商店会新年会・・中止

この医大通り商店会の会長を務めている。
繁華街でもなく、ビジネス街でもなく、医大通りという通りを中心とした商店会だ。医大通りは新宿五丁目と六丁目の間を通り抜け、明治通りと靖国通りを結ぶ線上にある。その途中に東京医科大があり、それに因んで「医大通り」と称する。

この地域、東京医大をはじめとして東京総合芸術高校、新宿中学、富久小学校、天神小学校と学校が多い。
新宿五丁目は商業地区であり、新宿六丁目は住宅地区である。
いろいろな要素が混ざり合っている地域なのだが、いろいろな要素が逆に中途半端を与える地域でもある。

新宿地域外のお客様に
「お店に行くのに目印ありますか?」
と聞かれるが、返答に困る。
東京医科大学病院は西新宿にあり、こちらはけっこう知られているのだが、本家の大学は実に地味だ。東京女子医大と間違えられることもある。「医大」を冠している割に東京医大はランドマークになってない。

医大通りは、靖国通りから歌舞伎町へ抜ける裏道にあたる。
靖国通りや明治通りには及ばないまでも、医大通りの交通量はかなり多い。そして道は狭く、坂道もある。
車はスピードを出して通り抜けるため、通りを横断するのにけっこうヒヤヒヤする。交通量の割あいに比して人通りは少ない。

ホテルが多く、民泊も筍の様にあちこちに散見される。コロナ禍の前はインバウンドの外国人客がたくさん見受けられたのだが、今は街自体が閑散としている。

この地に店を出し18年になる。
18年前に店を出し、すぐに、
(あ、ここはこの場所はお客様を待っててはダメだ!)
薬膳だったり、落語家やミュージシャンなどを呼んで様々なイベントを起こした。
営業に励んだ。遠方からお客様を呼ぶ必要があったのだ。

だからこの地で商売するつらさを当初から感じていた。
分かりやすく言うと立地が悪いのだ。
後から出店する人たちに少しでも力になれればと、商店会長を引き受けた。
この町に人を呼び込むことが出来れば、地域活性にもつながるし、ひいては商売繁盛につながると考えたからだ。
今でもこの考えは間違ってないと思っている。

しかし、排他的な地元にこだわる人たち、干渉を受けたくない独り身住宅など、盛り上がりは欠ける。難しい地域なのだ。

商店会長を引き受けてから、18名だった会員も50名近くまで増やした。会員の平均年齢も70歳近くあったのを40歳代まで下げた。
会員に若い人が多くなってきたのだ。
若い人たちが増えたことで、活力も出てきた。

会長を受けてから5年ほど経つ。会員の若者たちが会の原動力になってきた。
動ける様になってきたのだ。
昨年末11月に「医大通り音楽フェスティバル」を開催した。これで三回目だ。
時を置かず1月30日に「商店会新年会」、2月1日~2月末日までスタンプラリー、その抽選会を3月13日に企画した。

それぞれに音楽フェスティバルを含め、三つのイベントにそれぞれの準備委員を数名ずつ頼んだ。
おおまかなタイムスケジュールと、準備項目を委員に知らせ、任せた。
悩むだろうなと思える細部は、その都度、
「○○○はどうするつもり?」
などと聞き出していった。

新年会を担当させた若者は20歳代の女性だ。
文面を作成し、LINE、Eメール、郵送、彼女の名前で案内状を送った。
おかげで、区長、衆議院議員、都議2名、区議と偉い人たちから参加の返事を貰った。

その矢先にオミクロン感染者数、都内で1,000人を超えた。
多少の非難があってもそれは私が受け、開催方向で進めていた。
しかし偉い人たちを呼んだが故、新年会の開催を危惧した。

そして断念。
私も悔しかったが、実行委員の女性と、会場提供のホテル担当女性もガッカリしただろうなと察する。

彼女たちには
「4月か5月に商店会総会を開き、その後の懇親会にご招待しましょう。」
と伝えて終わった。
オミクロンは毒性も小さくなったと聞く。
経済が麻痺するような、そして人と人が出会えなくなるような、そんな脅威は少なくなったと思えるのに、先に進めない悔しさと自分の無力さを感じさせられた一日になった。