2024年 6月 の投稿一覧

[フカヒレ姿煮]の姿が見えない

厨房に入っていると、とにかくデスクワークがやりにくい。
油まみれ、水まみれのなかにパソコンはさすがに持ち込めない。
料理を考え試行錯誤する際も、取りあえずのメモは鉛筆かボールペンに紙に頼る。これが一番安全確実なのだ。
そして厨房とホールの境目に、まるで関所のように大きな板がかかっている。
料理を並べたり出したりする時、お客様が帰った後の下げものの置き場とけっこう働き者の「板」なのだが、厨房への上がり口が30センチほどの高さで2段になっているために、人は屈んで出入りする。身体が柔らい若い時はともかく凝り固まった老体にはかなりきつい。簡単に出たり入ったりできないのだ。

食材が毎週のように値上がりする。小幅でもこう頻繁に値上がりすると馬鹿にならない。原価率維持は非常に苦労する。
で、メニューを少しいじりたいのだ。新メニューもある。だが、食材を揃え、料理を作り、作った料理の写真を撮り、そのメニューの構成を考えたり、試し印刷をかけたりと、厨房への出たり入ったリが非常に億劫なのだ。
ネットへの変更処置もある。こういう作業のできるのは私しかいない。

そういう作業を予想しただけで気持ちはネガティブになる。という言い分けでお店のホームページもメニューもコロナ前から何も変わっていない。
コロナ前のコース料理は4000円でフカヒレ姿煮がついていた。食材高騰の折4000円や5000円での姿煮はもはや不可能!

でも、でも、そういう事を知らないお客様から問い合わせは何度も来る。その都度ホールの担当者は苦しい言い分けをお客様に伝える。

どうにかならないものか・・・・・・。
雨のない梅雨空だが、うっとうしい日々は続く。


北京ダック

少しずつ忙しくなってきたようだ。
予約が増えてきた。まだ”猛暑”や”酷暑”という暑さが来てないせいかと思えるが、毎年秋口になるまで営業的な閑散期に入る。が、手応えが少しずつ感じる。喜ばしい限り。売上的にもう少し増えると資金的な余裕が出来るはずだ。が、そうなると体力や、お店としてお客様に提供できる能力が厳しくなってくるかもしれない。自分の中で弱気と強気が交互に出てくる。

前勤務先であった頃から、そして歓ファンのオープン当初から来店されてるお客様の誕生日がお店であった。だから20年以上かよっていらっしゃるお客様だ。鍼灸師をされている。そのお弟子さんたちがサプライズで北京ダックをと注文された。
年に数回北京ダックの注文が入るが、歓ファンの北京ダックは焼かない。オーブンはあるが焼き釜のないのが大きな理由だ。歓ファンでは大きな鍋で揚げて仕上げる。
前勤務先では、約30年ほど前は北京ダックは生のアヒルから仕込んでいった。予約の日の三日前に届くように手配する。毛を取った生のアヒルが業者から届くと、アヒルのお尻に口をつけ大きく膨らませる。膨らんだアヒルを沸騰したお湯に浸し表面の雑菌を取り、そこへ蜂蜜、水飴、醋を混ぜた液を塗る。表面をパリパリに張らせるためだ。そうしたアヒルを三日ほど風通しの良いところでさらす。
前勤務先は2階にあった。その階段の途中にぶら下げていた。階段を上がってくるお客様にはビックリだったろうと思う。冬場は問題なかったが夏の暑い盛りにはそのアヒルは腐敗した。ハエがたかった。腐臭もした。
ご存知のように北京ダックは皮を食べる料理だ。時代的にもそういうことが許容される時代だった。逆にお店の「本物志向」がウリになった。
予約されるお客様が来て、北京ダックの順番が近くなると厨房では大きな鍋でアヒルを揚げ始める。
鍋の中では画像のようにきつね色に仕上げていく。時折アヒルを突いて皮の張り具合を確かめる。

北京ダックの美味しさは、皮の張り具合と香ばしさ、そしてミソの甘さの交叉した味だ。それを皮に包んで食する。
揚げる段階こそ厨房だが、揚がったアヒルをお客様の目の前で捌く。一種のパフォーマンスにお客様の視線は集まる。

今では生のアヒルから仕上げるお店を私は知らない。この方法を知っている職人も少なくなったと思う。揚げるだけのアヒルを業者は持ってくる。前述の蜂蜜を塗るのは、時としてムラがあり、当然のように蜂蜜の薄い部分は焼き色が薄くなった。そういう失敗は現代はなくなった。
それでもお客様の目の前で切り分けるパフォーマンスをやるお店はそうざらにないと思う。
北京ダックのご注文お待ちしております。

かくして誕生日の一つのイベントとなる。










ワンオペ

相棒の女性が法事で土曜日休ませてくれと言ってきた。
何の問題もない。率直にOKした。
6月2日(土)は予約は夜1組。土曜ランチはいつもさほど混まない。
多くても20名様程度。
たまにはいいか、その程度はやれるか、と一人で営業することに決めた。
一人でやることを知った、相棒の女性も妻も心配そうな顔をする。
「大丈夫?」
「間に合いそうもなかったらお客さん断るから。」

一人、ヤキソバ。一人、チャーハン。
続いてお二人。
オーダーはA定食(青椒肉絲)と担々麺。
「あ、それと、チマキを買いに来たんですけど・・・。」
「冷たいチマキですか?それとも暖めますか?」
「贈り物なので冷たいままでけっこうです。」
そのまま包めば良いことなので、楽勝だ。

厨房に入り、お湯の費を大きくしながら、A定食を準備・・・・
あ、その前にお盆にセット(全ての注文にサラダ、杏仁豆腐、お新香がつき、箸、デザートスプーンを置いて完成)しなきゃ。

ん?入口に人が立っている。お客様だ。
「いらっしゃいませぇ」
「表の看板、準備中ですよ。営業してますか?」
後にぞろぞろ人がいる。
キター!

「営業してます。何名様ですか?」
「5人です。」
「ワンオペなんで、準備中と言うことでお客様制限をしようかと。料理の出が少々遅れてもかまいませんか。」
「大丈夫ですよ。」
さあ、戦闘開始だ。
おしぼり、お茶を準備

最初の焼きソバ、チャーハンを食べているお客様も、今しがたチマキを注文されたお客様も(どうするんだろう?)という心配顔で私を見ている。
「注文良いですか?」
「焼きソバ3個と、A定食、マーラー麺お願いします。
(ん、注文、同じ商品にしてくれ・・・)とは口が裂けても言えない。
「ありがとうございます。」

頭はフル回転。できるだけ無駄な動きを避ける。
「段取り七部、仕事三部」
口元で唱えながら準備を進める。
さあ、準備は整った。あとは釜の前に行って料理を作るのみ!
と、腹に力を入れた瞬間、新規のお客様が目に飛び込んでくる。
あ、住んでいるマンションの大家さんだ。これは断れない。でもワガママは利く。
「時間かかっても大丈夫ですか?」
イヤとはいわせない。
と、話している背中で、
「カウンターの上に置いてある冷茶は私たちのものですよね。」
5人組のお客様が、トレンチに用意したお茶を見つけて取りに行こうとする。
「あ、スミマセン。用意はしたんですが、持って行くの忘れてました。」
「大丈夫ですよ。」
お客様との共同作業になってきた。

大家さんは三人組。
「注文だけするわよ。私はトロトロ冷やし。」
一番手間がかかる季節商品、だからわざとメニューは出してなかった。先日召し上がったのが美味しかったからと知人を誘って来店された模様。
が、残りの二人はA定食、B定食・・・。
うん、うん、こんな時は同じオーダーに・・・と、またまた口に出そうだったがこらえた。

厨房に飛んで戻った。待ってくれると言ってもお腹が空いているときの待たせる時間は経つのが早い。もう一石の余裕もできない。

わずかだが、同じオーダーがある。まとめて作らなくて何ぞや!
手早く準備する。
もう一度釜の前に立つ。火は全開。炎の調理人になる。

セットしたお盆に出来上がった料理を置く。スープを注ぐ。ライスを盛る。
スープなどちょっとでもこぼしたら、入れ直すのはもちろんのこと、こぼした個所を”拭く”という余計な仕事が増える。早くやる部分と慎重にやる部分と硬軟をつける。
「お待ちどおさま。」
5名様の配膳が済む。
と新たなお客様だ。
(あ、ちょっと難しいお客様だ。)
ふだんだったらどうって事ない70歳半ばのご夫婦なのだが、細かい注文が多いお客様だ。
「時間、大丈夫ですよね。ゆっくりしていってください。」
「今日、私一人だから、かまってられないです。」とは絶対に言えないが、細かい注文も今日はダメ!、との「押さえ」を含む口調で話す。
奥様が「大丈夫よ。」と旦那をなだめる役を買ってくれる。
旦那は
「早くできるものだったら何でもいいよ。」
そういう問題じゃない。でも出来上がった料理を運ぶの先決だ。
「はい、はい、ありがとうございます。」

手際は悪くない。順調に料理を出し終わった。最後のご夫婦の料理だ。
海鮮焼きソバを作った。いつもよりエビイカを多く入れる。
作ってご夫婦に配膳を終わってから、まだお茶が出てないことに気がつく。
老夫婦だ。
「温かいお茶で良いですよね。」
と持って行った後で有無を言わせないセリフ。
「おうおう。」
いつもは一言二言嫌みをいう旦那が素直に応じる。
「店長、お店の中走ってたね。」
「店長、若いねぇ。」
と奥様。
ハァハァ。
気がつけば、息も上がっていれば、背中には汗も掻いている。

瞬間的に動けるのはわかったが、最大の誤算は自分の歳を計算に入れてなかった。