北京ダック

少しずつ忙しくなってきたようだ。
予約が増えてきた。まだ”猛暑”や”酷暑”という暑さが来てないせいかと思えるが、毎年秋口になるまで営業的な閑散期に入る。が、手応えが少しずつ感じる。喜ばしい限り。売上的にもう少し増えると資金的な余裕が出来るはずだ。が、そうなると体力や、お店としてお客様に提供できる能力が厳しくなってくるかもしれない。自分の中で弱気と強気が交互に出てくる。

前勤務先であった頃から、そして歓ファンのオープン当初から来店されてるお客様の誕生日がお店であった。だから20年以上かよっていらっしゃるお客様だ。鍼灸師をされている。そのお弟子さんたちがサプライズで北京ダックをと注文された。
年に数回北京ダックの注文が入るが、歓ファンの北京ダックは焼かない。オーブンはあるが焼き釜のないのが大きな理由だ。歓ファンでは大きな鍋で揚げて仕上げる。
前勤務先では、約30年ほど前は北京ダックは生のアヒルから仕込んでいった。予約の日の三日前に届くように手配する。毛を取った生のアヒルが業者から届くと、アヒルのお尻に口をつけ大きく膨らませる。膨らんだアヒルを沸騰したお湯に浸し表面の雑菌を取り、そこへ蜂蜜、水飴、醋を混ぜた液を塗る。表面をパリパリに張らせるためだ。そうしたアヒルを三日ほど風通しの良いところでさらす。
前勤務先は2階にあった。その階段の途中にぶら下げていた。階段を上がってくるお客様にはビックリだったろうと思う。冬場は問題なかったが夏の暑い盛りにはそのアヒルは腐敗した。ハエがたかった。腐臭もした。
ご存知のように北京ダックは皮を食べる料理だ。時代的にもそういうことが許容される時代だった。逆にお店の「本物志向」がウリになった。
予約されるお客様が来て、北京ダックの順番が近くなると厨房では大きな鍋でアヒルを揚げ始める。
鍋の中では画像のようにきつね色に仕上げていく。時折アヒルを突いて皮の張り具合を確かめる。

北京ダックの美味しさは、皮の張り具合と香ばしさ、そしてミソの甘さの交叉した味だ。それを皮に包んで食する。
揚げる段階こそ厨房だが、揚がったアヒルをお客様の目の前で捌く。一種のパフォーマンスにお客様の視線は集まる。

今では生のアヒルから仕上げるお店を私は知らない。この方法を知っている職人も少なくなったと思う。揚げるだけのアヒルを業者は持ってくる。前述の蜂蜜を塗るのは、時としてムラがあり、当然のように蜂蜜の薄い部分は焼き色が薄くなった。そういう失敗は現代はなくなった。
それでもお客様の目の前で切り分けるパフォーマンスをやるお店はそうざらにないと思う。
北京ダックのご注文お待ちしております。

かくして誕生日の一つのイベントとなる。