営業年数は40年ほどだと思う。
歓の隣の焼き鳥屋「鳥せん」の建物の解体が始まった。
私のお店が21年だから、そのずーっと前からのお店。
頑固な親父さんとその奥さんが店を守っていた。
腰を痛めて3年ほど前に引退、閉店。
屋号の「鳥せん」が「鳥けん」に変わっても、あの店のイメージは頑固な親父さんがついて回る。

どんなものでもいつかは終わりが来る。
そうわかっていても、
もしかして明日は看板でもある赤提灯の灯がともるのではないか・・・・
と、歓にかぶせながら、心のどこかで引きずっている。

歓がオープンした頃を思いおこすと、ずいぶんとたくさんのお店が静かにお店を閉じていった。
毎日黒塗りのハイヤーが数台止まっていた「加賀寿司」、
朝方まで営業していた「吉野寿司」、
吉永小百合が来ていたという「大国寿司」、
酒が進む、少し塩っぱめの小料理屋「秋田おばこ」
毎年大晦日にお世話になった日本蕎麦屋の「成田屋」
やさしい味付け、親娘でやってた弁当屋「心花」
東北なまりが聞こえる山形出身の天ぷら屋「天悦」
ピアノやドラムが置いてあり、生バンが楽しめる「ノアノア」
全部、歓がオープンする前にあった素敵なお店たち。
昭和が漂っていた。

気がつけば、巻き戻しのない、コツコツと時を刻む時計の音だけが、医大通りに響いている。