2025年 4月 の投稿一覧

平櫛田中

死にたくても、死にたくなくても、怖くても、嫌でも、やってくる「死」
4歳下の弟の余命宣告を聞いてから、けっこう考えさせられた。
もちろん今までだって「死」については何度も考えたことがあったし、どんどん身体の老化がすすみ、否応なく「死ぬ準備をしろ。」との神様の声は聞こえている。
知人友人のなかにも故人になった人はいる。身近になってきているのだが、まだ自分と切り離して考えているところがあった。

仕事がきつい。
身体的にきついのではなく、営業的にまわすのが厳しいと感じるのだ。
あ、訂正。身体的にもきついのだが、会社の未来(といっても数ヶ月~数年程度なのだが)を社長としての立場で考えると、人員補充を真剣に考える必要を感じているのだ。
私が倒れる、傷病で身動きが取れないという状況での、会社やお店の苦難を逃れる方法を見つける手立てが欲しい。
そのための人員補填だ。

生死は神様におまかせするとして、とりあえずまだ生きている。仕事(会社)が続いている。存続を優先させようと思う。
お先が見えない中で私の結論なのだ。

身体に不自由が少しずつ来ているが、まだ動いている。判断力もまだ残っているようだ。従業員の生活や借金など引退できる状況でもない。逃げられない。とすれば、攻めるしかあるまい。

普通にストレスなのだろうなと思う。これが寿命を縮める要因かも知れない。若い時だったら普通に反発力に変換することができるのだろうけど、まだその反発力が残ってるかな・・・。と思う今日この頃。

108歳で亡くなった、彫刻家平櫛田中。この方が98歳で発したという言葉、
「俺がやれねば誰がやる。今やらねばいつやれる。」
先達はえらい!
72歳になろうという今こそ倣わん。

でも・・・明日になれば・・・
強気と弱気が交互にやってくる70歳過ぎの毎日です。

BPPV

先日胃腸炎の話しを書いたが、日曜も体調がおかしい。
土曜日に兄弟、息子、孫と30名近くが集まった。
子供が10人程度、大人が20人程度。
歓ファンのお店を使った。だから料理は私が全部作った。
数日前から準備をし、当日の仕入れ仕込みもほぼ一人でやった。
仕込みが終わってからも、料理を出す段取りを頭の中で繰り返した。
けっこう神経は使ったようだ。

途中から宴席に加わった。会そのものは兄弟それぞれの子供たちが仕切ってくれた。タバコ組の弟たちは店外の灰皿が置いてあるところで話し込んでいた。私も加わる。余命宣告されている末弟なので、こういう機会は最後かも知れない。
酒の勢いも加わったが、調理という仕事の後で私の気持ちがまったく落ち着いてなかった。老齢と疲労と酔いがからまり、途中から参加する弟の子供たちが、弟の最後の話す内容を絞り込めさせてくれなかった。
兄弟とそれぞれの子供たち、孫たちが集まった会はとても楽しかったのだが、それを上回る疲労と仕事から解放された身体が、宙に浮いていた。

次の日、兄弟夫婦の会を持つつもりだった。が、まったく起きられない。身体が重い。起き出したのはお昼過ぎ。お店に入っている妻から電話があった。
鹿児島の次男夫婦がお店で待ってるよ、という電話。

隣のお店で長男次男夫婦の食事を取った。
私はハイボールを頼んだ。飲んでいる最中に少し目が回る。酔いだけのせいではない。。ハイボールはまだ一口程度しか飲んでない。
床の方を見ていた。急に視界がぐるぐる回る。
えっ、これ何?
座っているイスを掴んで踏ん張ろうとするが、今度は吐き気を催してくる。
先日の胃炎になったときと同じような症状だ。
弟夫婦に気を遣わせたくなかったから、平静を装うが、もしかしたら顔色も悪くなりかけていそうだ。
床ではなく、上の方を見ていたら症状が落ち着く。
えっ、これ何?

近くのホテルに向かう弟たちと別れ、いったんは隣の自分の店に戻る。
素直に妻に自分症状を話し、少し横になってから家に帰ると伝える。
「下を向くと目眩がする、吐き気がする」で検索をかける。

BPPVらしい。
難聴や下痢はない。
症状は一致する。
60歳以上、つまり高齢者にでてくる比率が多い。
疲れやストレス、睡眠不足が誘発するとも出ていた。
全部当てはまる。
年を取って初めて体験することが増える。
見た目は若作りでも、確実に高齢化しているようだ。

末っ子弟の余命宣告。鹿児島から出てきた弟のヨタヨタ歩きの危なっかしい足下。
三組の兄弟夫婦6名。集まってくれた子供たち孫たちから、本物のじいちゃんばあちゃん扱いは、数十年前の私たちが接した自分たちの親たちと同じじゃないかとあらためて愕然とする。

時の流れ。
初めて経験した「BPPV」も老化を確実に教えてくれた。

座右の銘と好好爺

久しぶりの友が来た。
友がその友人を連れてきた。
そのみんなと、仕事終了後に呑みに行った。
まだ体調は戻っていなかったが、それを忘れさせるくらい楽しい時間だった。

話しは座右の銘になった。
昔と今の私の座右の銘は違う。
昔の方の座右の銘「泣くよかひっ飛べ」だったという話しになった。
薩摩の昔から語られていた言葉だ。
目の前に川があって、それを飛べ越えられるか悩んでいる(泣く)くらいだったら、飛んでみろ。飛び越せるかも知れない。飛び越えられなくても川底に足がつくかも知れない。飛んでみなきゃわからないことだ。つまりは、まずは行動を起こせ、やってみろという教えだった。
あれこれ慎重に考えるより、先に動いていた私だった。聞こえは良いが、要はけっこう軽率な私だった。だから怪我する(手痛い思いをする)ことも多かった。
それでもこれまでの人生を振り返ったときに後悔は少なかった。失敗が次の次善策を教えてくれた。
でも、これは行動を起こせるパワーが私にあったこそだった。
老いてそのパワーが少なくなった今の私にその座右の銘がしっくりこない。

友には、今の座右の銘は「天網恢々疎にして漏らさず」と伝えた。
悪いことも良いことも誰かが必ず見ている、ごまかしたり騙したりしてもいつかはバレるよという意味合いなのだが、この歳になると、いつもの通りの行動になる。そしてそれは顔に出るよ、出ているよ、と。

今となって新しいことをやるにはパワー不足だが、今までやってきたことに悔いはないし、間違ったことをやったとも思ってない。
誰に褒められるわけでも認められるわけでもないが、でも、お天道様は知ってるよね、これからもできる範囲でいろいろやっていくからね、という意味で私は使っている。自分に恥じないか、という基準。

友たちも大いにうなずいてくれた。
この歳になってこういうことを語れる友がいてくれるのが、私は恵まれている証拠かも知れない。
三人ともそれぞれに好々爺の顔になっている。

美味しい酒の一晩だった。