身延山

昨年6月、仕事上の私の恩師とも呼べる方が亡くなった。
葬儀にはもちろん出席させていただいたが、納骨などその後は何も関われなかった。仕事から離れられなかったこともあり、とにかく時間を作れなかった。
その方の信仰が日蓮宗と言うこともあり、お墓は身延山に納められたと遺族から聞いた。

ゴールデンウイーク。どこかに出かける当てもなかった。
ふと思いついて、墓参りを決め込む。日帰りでゴールデンウィークの中日だと混雑もさほどではないだろうという読みだった。
5月4日、カーシェアリングで車を手配した。妻はお昼までパートだったためにそれを待ち、出発はお昼過ぎの13時30分。

予約する時にドラレコに予定地をインプット。ETCカードを装着。
自動音声が予定地までの高速料金を読み上げる。
「料金は5千○○円です。」
(えっ?ちょっと高くない?)
ドラレコに身延町は入れたが、全体地図や行程は頭に入れてなかった。
後ほど地図で確認したとき、数個の高速道路の乗り入れがあり、料金の高さが理解できた。
行きは道路も混んでなく順調に進む。
ガソリンが少ないことに気がつく。メーターはゼロに近い。
途中のインターチェンジでいったん降りてガソリンスタンドを探す。
甲府市からの高速道路は片道1車線になる。軽の冷凍車を先頭に車の流れは低速になる。乗車時間は4時間を過ぎていた。途中の食事や給油を含めて、予定以上に時間オーバー。止むなしか。

身延町に着く。典型的な門前町。あちこちに寺社があり、お土産屋も散見する。町は身延山麓にあり、道は起伏に富む。ドラレコに従って車を走らせるが、同じ所を何回も走る錯覚を覚える。不安に駆られ、数回車を降りて目的地「妙石房」を聞いた。みんな親切に教えてくれるのだが、教えてくれる目印が微妙なのだ。川沿いに何カ所もかけてあった橋だとか、すぐ右折だとか・・・。おそらくここだろうと思わせる地点でも「すぐ右折」の選択肢が2個か3個ある。

やがて迷った。「ポツンと一軒家」に出てくる、車一台がやっと通れる半未舗装の山道にかかる。ドラレコでは道表示のないところに車の所在がある。
「鹿がいる!」
言われた方向には二頭の鹿がこちらを珍しそうに見ていた。数秒後には藪中に消えていく。野生の鹿なのだろうが、20代の頃の鹿児島で見た光景が蘇る。
(え、そういうとこ、ここ?)
ドラレコには道は映っていない。
助手席の妻は、
「ねぇ、大丈夫?引き返そうよ。」
「ねぇ、落っこちない?怖いよ。」
狭い道の運転は自信があるし、車は小さい。道の状態はおそらく一日に数台の車が通っているだろう形跡が残っている。行けるはずだ。突き当たりの道でもないはずだ。夕方5時くらいでまだ明るい。
と、走っている内にいつしか元の広い道に戻っていった。
ドラレコにも道路上に車があった。

内心ホッとする。
広い道に出たところでまた人に聞いた。
聞いたとおりに行くと、寺社及び民家が3軒ほど並んで建っていた。が「妙石房」はない。そこで子供と遊んでいる男性がいて、また聞いた。
「この道をまっすぐ5分ほど行くと目的地です。」
さらに進んだ。
教えて貰った道、1分も経たないうちに車が一台通れるトンネルが出てきた。トンネルの手前には脇道もある。
トンネルをくぐるのだったら、きっと教えてくれてただろうが、トンネルの有無は話さなかった。が、トンネル道はまっすぐ方向なのだ。
墓参りだけをすませて帰るつもりだったが、ここまで来たらと初めて「妙石房」に電話を入れた。
トンネルは進む方向だった。
トンネルを抜けると砂利道。ジャリジャリ音を立てながら林の中を走らせる。
妙石房にようやくたどり着く。住職が玄関前に出て迎えてくれていた。
住職にお墓まで案内して貰った。

墓石を前に二人でかがみ手を合わせて拝む。
が、拝んだ心の言葉は
(えらいところに墓を作りましたね。よくこんな場所を見つけましたね。)
と供養は後回しだった。

後ろに控えた住職とはもっと話したかったが、5分ほど話したら、帰り時間(車返却時間)が気になってくる。再訪を約束して妙石房に別れを告げる。

帰りも割とスムーズに晋かと思えた矢先、小仏トンネルで事故情報。片側二車線の一つが不通との情報。同時に極端な渋滞に陥った。小仏トンネルまでのパーキングエリアもサービスエリアもたぶんトイレ目的だと思える車で側道までがこれまた渋滞。

おかげさまでカーシェアリングも1時間ずつの4回延長。帰り着いたの深夜の12時近く。
ま、疲れたけど 故人のお守りのせいで 事故もおこさずおきずのほぼ11時間でした。