高齢者

ある飲食店に紹介した職人さんが、紹介先を辞めた。
辞めたという電話がお店の方からあった。
いろいろとあったのだろうと推察する。
その数日前に、辞めると本人から言ってきた。
職場環境でよくよく悩んでいたようだった。

65歳。私より2歳年下だ。
彼はこれまでに務めていた会社環境によって年金も微々たるものらしい。
せめて家賃分だけでも稼ぎたいと言ってる。
年齢を重ねるたびに仕事探しは難しくなる。
それでも辞めるという選択肢を取った。

コロナという災禍がやってきて、会社そのものが閉鎖、倒産するところが増えた。そこまでいかなくとも飲食店にとって人件費の削減は必至だ。削減対象に高齢者が先にあがるのは当然だ。
身につまされる。

歓ファンも、高齢者が多い。
歓ファンがなくなれば、早速仕事に困る人たちだ。
私も同様だ。
だから何とか踏ん張りたいと、改めて思う。

男は不器用だ。まじめな性格であればあるほど、生き方も不器用に生きる。
これまで仕事一辺倒だった男が、定年退職で家庭にいる時間が多くなればなるほど、家庭内での器用な役回りが出来ない。家庭の中で大きな障害物となる。
例えば奥さんが洗濯物を取りに行くにも干しに行くにも、目障りな障害物があって、直線距離で作業できない。
(わたしが洗濯しているのがわかっているのに、この人ったら・・・)
という感情が芽生える。
男だって、そんなに鈍いわけじゃない。奥さんのイライラは伝わってくる。ここから男の不器用が出てくる。対処の仕方がわからないのだ。

女と男の根本的な違いがある。対処方法ができる女と、目的を作って動く男の差だ。
何にでも例外はあるが、泣くしか表現方法を知らない赤ん坊を、赤ん坊の立場になって考えられる女と、自分本位の楽しさを知らせようとする男の違いが大きいと思う。
電気や電波など発見したのはたいていは男だ。冷蔵庫や洗濯機、テレビを作ったのも、だいたいが男だ。出来上がった冷蔵庫や洗濯機を活用しているのは女だ。そういう違いがあると思っている。冷蔵庫がない時代よりもはるかに便利さを享受していると思う。
でも、いつの間にか女だけが負担がかかり、男は享受するだけだと責められる。
根本的な違いが男と女にある。

しいて言えば、0から1を作るのが男の役割りで、1を2に、3に増やすのが女の役割と思う。攻めるのが男だし、守るのは女が適している。ただし何事も例外があるので、誤解のないように。
男女ともそれぞれが必要なのだ。必要だということは、お互いにないものを相手が持っているから。

歳をとってくると、身体に様々な変化が訪れる。
ボケもそうだし、身体的にも不具合が起きてくる。車と一緒だ。
新車で購入しキビキビ動いていたのが、年数とともにあちこちにガタが出てくる。車につく多少の傷や錆はもちろんのこと、ドアがぎーぎー言ったり、エンスト起こしたり。
人もいつしかポンコツになる。そういう年齢に私も、紹介した方もなってきた。

そういうポンコツになる流れの中で、仕事がなくなるということは、生きるための糧道を絶たれるといった感じだろうか。
難しい時代になったと思う。思うと同時にこの変化についていけない人たちも出てくる。
私とて、例外ではない。
紹介した人のとった「糧道を絶つ」という選択肢に、先行きがとても心配になる。心配は私の明日でもある。

男の不器用さを語るつもりで、話しが脱線しながら、とりとめの話しになった。