ある記事の一節
「小3の娘が反抗期で妻が困り果てていたので
「人の命は3万日。父と母は残り2万日。同じ家に住むのは残り5千日。3人そろって休日を楽めるのは、どう頑張っても残り2千日」
と伝えたら、目を丸くした後、急に家事を手伝い「お出かけしよう」と言うようになった。
数字にだって気持ちは込められる。」
子供たちが巣立ち、その子供たちが育てる立場になっている。
孫の写真や動画がSNSでほぼ毎日のように届く。
生きるのに精一杯だった私たちの若かりし頃、ここまで子供達に構ってやれなかった。思い返しても流石にここまで子供に接する時間は作れなかった。
良し悪しは置いとくとして、子供の立場で、親(私たち)からここまで構って欲しかったのかな、と感じることがある。
さらに時間を戻して、私が子供の頃の記憶を呼び起こした。
誕生日や正月など、一年の間に数回しか卵料理を食べられないくらい貧乏だった。
親父が炭鉱で働き、母は専業主婦だった。女の勤め口などそうそうなかった。家をきりもみすることで大黒柱の親父を助けていた母。
顔が見えるほど母は近くにいたが、一緒に遊ぶ、構ってもらえると言うにはほと遠かった。
自然が舞台であり、虫や動物が先生で、同じく構って貰えない近所の子供たちと走り回っていた。
それが当たり前の時代だった。
孫が動き回り嬌声をあげている動画を覗き込みながら、時代とともに過ぎ去ろうとしている私がスマホにいる。