今から20年前2004年12月3日に、この新宿六丁目で歓は誕生した。
私が51歳の時だった。飲食店開業としては遅い遅いスタートだった。
それでもまだまだ溢れるくらいのエネルギーがあった。
前勤務先はすぐ近くの新宿三丁目にあった。伊勢丹や丸井、三越、ヨドバシカメラなど蒼々たる企業が軒を連ね、日本最大の乗降客を誇る新宿駅も三丁目に含まれる。
そんな三丁目にほぼ接していた新宿六丁目だったが、「明治通り」「靖国通り」という大きな通りが間を遮っており、三丁目や歌舞伎町などの繁華街とはうってかわって閑静な住宅街という様相も帯びていた。
歓ファンのある桂ビルは木造二階建ての建物であり、歓ができるまでは普通の事務所が入居していた。
30坪。ほぼ一ヶ月を要して飲食店に改装。総席数35席の中華料理が出来上がった。メンバーは、私、妻、二戸調理長の三人が核になり5名ほどで稼働させた。
大々的な広告は打たなかった。顧客は持っているつもりだった。まして前勤務先の協力もあり、遠慮なくお客様を集められた。少なくともこの顧客が二年ほどは代わる代わる来店、あるいは新規顧客を紹介して貰えると信じていた。そのくらいの繋がりはもっていた。
自分の勢いを信じた。自分の運を信じた。
20年を経て、当時の勢いはなくなったが、この地域での知名度、密着度は上がったと思う。12年目には、六丁目町会、最大のイベントお祭りの祭典委員長を仰せつかった。医大通り商店会長も務めて8年経った。それなりの貢献はしてきたし、地域に認められてきたと思う。
東日本大震災の最中に二店舗目を開店させた。残念ながら三店舗目をオープンさせられずに縮小を余儀なくされたが、コロナ禍など思いもかけない災害もなんとか乗り切った。
20年の間には持病の糖尿病による狭心症や前立腺ガンなどを煩い身体にメスを三回入れた。その都度体力は落ちていく。気がつけば、古稀を迎えていた。顧客もそれぞれが高齢になり、来店頻度もかなり少なくなった。
歓で勤め上げた人もけっこうな数になる。名前を思い出せない人もいる。
その全てが20年という歳月に凝縮されて過ぎてきた。
12月7日土曜日 18時30分より、ささやかな周年行事をお客様と催す。
席が埋まりきれないけど。ま、こんなもんか。
身体の節々がギシギシ鳴るときもあるが、頑張った証だと思いたい。
時々身体のメンテナンスをしながら、
もうちょっとだけ・・
もうちょっとだけ・・