鮨屋が消えた、蕎麦屋が消えた

ここ十年くらいで近所の鮨屋が少なくなった。大国寿司、加賀寿司、吉野寿司、松喜寿司・・・。蕎麦屋も少なくなった。なくなってきたのはすべて個人営業のお店だ。

新宿界隈で居酒屋を最大12店舗経営していた方と昨日会った。82歳と高齢だ。
その方が85歳までに全部のお店を閉鎖します、と言う。
この方の年齢が問題ではないそうだ。職人がいなくなるという。現に調理人がいなくなって閉めたお店が多々あり、残存は5店舗という。
週休二日や8時間労働を優先したゆえに離職、社食だとかチェーン展開する飲食大手に転職していった。結果的に店舗閉鎖に追い込まれたと話す。今や店舗厨房の主力は外国人に移りつつあるとも。
「新宿で飲食店を継続するにはチェーン展開しないと無理ですよ。」

身につまされる話しだ。けっして他人事ではない。全般的に見て飲食店を巡る環境はけっして楽観できる状況にはない。
店舗を出すとしても個店では信用力に劣るため、店舗を借りるという一点でもかなりの無理を強いられる。東京の家主は簡単には貸してくれないからだ。少なくとも保証金(敷金礼金にあたる)が6ヶ月~1年分くらいは必要になる。
飲食業において、研鑽すればいつかは自分のお店を出せるという夢は、少なくとも東京という土地ではかなり厳しくなる。

理由はそれぞれにあって、原因が職人不足とは限らないだろうが、個人店舗を出店するにも継続するにも、これから先、難しい局面がきっと多くなることだろう。
いっぽう朝から夜まで頑張って仕事を覚えて・・・は、私はそれなりに楽しかった。”ガンバル”を支える体力もあったし、そういう力の出し惜しみは考えることがなかった。8時間労働とか週休二日とかいう待遇面は考えなくとも、仕事を覚える楽しみは何事にも代えがたかった。覚えるごとに、洗い場→板方→揚げ方→前菜方→副調理長→調理長(新店舗)という出世階段が待っていた。
待遇面や給与面(打算)を先に考えると、覚える階段数は少なくなった。
今となっては古い考え方なのだろうが、あの当時はそうやって職人が育っていった。

一般的な飲食業は、ランチ営業、ディナー営業と主力か同時間帯が二つあり、その一方だけでは、労使双方とも採算は合わない。片方だけでは、使われる方は給与が少なく、片方ずつを二人雇うとすれば使う方も人件費がかさむ。

いずれ、高齢化がもっともっと進むだろう。若者は拘束時間の長い飲食業は避けるようになり、少なくともバイトとしての選択肢にあっても、社員としての選択肢は狭まる。
高齢化というのは、年齢の高齢化という意味以外でも、労力の少ない(効率の良い)仕事が選ばれていくという意味合いもある。
かくして日本は高齢化、別な言葉で『衰退』していく。

職人がいなくなるというのは、こういう側面も併せ持つ。
日本の政治家が、特に現在の自民党が誘導した日本だ。
平和な良い国なのだが、牙を取られた草食動物はいずれ肉食動物の衛士になるしかないのだろう。