厨房

厨房に入ると、外界と遮断されるせいか、時間が止まったように感じる。
お客様との会話も極端に少なくなるために入手する情報も少ない。
逆に調理に専念できるようにはなる。

私は食べることは大好きだったし大食漢だった。だが料理は決して好きだったわけではなかった。
歓は14年間勤め上げた初代調理長を含め計4名の調理長がいた。
それなりに特徴があり、作るものもその特徴が出ていた。調理長自身もそれぞれの料理に対してのこだわりが大なり小なり持っており、それで自己を表現していた。

厨房に入り2ヶ月が過ぎた。
慣れてきた。
慣れてくると同時に料理感が戻り、いろいろ作りたくなってくる。
まかない一つとっても、
(今日は何を作ろうかな?)
とちょっとだけ迷う。食べてくれる人(スタッフ)が身近なだけに、その人たちの好きなものを作ろうとするし、これもあれも作って食べてもらいたいと、作る意欲は大いに出てくる。食べるときの表情が目の前で展開されるから、作りがいがあるのだ。

それでも厨房から離れていた25年の歳月は長い。勘が戻るのに2ヶ月もかかっている。だが確実に25年以上前の記憶を身体が思い出してくれる。
ありがたい、と思う。
私に料理を教えてくれたOさん一昨年他界した。
でもこの人から教わった調理技術が私の身体の中でまだ生きていた。
基本だったのだ。だから思い出すことができたのだろうと。
調理の師匠は50歳ころからお金で人生を狂わせた。
悲惨な末路になった。
が、料理に関しては天才だったし、この人の調理に妥協はなかった。この方のその最高の時に出会った。基本を教えてもらった。
それが今、私を救っている。
感謝しかない。

パソコンを打ちながら、打つ両手のひら、二の腕のあちこちに火傷傷のあとが見える。やけど跡は調理という職業病の一つなのだろうが、
(俺って、仕事は下手だなぁ。)

数十年ぶりだし、高齢だし、と言い訳はたくさん言えるが、単純に作業が下手なんだと思う。
厨房に入り、調理に専念できると、それはそれで楽しい。
専念できるとね。