木曽の御嶽山

数年前、御嶽山が噴火して大きな災害が起きた。

数ある山の中で、木曽の御嶽山は、私の大好きな山のひとつだ。
木曽福島駅で下車し、登山口までバスを使い、そこから登頂を目ざす。
確か3000メートルちょっとの標高だったと記憶している。
山頂にある山小屋で二泊ほどして下山するのが、いつもパターンだった。

登山途中で山伏姿の行者。
途中途中に、
「よく来たな。先は長い、ばてるなよ。」と声かけてくれる石仏たち。
御嶽山は信仰の山なのだ。

3000メートル級の山になると、しっかりした装備は必須だ。
避難できず1時間近く岩陰で雨を凌でも、体温が急激に下がり、自分の唇がたぶん紫色になっているだろうを、鏡がなくとも感じる。
(この雨が30分続いちゃうと、オレ、やばいなぁ!)

濃い霧に包まれ視界が遮られる中恐る恐る足を踏み出していると、一陣の風が霧をサーッと払ってくれる。一瞬濃霧がなくなり視界が良好になる。そこには私を飲み込もうとする絶壁が待ち構えていた。もう一歩踏み出してたら、奈落。

3000メートル級の山々は重装備をしていてもそんな危険にいっぱい出会う。
それが山だと信じている。
だから遭難を含め、山での危険は自己責任だ。これが基本だ。
どんなに安全を唱っていても、山はけっして油断しちゃいけない場所だ。

安倍首相の訃報のニュースの片隅に小さく
「御嶽山の噴火に対して、災難に遭った遺族が国、県に賠償請求」
の記事が載っていた。
噴火が予知できたはずだ、だから賠償、という内容だ。
残された遺族の無念さが伝わるが、噴火の予知を国、県に求めるのは無理筋だ。
噴火をも含めて「山」なのだ。

郷里鹿児島の、錦江湾にたたずむ桜島が頻繁に爆発し、その火山灰が我が町にも降ってくる。視界が悪くなり、目が開けられなくなり、閉じていても口中は火山灰でガリガリする。風が吹けば道路に堆積していた灰が再び舞い上がる。

登山途中でそんな噴火に出会ったら、
「呼吸の確保」岩陰や木陰への「火山弾からの避難」をまず、その次に避難路の確保となるんだろうな。
御嶽山噴火の映像ニュースを見た時に、何度も登った山だけに、具体的なシミュレーションを繰り返した。ふたたび私が御嶽山に登った時、噴火に出会わないという保証はない。
でも、それでも噴火に至近距離で直面すれば、ま、最悪を覚悟するだろうな。

それほど私にとって山は安全な場所ではない。そんな山に登るからにはあらゆる危険の想定をする。最悪を想定し、そしてそれでも山に登る。

「噴火が予想されたら、山には登らせなかった。」
というコメントが載っていた。
(ちょっと違うよな・・・・・。)
私の率直な感想だ。