東日本大震災の10年目が来た。
テレビも新聞も10年前の記憶を呼び起こしていた。
大きく揺れる画面。その後に襲ってきた津波。
今見ても、スペクタル映画を見ているようだ。
正直、もう10年も経ったのかと思う。
私にとっても記憶に残る10年前だった。
新橋に日本初糖質制限中華という初ジャンルの店舗「梅花メイフア」をオープンさせた年だった。
新橋から後楽園に場所を移して、昨年後楽園店を閉鎖するまで九年間踏ん張ったお店だった。糖質制限そのものは私のライフワークだと思っているから一生続けるつもりだ。しかし去年の1月で一区切りついた、と思う。
3月11日。
ものすごい揺れが始まり、10分程度のかなり長い時間揺れが続いた。
新橋店の計画は進んでいたものの、二店舗体制に移るために新しい女性店長を雇っい間もなくのころだった。
壁面のくぼんだ棚に置いてあった香炉が落下、木っ端微塵に砕けた。貰い物だったが、中国の古い陶磁器。50万円はした代物だ。
まだ小さい揺れが小刻みに続いていたそこへ、いきなり若い男が飛び込んできた。
入り口近くにいた妻を押しのけ、奥のカウンター側にいた女店長に駆け寄り
「大丈夫だった!」
女店長、驚くも表情は緩んでいる。
私も妻も驚きを通り越して、
やるー!こりゃ彼女、ほだされるぞ!
後に結婚した。(数年後に破綻するオマケがついたが・・)
新橋店は物珍しさも手伝い、テレビ、新聞、雑誌等、週一度はどこかのメディアに取り上げらるという人気ぶりだった。しかし盛況なのは糖質制限を指示するメンバーが集まってきたときだけ。一般客がまったくついてこない。
運転資金は準備したつもりだったが、毎月50~100万円近くの金が出て行く。
瞬く間に資金が底をつく。
(えっ?えっ?こんなはずじゃないけど・・・)
私が離れる事によって新宿店の売上も下がってきた。
ダブルで厳しさが募る。
身体が二つ欲しかった。
今考えてみると、身体は二つあったのだ。私と新宿店に残した女店長と。
使いこなせない私だったのだ。
今でこそ敗因が解明しており、今同じ事をやっても失敗はしないと思えるが、資金繰りに窮し、そこまでの考えは、当時は至らなかった。
3月11日。
私にとっても、大きく大きく揺れた年だった。