私の調理師歴は17年ある。新橋の新橋亭(しんきょうてい)をスタートして実に様々なお店を渡り歩いた。その中で比較的長いお付き合いをさせていただいたのが前勤務先「胡座楼あぐらろう」のO調理長。今は引退されている。
この人のもとで様々なお店に修行に行かされた。様々なお店を渡り歩いた主な理由だ。調理の師匠は一貫してこの方だった。
この調理長、料理に関しては天才だと、私は今でも思っている。
この方の下で育った調理人は、私の知っているだけでも10指に余る。
かくいう私もそうだったし、歓ファンの前調理長も兄弟弟子だ。
残念ながら調理師としての私は大成しなかった。
その修業時代のこと。
今でこそ冷凍でフカヒレは入荷するが、あの当時はフカヒレもツバメの巣もアワビもナマコも、乾物状態から時間をかけて戻した。
戻すにもそれぞれ素材なりの苦労があった。
・ツバメの巣は乾物の中に混ざっていた細かいゴミを爪楊枝でえり分けていた。
・ナマコは油を一切嫌う。油を扱う中華の厨房で、丁寧に丁寧に手を洗ってから下処理をした。水面に少しでも油膜が残るとメチャクチャ怒られていた。
フカヒレは「く」の形をした乾物を、
1、骨が残る部分を中華の出刃包丁でたたき切り落とす。「く」が「✓」の形になる。1階に処理する枚数はだいたい20枚程度。あの当時で1枚2000円~3000円した。今思い出してもかなり大きいフカヒレだった。お店に出すときは3万円程度に変化する。
2、一回お湯を潜らせ、柔らかくなった鮫肌表面の黒い薄皮を亀の子タワシでそぎ落とす。海鮮ものの特有の臭みが調理場じゅうに広がる。
3、一旦洗ったフカヒレを、大きなボールの底にザルを置き、ボール縁に沿って並べる。たっぷりの水を張る。弱火にかける。後は沸騰を待つだけ。
4、沸騰を待つと言ったが沸騰直前で火を止める。煮崩れが起きては商品価値がグーっと下がるからだ。火を止め、水を変える。また火にかける
5、これを一日2回、約10日間かけて、口の中で「くッ」と軽く噛み切れるくらいの柔らかさまで持って行く。
下処理は以上。お客様から注文が来る。
6、調理に使うのは白湯ぱいたん。当時使う調味料は醤油と胡椒だけだった。
7、鍋にネギの香りのついた油を馴染ませ、白湯、フカヒレと置いていく。
8、鍋の中のフカヒレに、フカヒレ脇に滲む白湯をオタマで掬(すく)ってはフカヒレにかけていく。こうしてフカヒレに味を含ませる。
焦げを防ぐために鍋は常に釜の上で回す。時折ネギ油を垂らすようにつぎ足し、フカヒレを鍋肌にそってなめらかに滑らせる。
9、フカヒレ下半身に味が含まれたころ合いを見計らって、鍋を大きく振り回す。フカヒレを空中で一回転させるのだ。
余談だが、この時の調理長が一番かっこよかった。反転させた勢いで煮崩れを起こしてはこれまでの努力が一切無駄になる作業だ。かといってヘラで返すようでは、部下の手前、カッコつかない。まだ職人技が生きていた頃だ。
10、返したフカヒレを同じようにネギ油を鍋肌に回しながら味を含ませていく。
11、別鍋で湯通しした青味(当時は青梗菜か芯取菜)を皿に敷き、かぶせるようにフカヒレを置く。鍋に残った煮詰まったタレをかけて仕上がる。
白湯と醤油が混ざった薄茶色のソースにネギ油の光沢が、実に旨そうに仕上がる。
フカヒレの姿煮、実に手間のかかる料理だ。料理の価格はこの手間代と言っても差し支えない。高級料理店を働いているときには、フカヒレ姿煮あんかけご飯を賄いで食べていた。食べること、味を確かめることが修行のひとつだった。
長い説明文のなかに書いたように、砂糖は一切使っていない。
素材のフカヒレはコラーゲン豊富だが、糖質はない。
なのに糖質量は多い。トロミを引き出す片栗粉に原因がある。
普通の家庭で作るあんかけ料理とプロが作る料理の大きな差に、この片栗粉の使い方がある。
片栗粉の粘度をネギ油で切っていく。白湯を加え、ネギ油で切るという作業を繰り返すことによって、数十年寝かしたようなトローっとしたソースに仕上がってくる。そのソースがフカヒレに絡むことで旨味が二倍、三倍になってくる。
増粘剤は他にもあるが、片栗粉にまさるトロミはない。
結果的に片栗粉は普通の料理のあんかけより多く使う。
糖質が高い理由だ。
でも私は厨房に制限させてない。
ここは料理屋だから、この「美味しさ」は妥協してはいけない場面だと信じているから。