁と言われる由縁かと。(ナイショ)
以下は、本日のその一部始終。

今日は、13時に新宿警察署に都議さんと道路使用許可申請を行く日だった。
なんと寝坊!
自宅からバイクで行く(10分程度)ために、12時30分に目覚ましをかけていたにもかかわらず、その音に気づかないほど寝落ち。起きたのが12時54分。
すぐに都議さんに電話するも応答なし。ショートメールで
「10分遅れます。」

昨夜に準備をすませ書類を詰め込んでいた鞄をかかえ、6階自宅から階下へ。
バイクをキック始動。

署に着くと待ち構えていた都議さん
「このあと13時15分に別件があるため、ご紹介だけして帰ります。」
とのこと。
私はひたすら平身低頭。

紹介が終え、都議さんが帰った後、私一人で一通りの手続きが終わる。
別会計窓口で手数料2100円を支払い・・・
(あれ、財布にお金がない!)
・・・・・
今度は小雨の中、警察署近くのコンビニに駆け込みATM。
お金を下ろしている最中に署から電話があり
「どこに行かれましたか?」
「はい、お金を下ろしに・・・」

まことにお粗末な一日になる。
原因の発端「寝落ち」
歳のせいかな?