久しぶりの友が来た。
友がその友人を連れてきた。
そのみんなと、仕事終了後に呑みに行った。
まだ体調は戻っていなかったが、それを忘れさせるくらい楽しい時間だった。
話しは座右の銘になった。
昔と今の私の座右の銘は違う。
昔の方の座右の銘「泣くよかひっ飛べ」だったという話しになった。
薩摩の昔から語られていた言葉だ。
目の前に川があって、それを飛べ越えられるか悩んでいる(泣く)くらいだったら、飛んでみろ。飛び越せるかも知れない。飛び越えられなくても川底に足がつくかも知れない。飛んでみなきゃわからないことだ。つまりは、まずは行動を起こせ、やってみろという教えだった。
あれこれ慎重に考えるより、先に動いていた私だった。聞こえは良いが、要はけっこう軽率な私だった。だから怪我する(手痛い思いをする)ことも多かった。
それでもこれまでの人生を振り返ったときに後悔は少なかった。失敗が次の次善策を教えてくれた。
でも、これは行動を起こせるパワーが私にあったこそだった。
老いてそのパワーが少なくなった今の私にその座右の銘がしっくりこない。
友には、今の座右の銘は「天網恢々疎にして漏らさず」と伝えた。
悪いことも良いことも誰かが必ず見ている、ごまかしたり騙したりしてもいつかはバレるよという意味合いなのだが、この歳になると、いつもの通りの行動になる。そしてそれは顔に出るよ、出ているよ、と。
今となって新しいことをやるにはパワー不足だが、今までやってきたことに悔いはないし、間違ったことをやったとも思ってない。
誰に褒められるわけでも認められるわけでもないが、でも、お天道様は知ってるよね、これからもできる範囲でいろいろやっていくからね、という意味で私は使っている。自分に恥じないか、という基準。
友たちも大いにうなずいてくれた。
この歳になってこういうことを語れる友がいてくれるのが、私は恵まれている証拠かも知れない。
三人ともそれぞれに好々爺の顔になっている。
美味しい酒の一晩だった。