昭和54年7月に結婚した。
今日がその記念日だ。数え間違ってなければ今年は45回目の記念日になる。
長い。
よく続いた。
お互い飽きもせず。
たぶんこれからも二人で歩むのだろう。
よく飲みに行く仲間が私のことを「自由人」と表現する。
私が周りを斟酌せず勝手気ままに行動するらしく、その勝手さを「自由人」と表現しているらしい。
「そんなことはない!」
と声を大にして言いたいが、ま、人と同じ事をしたり、頭ごなしに言われるのも好きじゃなく、妻からは「天の邪鬼」「ひねくれ者」と言われることが多いから、あたらずも遠からずなのだろう。
その自由人と45年間連れ添ってくれた。
よく我慢してくれたと思う。
仕事だって順風満帆でない時が多く、苦労も多かっただろうと思う。
人生の七割以上は”自由人”に振り回されていたはずだから。
子供たちが巣立っていくとともに、板橋の一軒家から職場近くの神宿に住まいを変えた。休みの日はほぼ妻と一緒だ。
これでお互いの仕事がなくなったら、妻との時間は極端に増えるのだろう。
ときどき美容室に行ったりして妻の髪型が変わったりするのだが、自由人たるせいかその変化に気がつかないことが多い。
ふくれた顔をして
「私のこと何も見てないのね。」
「いや、そうじゃない。お前は空気みたいな存在なんだ。とても大事だし、絶対に必要な存在なんだが、いなくなって初めてわかる大きな存在なんだ。」
またある時は
「手や足は、自分の行動に合わせて無意識に動くだろう。もうお前はオレの手や足といっしょなんだ。切っても切れない存在なんだ。でも、ふだんは自分の手足を意識してないだろう。」
自分の鈍感さを懸命にフォロー(言い分け)する。
(でもね、でもね、お前といっしょになった選択(結婚)は大正解だったよ。)
と心の声、死ぬ前に一回くらいは声に出して言うつもりだよ。