好奇心と読書

昔はネット関係は苦手じゃ無かったんだけど。いつのころからだろう、新しいものに食いつかなくなってきた。
ゲームも新作が出るたびに一通りは熱中した。
インベーダー、マリオ、ドラクエ、ゼビウス、鉄拳、ストリートファイター、ギャラクシー、・・・・。
タイトルを見て貰えると分かるとおり一昔のゲームばかりだ。私が30~50代の時代だ。この時代を振り返ると、よくゲームする時間があったなぁ、と思う。
仕事、家庭、ほぼ毎日飲み屋に通い飲んだ。飲む打つ買うと三拍子そろっていた。
でもでもでも仕事は充実していた。どんなに遊んでもあの時の私はエネルギーがつきなかった。
元気だったのだ。
元気だったから好奇心も旺盛だった。
ゲームに限らず、寸暇を惜しんで”遊んだ”。興味のそそるものは分野を問わず没頭した。

パソコンを初めて触ったのは30台半ばだったと思う。NECのPC98が全盛期の時だった。そのパソコンを習熟するために1年間飲食の仕事を離れてパソコンスクールに通った。
今ではすっかり忘れてしまったが、コンピューター言語のベーシック、コボルでの及第点はとった。
好奇心も旺盛だったが、あの当時の新しいものに対しての私の理解度もそこそこあったと思う。
新しいものに出会えるのが楽しかった。私の興味は次々と新しいものに移る。
でも、いつも飲食の仕事は私の原点にあった。
美味しいものは好きだったが、ある時から仕事の内容が”作る”から”見せる”に変わっていった。見せると言うより「楽しませる」に重点が移ってきた。
楽しませるには相手の楽しみを知る必要があった。当時の相手は常に「お客様」だった。

お客様を楽しませるためにパソコンはあった。
今でこそ当たり前になった宴席メニューをパソコンで作った。フォトショップなどの画像処理ソフトの扱い方も覚えた。
宴会途中でお客様のポートレートを撮った。画像でコラージュを作った。宴席の終わる頃にはお客様全員の画像とメインのお客様を中心に添えたコラージュが出来上がっていた。
喜んでくれるお客様の顔が、私の何よりの喜びだった。
たぶん私が一番輝いていた頃ではなかったかと思う。
雇われ店長であり、今と比べると責任はさほど重くなかった。
何でも伸び伸びとやれた。
”成長”を肌で感じていた頃でもあった。

あれから30数年経った。
私自身で一番変わったと思うのは、読書の量が減ったことだ。
目にも原因がある。網膜剥離の手術をしてから近くのものを見るのが疲れる。
眼医者にも行った。めがねも何種類か変えた。
裸眼でも眼鏡でも読めた文字が今は読みづらい。
新聞もタイトルだけで読み流す紙面が増えた。
それは好奇心を支えていた根気が少なくなったことでもあった。

長編の小説どころか2時間、3時間の映画すら億劫になる時がある。
原因は、目をはじめ身体の各部位の老化が原因だと思う。

まだ今の私には仕事があるから、ある程度の体力と考察力を維持できるが、仕事が無くなったら、もしかして痴呆、認知症の世界にまっしぐらに進むのかもと危惧する。
体力と考察力を支えるもの、好奇心と読書・・・。

あまり面白くない落ちになっちゃったな。