水が出ない!
7時。目は覚めていたが、身体はすっぽり布団の中。
「水が出ないぃ!」

はぁ?

「洗濯が出来ない!」
ベランダに設置している洗濯機の前で家内が吠えている!
(寒さ?水道が凍っているのか?)
「ねぇねぇ、トイレの水は出るんだけど、洗濯機の水が出ないの」
風呂も予約してあって、家内は一番風呂に入ったはずだ。だから風呂の水もOKだ。
ベランダ設置の洗濯機だけ。
(水道が凍ってる?!)

ブブブー。ブブブー。
マナーモードの携帯が震える。
相手の表示は新宿店厨房の北山。
時計はまだ7時半。
「おはよ。どうした?」
北山はマルイの弁当を担当しているために、早番勤務。

この日は歌舞伎俳優「香川照之」から依頼されたチマキ100個がある。
9時に引取だ。ために、北山はいつも以上に早い出勤だ。
「社長!水が出ない!」

(えっ、こっちもか)
「トイレの水は出てますが、厨房やドリンクカウンターの水は出ません。」
(こっちも水道が凍ってる・・・? 寒波のせい?)
開店以来13年、初めてのフリーズ!
自宅は家内に任せて、とりあえず店へ向かう。

通りは、雪が道路脇に寄せられ、灰色の塊になってあちこちに放置されている。
いったん溶けた水が再び凍り、踏めば痛い思いをするのは確実だ。

店に着き、水道の元栓を確認。凍って回せない。
屋根続きの隣家「生ハム」へ行く。
「水、出てる?」
「ええ、出てますけど、どうかしました?」
隣とは同じ水道栓を使っている。断水の可能性はなくなった。
とすれば、配管の一部が凍っていると判断すべきだろう。

念のために管理会社に電話を入れるが、案の定「お休み」
「営業時間は平日10時から・・・」
と無機質なテープの声が流れる。一つの解決方法が消えた!

とりあえず9時引取のチマキだ。
何か解決方法はないか?
隣り「生ハム」、向かいのうどん屋「母屋」に行く。
歓[fun]と同程度の蒸し器がないか確認する。
やはり、ない!
また一つ消えた。
他に方法は?

北山が
「後楽園店で蒸すというのはどうでしょうか?」
すでに8時半。
行って帰って移動時間が約40分。蒸すのが最低で30分。詰め替えの時間を加算すると
「無理だよ!」と却下。

(待てよ!もしかすると起死回生の一手かも。)
考えれば考えるほど、これしかない!
というより時間さえ間に合うのであれば一番の妙手だ。
ナイス、北山!

チマキの依頼者である香川照之さんのマネージャーに電話を入れる。事情を説明。
「水道が凍る?東京でそういうことが起こるんですか!」
「時間はどのくらいかかるのでしょうか?何時頃引取に行けば良いのでしょうか?」
良い質問だ。
「今からバイクでチマキを後楽園に持って行きます。20分弱。後楽園店でチマキを暖める時間と梱包に40分。帰りも同じ20分。1時間半です。」
「今が8時半なので10時には間に合わせます。」
「わかりました。それでいきましょう。それから緑川スタジオに向かいます。ギリギリOKです。」

結論が出ると行動は早い。電話を切った携帯をポケットに入れる間もなく
「北山、チマキ積み込むぞ」
「水はどうしましょう?」
「建物の管理会社の電話番号を教える。10時から営業だが、たぶん9時半には誰か来てるだろう」
「マルイのお弁当は?」
「あそこは少々遅くても大丈夫だ。お昼のお弁当時間に間に合えばOKのはずだ。とりあえずマルイの店長に、遅れるって電話入れとけ。」
バイクのキーを回し暖機運転状態にする。
発泡スチロールと、弁当用の籠にチマキを詰め込む。
雪解けあとのアイスバーンを避けつつ、慎重にハンドルを握る。
後楽園店に到着。B1の管理人室を抜け業務用エレベーターに。
5F。
厨房の電気を付ける。スチームコンベクションのスイッチを入れる。
ブーン。
機械が稼働する。10度程度だった庫内温度がぐんぐん上がっていく。
100度に達するのに5分。それから25分。計30分のタイマーを設定。蒸し上がったチマキを発泡スチロールに詰め、熱が逃げないようガムテープで封印。
さあ、再び新宿へGO!
帰路は出勤時間と重なり、混み始めた。
(今日は25日。そうか五等日か。混んでるはずだ。)

10時5分。
新宿着。
近くセブンイレブン前に黒塗りの高級ワゴン車が停車している。
バイクのエンジンを止めると同時に、香川照之さんのマネージャーが近づいて来る。
間に合った!

身も心も凍り付いた寒い朝だった。