末っ子の旅立ち

旅立ちという年齢でもないのだが、34歳の同居していた息子が引っ越した。
土曜日深夜遅くまでガタガタ物音がしていた。途中トイレで目覚めた5時頃も物音が続いていたから、引っ越しの荷造りでほぼ徹夜だったのだろう。
朝方、家内の声が響く。
「これは持って行かないの?」
「あれは忘れてない?」
気ぜわしく、甲斐甲斐しく、子供を気遣う響きだ。

目は覚めていたが、布団から出なかった。
引っ越し先は浅草。
いつでも会える距離なのだろうが、母と子供の別れのシーンに私はいない方が良いと思った。

私のことを煙たがっていた息子。
私の子供の頃を思い出しても、男親と息子の間には奇妙な距離がある。
中学生頃までの親と子の関係が、思春期あたりから徐々に男と男の関係に替わる。
板橋に会った一軒家から、長男、次男と独り立ちし、一軒家である必然がなくなってきた。職場近くの新宿に引っ越してきたのが8年ほど前だったろうか。

愛嬌のある顔をしているのだが、このところ体重が増えていた。デブだ。
単なるデブを通り越して130~140kgはあると思える『巨漢』になった。
本人は気にしているのかしてないのか、でも指摘されるのは嫌なようで、体重を聞かれるのも、「また太ったか?」と揶揄されるのも、表情がムスッとする。

私が糖尿病に罹患しているから、純粋に身体のことを思って忠告するも、返事がない。家内も(ほおっておいて・・・)と目線を送る。
私もそうだったが、病気で苦しい思いを一度味合わないと「健康」であることの重みが実感できない。
息子はすでにこの歳で痛風にかかっている。糖尿病罹患も時間の問題と思える。

基本やさしい子なのだ。笑ったときの顔もやさしさにあふれている。
私のとの接触は避けたがるが、母親とは食事も酒飲みも時間を割く。
自宅でも母親との食事を作る。
「この料理はこのスパイスで。」などと妙なこだわりも見せる。

ある意味、面倒くさい息子なのだが、母親はその時間を楽しんでいた。
その息子が出て行く。

私は、一度は独立した生活をした方が息子のためにも良いと感じていた。
料理を息子がするときもあるが、気が向いたときだけだ。
基本、家でやる食事や洗濯は母親がする。たぶんトイレや風呂掃除もやったことはほとんどないはずだ。たいていは私がやっていた。

家にいると、その不自由を感じない。息子にとってけっして良いことではない、と思っていた。
一度その不自由を経験して、息子がまた戻ってくるのは、私はOKだと思っている。病気と一緒だ。苦しい思いをして「健康」のありがたさを知る。
独り立ちして、親のありがたさを知る。

物音が静かになって、息子が出て行ったのを知る。
家内が部屋に戻ってきた。
「ウウッ、ウウッ」
と泣いている。
気持ちは痛いほど伝わる。家内の気持ちを測ると貰い泣きしたくなる。
家内の背をなでる。
「いつか来る日が、今日だっただけだ。」
「わかっているけど、(涙が)止まらないのよ・・」
かける言葉を失う。
また数回、家内の背をなでる。

息子が出て行って、家内と二人だけの生活が始まる。
粗末だったけど、まばゆい若いときの二人の生活と違って、時間を埋め合わせるだけの空間がこれから二人を包む。

埃っぽさが漂い家具のなくなった部屋のなか 、人生の大きな役目の一つが終わったことを、私たちに息子が残していった。