40歳になる息子へ

息子へ。
あらためて誕生日おめでとう。
私の40歳の時を思い出しながら少し話したい。

私は40歳の時に、それまで調理師だったのがホール支配人としての職務に変わった。
大きな転機だったと今でも思う。
調理師(職人)だったころは、親方の言われるがままに勤務先を転々とする立場だった。おまえたちに家を構え、定住させ切れなかった大きな要因でもあった。振り返るとこの点に関してはお母さんやお前たちに(すまないな)と思う。
その点、お前たち兄弟は早々と家を構え慶賀の至り。親としてもホッとしている。

40歳についてや、40歳からの生き方について少し話したいと思う。
古来から15歳のことを「志学」、30歳のことを「而立(じりつ)」、40歳のことを「不惑(ふわく)」と言われてきている。

40歳の「不惑」は、文字通り「生き方に疑問を感じるな、迷うな」という意味が含まれている。
家庭では、お前の子供たちを上級の学校に行かせるようになる。なのに子供たちは家庭よりも外界に重心を置き始め、親の意のままにならなくなるのもこの頃(反抗期)。
そして仕事は少なからず責任を持たせられる立場になる。

1、家庭での心構え。
おそらく人生の中で、お前も奥さんも一番忙しい時期を迎える。忙とは「忄」(こころ)を「亡」(なくす)と書く。家事や掃除など日常の忙しさに加えて、自分たちの将来や子供たちの将来に不安や心配を抱きはじめる。

家庭の中心はお前と奥さんだ。無理してでも時間を作って二人だけの時間を持つべし。お母さんに言えば子供の相手くらいはしてくれる。

2、職場での心構え
一般的に職場での立場もより上の立場に変わってくると思う。
それまでが救命や看護の技術を向上させれば済んでいたのが、課長や部長など「長」の字がつくと、たんなる技術を磨くだけではすまなくなる。仕事の内容は一人が対象である「技術取得や向上」から、複数の人を「管理」するに変わってくる。
自分のペースで仕事が出来なくなり、ストレスが増える。が、今まで一人では出来なかった仕事が、複数人が関わることで大きな仕事が舞い込む様になる。達成感も大きい。
ここは踏ん張り処、是非頑張って欲しい。

仕事の内容が「管理」に変わると言ったが、人を管理することを意味する。自分の奥さんや子供たちだって難しいのに、他人を管理する様になるのはもっと難しい。

ここは「管理」でなく「して貰う」「お願いする」というスタンスが望ましい。でも「してもらう」「お願いする」が心から出てこないと、けっこう他人は敏感に反応する。
心から「して貰う、」「お願いする」には、相手をリスペクト(敬意を払う)する様にすればやりやすいと思う。
どんな人間にも必ず一つは長所がある。それを見つけて、その長所が生きる協力を得ることができればベスト。

昔宮本武蔵に弟子入りした宮本伊織に毎日木刀を持って素振りをさせたそうな。これは毎日木刀を振ることによって腕の筋力を上げ、木刀があたかも身体の一部になることを目指させたためだ。その後で剣術を教えたと聞く。
管理する立場になるということは部下を手足の様に使えることを意味する。
ものの考え方も生き方も違う相手を自分の手足の様に使うためには相当の我慢も必要になる。

話しは長くなったが、40歳代という歳は、ひとつの意味で使われる立場か使う立場かへの岐路になる。
使う立場になれば、当然収入も増え、お前のネットワークも広がる。メリットは大きい。家庭でも職場でもメチャクチャ忙しくなる年齢だ。

そして気がつくと50歳代に突入する。
50歳代は、お前の周りの友達がそれぞれの立場でトップにつくようになり、それぞれの立場で力を貸してくれる。大きく飛躍出来る時であり、大きなことが出来る。
逆な見方をすると、人生のピークを50歳代に持って行き、大きく飛躍するための40歳代と割り切ってもOKかと、私の人生を振り返ると、そんな風に感じる。

私とお前では立場も夢も違うが、お前の50歳代ピーク時の目標を設定しても損はないかと思う。

今年70歳を迎える身として、物理(金銭)的なものは何も残せなかったが、自分の人生を後悔の無い人生だったと思う。

いつの日か終わりを迎えるにあたって、
「あの時にやっておけば良かった。」
と思う後悔よりも、
「何も残らなかったけど、よく頑張った。」
と思える後悔(?)を選んで欲しい。