子供という理不尽が親を育てる

明日の日曜日はなんだかんだと忙しくなってきた。
お店はお休みなのだけど。
お昼、テレビの収録がある。お店に対しての直接の取材ではない。
「はじめてのお使い」という番組で、お使いされる側のお店として登場する。
実際の撮影は11時ころなのだが、お店での撮影はおそらく13時頃。
私はプライベートで13時から約束があり、妻と二人で外出する。
撮影は社員の女性に任せる。

と、ここへ鶴瓶さんから電話がかかってきた。。
チマキの注文であり配達だ。
時間を聞いた。お昼までだと言われる。11時30分頃着く様にすれば、13時の約束は間に合う。
「ダメやったら、他の所へ頼むでぇ。」
鶴瓶さんの答えに返す。
「ダメ。ダメです。うちの注文です。」
ハハと笑って
「ほな、頼むで。」
引き受けた。

先に書いた収録する家族が食事に来た。
主人公になる男の子以外に、さらに小さい子が二人いる。
夫婦で交互に抱えながら無規則に動き回る子供を追う。
見ていて、(たいへんだな・・)と思う。
でも、そういうことを私たち夫婦も経験してきた。
怒ったり叱ったりしながら子供たちと歩んだ。
思い出しても、たいへんだった・・・。

言葉も分からない頃から、そして言葉が理解し始めた今日の子供たちも「泣く、叫ぶ、駄々をこねる」ことで親とのコミュニケーションを図ろうとする。

親は子供のワガママ(理不尽)に耐えた。
時に怒ったりしたが、耐えた。耐えた。
耐えることによって、理屈が通じない、言葉が通じない、理不尽に我慢する術を覚えた。親が育っていったのだ。

育児放棄やネグレストのニュースが時々耳に入る。
育児放棄ではなく、親であることの放棄なのだ。
加害者であるこの人たちは、たぶん同様の育てられ方(育児放棄)されてきたのだろうと思う。
理不尽に耐えてきた親の姿を見なかったからだと思う。

撮影に入るこの家族の、育児はたいへんだろうけど、子供が育ち、親が育つ姿を見ていて、何だかうれしくなる自分がいた。
仮に子供を設けたとしても私には子育てするエネルギーは微塵もない。


「頑張れよ、今しかできない頑張りだぞ!」
明日のスケジュールを確認しながら、
この子のお父さんとお母さんに エールを送っていた。