最相葉月さんが書いた日経新聞のコラム。
身につまされたので、シェア。
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半年前、猫が死んだ。もともとウイルス性の鼻炎を患い、亡くなる数カ月前から出血が続いたが、最後はほとんど苦しむことなく静かに息を引き取った。人間でいえば80歳を超えている。十分生きたと思う。
飲んで食べるという生存の土台を自ら手放すことによって、いのちの炎を少しずつ消していった。寝ている時間が多くなり、食べ物を受け付けなくなってから3週間、水を飲まなくなってから1週間。だんだん呼吸の間隔が長くなって、最後に二つ、大きな息を吐いて臨終となった。
正確な死因は不明だ。レントゲンで腫瘍らしきものは見えたが、手術はむずかしいと判断し、対症療法的に鼻腔(びくう)の通りをよくする蒸気を嗅がせるぐらいで延命治療は行わなかった。これは過去に飼った2匹の猫をめぐる苦い経験が教訓になっている。
1匹目はベランダからの転落死、2匹目は腎不全だった。1匹目の衝撃が大きすぎたせいか、2匹目はとにかく死なせてはならないと何度も病院に連れていった。口をこじ開けて注射器でエサをやったこともある。この猫は苦しみながら死んだ。死に向かっている体を人工的に生き長らえさせたからだと思う。かわいそうなことをした。
末期がんだった私の父は8年前、尊厳死を遂げた。54歳で若年性認知症になった母のことは近い将来、私が判断しなければならないだろう。長い付き合いなので理解しているつもりだが、その瞬間に娘のエゴが邪魔しないとも限らない。私自身の番が来たときのことはもっとわからない。猫たちが身をもって教えてくれたことを胸に、よくよく考えておかなくてはならない。