2026年 2月 の投稿一覧

銀座の恋の物語

2月15日日曜日。
お店は定休日だったが、一組22名の予約があったため予約のみの営業。
予約はお昼から。宴会を終え15時過ぎには掃除も終わった。
一組とはいえ朝9時頃から準備が始まった。夫婦とも少々疲れ気味。15時過ぎに家に帰り着き一寝入りする。
そろって目が覚めたのは18時ころ。お腹も減った。それで食事に行こうということに。

新宿三丁目に「ステーキあづま」という洋食屋があった。このお店が店じまいをしたのが夏頃だったと思う。前職の中華レストラン店長時代からオーナー家族と仲良くさせて貰っていた。お値段もお手頃。ボリュームもあり美味しかったお店だった。昔ながらの店構えと店内も落ち着いたたたずまい。夫婦でよく通ったお店でもあった。
オーナーには非常に懇意にして貰い、前職を辞めた当時はこのお店の店長にならないかとありがたい申し出を受けたころもあった。
そのお店が店じまいをして、夫婦で出かける先のリストが一つ減った。

この「ステーキあづま」には別店舗がある。銀座店だ。銀座六丁目。
こういう場所で営業しているのに、ほぼ家族で営んでいる。現在は娘さんが社長としてお店に立つ。

妻に「あずまに行こうか。」と誘う。
「えっ、銀座まで・・・」
少し考え込んだが、了承した。了承すると同時にちょっとおめかし風に服を選び始めた。
着替える前のカジュアルな姿を見ながら
「そのままでもかまわないけど・・・」
「だって銀座でしょう。」
「もう暗くなってきたし、新宿と違って誰かと会う可能性もほぼないし・・」
「ダメ!」

このあずまで歓のチマキを扱って貰ったこともあり、配達で何度も訪れたお店だ。丸ノ内線で銀座駅に着いた後もスタスタとお店に向かった歩いた。有楽町駅を背に、みゆき通りの一本向こう通り。
「場所、わかるの?」
慣れない銀座を歩きながら、そしてオシャレな町並みにキョロキョロしながら妻が尋ねる。いつの間にか私の袖を掴んでいる。
若干早足の私に、妻は一人になって迷子になるまいと、無意識に私の袖を掴んでいるようだ。
「銀座は任せとけ。」とまでは言えないが、地図上の位置は把握できてる。
妻に
「銀座が似合ってるじゃないか。」
と冗談交じりに声かける。明るいネオンの光に映る妻の顔ははしゃいでいる。

お店に着いた。
新宿店にいた、オーナーの弟さんが迎えてくれた。
見慣れた顔を見て妻も一安心したようで、私に続いてオーダーを
「私もハイボール!」
「お、銀座の女に見えるぞ。」
妻の、へへと笑った顔から一転「ゲップ!」
「おい、銀座の女もゲップするのか?」
そーっと周りを確かめながら
「誰も聞いてな~い。」

たまには場所を変えての食事も楽しいらしい。
電車で時間をかけただけの価値が妻にはあったようだ。


鳥せん

営業年数は40年ほどだと思う。
歓の隣の焼き鳥屋「鳥せん」の建物の解体が始まった。
私のお店が21年だから、そのずーっと前からのお店。
頑固な親父さんとその奥さんが店を守っていた。
腰を痛めて3年ほど前に引退、閉店。
屋号の「鳥せん」が「鳥けん」に変わっても、あの店のイメージは頑固な親父さんがついて回る。

どんなものでもいつかは終わりが来る。
そうわかっていても、
もしかして明日は看板でもある赤提灯の灯がともるのではないか・・・・
と、歓にかぶせながら、心のどこかで引きずっている。

歓がオープンした頃を思いおこすと、ずいぶんとたくさんのお店が静かにお店を閉じていった。
毎日黒塗りのハイヤーが数台止まっていた「加賀寿司」、
朝方まで営業していた「吉野寿司」、
吉永小百合が来ていたという「大国寿司」、
酒が進む、少し塩っぱめの小料理屋「秋田おばこ」
毎年大晦日にお世話になった日本蕎麦屋の「成田屋」
やさしい味付け、親娘でやってた弁当屋「心花」
東北なまりが聞こえる山形出身の天ぷら屋「天悦」
ピアノやドラムが置いてあり、生バンが楽しめる「ノアノア」
全部、歓がオープンする前にあった素敵なお店たち。
昭和が漂っていた。

気がつけば、巻き戻しのない、コツコツと時を刻む時計の音だけが、医大通りに響いている。