コロナで考えさせられたこと

どこに行ってもマスク姿を目にする。マスクなしの人を探すのは難しい。特に人の大勢集まる公共の場所、例えば駅とかスーパーマーケットだとか。
マスクの息苦しさが嫌いな私も、こういった公共の場所に行く直前にマスクをかける。
飲食業だから、ランチ時間やちょっとでも混みそうだな、と感じたときはマスクをかける。だが、嫌いだ。

嫌いな理由。
・顔が見えない、というより相手の表情が読めない。
・鼻と口を覆うというのは、空気を吸う、食べる飲むといった、生物が生きるための本来の行為を制限している。
見た目も不自然に私には映る。

だが、マスクが日常になった。
コロナが収まったとしても、このマスク姿は定着するのではないか。
マスクは外部との接触を遮断することを意味する。ソーシャルディスタンスの物理版だろう。このソーシャルディスタンス、訳すれば社会的距離なそうだ。

母が我が子を抱く。それ以前に愛し合った男女が抱き合い、SEXに発展して結果子が出来る。
密接の最たる例ではないか。密接があったから男が存在し、女が存在し、子供が存在し、家庭ができる。
生まれたままの姿の人は、寒さや敵から身体を守る体毛もない。爪も牙もない。自然界ではとても弱い存在だと思う。それがここまで成長(繁殖)できたのは、個が密集することで自らを守ってきたのだと思う。

それがここにきてコロナが密接や密集に対して疑問符をつけてくれた。
これまで人が生存し、繁殖し続けた密接密集を人類自ら否定しようとしている。
コロナが突きつけた宿題だ。

昔々、地球が誕生し、そこから生命体が誕生した。ミトコンドリアの世界だった。細胞同士が変化して、くっついて、分離して、数多の化学変化が起きて「進化」と呼ぶ変化が続いた延長線に、今の人類がある。変化にはコロナと同類のウイルスが関わってきたことも間違いない。

「歴史」という数千年の単位よりも、もっと長い万年、億年という単位で眺めてみると、「進化」の過程が今、起こっている。コロナはその引き金になっているのではないか。

学校で習ったことを思い出して欲しい。
地球が誕生して、水や空気が出来て、有機類ができ、それらが合わさって生物(その当時は植物)ができ、それらを食べる成長する動物が出現し、と脈々と続いてきた。時間的な単位は億万年という単位だった。
コロナで右往左往している人類は、少なくとも言葉を話したり、「歴史」などと語る、人類の時間単位はせいぜい1万年程度だ。

社会的な距離の中で、それでも人は生き続ける。さらにいえば、100年とか1000年とかいう時間的な単位で考えれば、もっと厳密な「社会的な距離」が生まれてきてもおかしくない。

コロナでに振り回されている間にも、4G、5Gなど大容量の情報を行き来させる電波のインフラが整いつつある。それらが整ってくるとどうなるのか。

バーチャルリアリティ(仮想現実)がリアルそのものになってくると思う。
前述した男と女が、実際に会っているつもりで、実際にセックスしているつもりで、お互いの精子と卵子を融合させ・・・・。

食べるものだって、無菌だとかサプリだとか表示しながら、丈夫(健康)で美味しい肉体に仕上がるだろう餌を自ら作り、自ら食する。

これはもしかしたら・・・・、
ゲージで飼われる鶏と同じではないか。
養豚場の豚と同じではないか。

良いか悪いかではない。
長い年月をかけて人類が向かおうとするのに、今現在、人に求められようとしているのが「社会的距離」。
こういう目で見ると、今の中国のように国で人を押し込める(民主主義でない)制度もアリと思える。(私は嫌いだし、けっしてそうなって欲しくないが)
だとしたら、近い将来(100年ほど後)には、管理される体制が敷かれ、人が管理しているように見えて、実際は人類が作り出したコンピュータが制御管理する。その人類はゲージの中にいる?

コロナは私をSFの世界に誘ってくれた。

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