東京都で11日に確認された新型コロナウイルスの新たな感染者は805人でした。先週の土曜日から10人増えました。
3月11日のニュースだ。
まだ流す必要があるのか。
興味を持った人が、例えば厚労省や保健所のホームページで調べればすむことじゃないのか。
東京都の人口を知っているか?
1,200万人だ。
12,000,000人のうち、800人であり、10人の増加だ。12,000,000分の10人って、宝くじと同じくらいの確率?
800人から10人増えたのなら、それ以上の犠牲者が出ている交通事故の数、死者数なども、速報するくらいのニュースとして扱え、と心の中で思っている。
と、まあ、私の中ではコロナはその程度のものに変わってきている。
それよりも、コロナが少なくなった分、町にこれだけ活気が戻ってきました、もっと人との出会いを作りましょう、と伝えてほしい。
物価が急激に上がり、真っ先に旦那の小遣いが直撃を受け、安い牛丼屋や立ち食いそばの店は行列をなしているのだが、中途半端な大きさの私どもが出している店は、お客様が来ない。まだまだ少ないのだ。
コロナウイルスでなくてお客様”来るなウイルス”、そろそろ終わろうよ、飽きたよ。
2023年 3月 の投稿一覧
厨房
厨房に入ると、外界と遮断されるせいか、時間が止まったように感じる。
お客様との会話も極端に少なくなるために入手する情報も少ない。
逆に調理に専念できるようにはなる。
私は食べることは大好きだったし大食漢だった。だが料理は決して好きだったわけではなかった。
歓は14年間勤め上げた初代調理長を含め計4名の調理長がいた。
それなりに特徴があり、作るものもその特徴が出ていた。調理長自身もそれぞれの料理に対してのこだわりが大なり小なり持っており、それで自己を表現していた。
厨房に入り2ヶ月が過ぎた。
慣れてきた。
慣れてくると同時に料理感が戻り、いろいろ作りたくなってくる。
まかない一つとっても、
(今日は何を作ろうかな?)
とちょっとだけ迷う。食べてくれる人(スタッフ)が身近なだけに、その人たちの好きなものを作ろうとするし、これもあれも作って食べてもらいたいと、作る意欲は大いに出てくる。食べるときの表情が目の前で展開されるから、作りがいがあるのだ。
それでも厨房から離れていた25年の歳月は長い。勘が戻るのに2ヶ月もかかっている。だが確実に25年以上前の記憶を身体が思い出してくれる。
ありがたい、と思う。
私に料理を教えてくれたOさん一昨年他界した。
でもこの人から教わった調理技術が私の身体の中でまだ生きていた。
基本だったのだ。だから思い出すことができたのだろうと。
調理の師匠は50歳ころからお金で人生を狂わせた。
悲惨な末路になった。
が、料理に関しては天才だったし、この人の調理に妥協はなかった。この方のその最高の時に出会った。基本を教えてもらった。
それが今、私を救っている。
感謝しかない。
パソコンを打ちながら、打つ両手のひら、二の腕のあちこちに火傷傷のあとが見える。やけど跡は調理という職業病の一つなのだろうが、
(俺って、仕事は下手だなぁ。)
数十年ぶりだし、高齢だし、と言い訳はたくさん言えるが、単純に作業が下手なんだと思う。
厨房に入り、調理に専念できると、それはそれで楽しい。
専念できるとね。