送別会があった

長らく宴会などなかった緊急事態宣言。
気がつけば歓送迎会シーズンまっただ中の三月。師走の次の繁忙月だ。
なのに今月の送別会は今日の1件のみ。
その送別会も11名で貸し切りにしてくれと。
会社から宴会のすべてに中止命令が出ているためだ。
40名は入る店舗に、パラ・・・パラ・・・パラ・・・と2~3名で席を囲む。
「定年で辞める方もいる。会社は禁止しているが、このまま別れるのは忍びない。」
という申し出だった。
宴会が壊滅状態の毎日。断る理由もなかった。
私に
「でも今日の宴会は他の部署にバレても苦情が出るから、絶対内緒だよ。」
宴席の仲間内の挨拶でも
「今日の送別会はありませんから。間違っても明日会社で”送別会”などと口走っちゃ駄目ですからね。」
と幹事さん。
いろいろと普段とは違う気遣い。こりゃ、たいへんだ。

宴席が終わりに近づき、主客に各人から送辞を送られる。
そして主客のご挨拶。
残ってる方々へ 力強い言葉で会社の行く末を 託していく。
他人の会社ながら羨ましくなる。
この会社、上場会社だから規模も大きい。
私の会社とはとても比較にならないのだが、ついつい自分の会社と比べている。
私には後事を託せる社員がいないのだ。

信頼できるスタッフはいる。
しかし今、歓のスタッフは一番若いものでも55歳だ。
その者とて、このコロナ禍でいつまで雇用できるか、実に不鮮明だ。
薄々気づいているのだが、スタッフの高齢化と比例する様にお客様も高齢化している。見えない閉塞感を感じる。

レジ脇に日めくりの「今日の一言」が飾ってある。
3月24日の一言は
「喜んで貰えることを喜ぶ」
飲食はこの言葉が一番実感できる職業だと私は思っている。
その回数もほぼ毎日だ。
だから私はこの飲食が好きだ。
でも後に続く者を育てられない。
これが悔しい。

送辞や答辞を聞きながら、会社のあり方、飲食のあり方をあらためて思う。
日本中が貧乏であり、職そのものも多くなかった時代に「食いっぱぐれがない」安定した職業だった。若手も多く集まってきていた。

私の勤務時間。朝8時半には来ている。弁当業務があるとき(1週間に3日程度)は6時30分に出社している。
途中休憩があったにしても終わるのは深夜11時というのはざらにある。
仕事に対する拘束時間は実に15時間あまりある。
生産性が悪いのだ。
勤務効率が悪いのだ。

一生懸命働く人たち、せめて私が関わる従業員に関しては出来る売る限りのことをしてやりたいと思う。
しかし一昔前と違って、生産性や効率が悪くなっている。

生産性を高められたら、給与もアップ。勤務時間も縮小。
それを見つけるのが私の仕事。
・・・・・・・
糸口さえ見えない。できるかな?