私に弟が二人いる。
兄弟はちょうど二歳ずつ離れている。
私は長男だ。
私の名前はよしひろ。次男はひろゆき、そして末っ子はゆきお。
しりとりになっている。
母に聞いた。しりとりは偶然になったそうだ。
が、私はこのしりとりになった兄弟の名前が気に入っている。
喧嘩はしたことあったが、兄弟仲は良い。
お気に入りが過ぎて、私は我が子にもしりとりで名前をつけた。
かずみ、みつひろ、ひろみち、と。
我が子にも仲の良い兄弟でいて欲しいと願った。
戦後支那から引き上げた父が家族を食べさせるために勤務したのが長崎県江迎町の炭鉱だった。物心ついたころは炭鉱の長屋だった。
兄弟の背景はまず炭鉱の長屋周りだった。チャンバラであり、カッタ(関東ではメンコ)でありビー玉であり、紙芝居であり、昭和を兄弟で歩んだ。
まだ親の経済状態など知るよしもなかった。ひたすら遊んだ。野や山が遊びだったし戦場だった。
親は斜陽産業だった炭鉱をやがて辞め、両親の実家である鹿児島へと引っ越す。小学校途中から兄弟の舞台は桜島を毎日ながめる錦江湾奥の加治木町へと移る。
加治木は古い城下町で、炭鉱町とは学校のレベルも違った。ひたすら遊んでいてもOKだった環境とは一変し、ある程度学業に勤しまないと成績が追いつかなかった。
私たち兄弟の遊びも読書という時間が増えた。呼応するように親は文庫本セットを買い与えてくれた。私と弟たちの読書レベルは同等で始まった。弟たちにとっては年齢以上の読書レベルになっていた。そのせいか後年三男は文筆業に携わることになる。
性格が似ていたせいか、私と三男はよくぶつかるようになった。ただまだ子供の喧嘩の範疇だった。打算がなかったから。
兄弟はそれぞれに大きくなって家庭を持つ。それぞれが三人ずつの子供をもうけた。それぞれに紆余曲折があったが、兄弟の中が壊れることはなかった。
一番下の弟が調子が悪いそうだ。
8月の誕生日で今年68歳になる。
私よりも4年若い。
どうにもやりきれない。
私たちの親父は66歳で亡くなった。
親父よりも長く生きた、と弟は言う。
でも、やりきれない。