「ねぇ、ねぇ、聞いて。」
宴会がまさに始まろうとする、その時にカウンター越しに妻が厨房の私に話しかける。
「急ぐ話しか?でなきゃ、後にしてくれ。」
「ふん・・・だ。」
不満そうな、その様子で急ぐ話しじゃないのは分かった。
宴会が落ち着き、ある程度の後片付けが終わった時点で
「話しって何だ?」
「ねぇ、ねぇ、私、夢見たの!」
はぁ?
どこか天然どころのある妻の顔を見ながら
「他のスタッフやお客様もいるんだからな。ちゃんとした話しなんだろうな?」
「私、夢見たの。」
(はぁ!仕事中にする話しかよ・・・・。)
「で、・・・」
「夢の中で嘉博さんが出てきたの。」
部下の前やお客様の前では私のことを”社長”と呼ぶのだが、プライベートでは私のことを名前で呼んでいる。
しかし一気に力が抜ける。
「それで・・。」
妻が夢の中で、私が出てきたこと、料理を作ってくれたなど、妻に対して行った行為のあれこれを話す。
妻には仕事のことでふだんよく無理を言ってるから、他愛のない話しでも ある程度は聞いてる。
一通り聞いたあとで妻に言った。
「おい、勝手にオレのことを夢の中で出しているんだろ。オレの出演料は?」
2024年 1月 の投稿一覧
久しぶりの友
正確に言うと友達じゃない。
同い年なのだが、大変お世話になった方だ。
大学の教授をされている方だ。
70歳で教授の仕事も定年だと、今日会うなり言われた。
東京と京都の大学で教壇に立たれている。
ワインに詳しく、美味しいものにも詳しい。この先生といろいろなレストランに食べに行った。お互いに美味しいところ、美味しい料理の披露合戦になっていた。
途中コロナ禍もあってか、久しぶりの、数年ぶりの予約だった。宴席は6名。
5000円のコース料理を頼まれていた。
それなりに気を遣った料理をサービス気味に出した。
宴席のお仲間は先生や私と同年齢か、ちょっと上の、いわば高齢者にちかいメンバーだった。
料理が出終わり、宴席の近くに行くが、仲間内の話しに興が乗ってか、私への声かけはなかった。
そして、宴会は終わりを迎え、それぞれがコートなど帰りの身支度に。
先生のそばに行き、お礼を伝える。
「京都での生活が中心になるし、東京へも来るけど、昔みたいには来れないね。梅さんも元気で頑張って。」
・・・・・・
料理に対しての言及はなかった。というか、そういうものへの興味より余生、残り時間の使い方に気が向いていた。
容姿も立ち居振る舞いもスマートな先生だったのだが、その先生からアクが抜けかけていた。アクと言うより欲がなくなってきているようだ。
70歳という同い年としてその気持ちはすごーく分かるのだが、やはり寂しい。
「梅さん、元気で・・・」
去り際にふたたび言われた。
「先生もお元気で。」
う~ん、この先生とは違う挨拶で別れたかった。
「京都で美味しいお店を見つけたから、梅さん、今度いっしょに行こうよ。」
お世辞でも、叶う夢でなくてもいいから、そんな言葉を聞きたかった。
なんか70歳になったら、寂しいことが続く。
そのことが余計寂しい。
友の訃報
同級生よりメールが入った。
「訃報」とのタイトル。
えっ、誰・・・?
メールを開くと、小中高いっしょだった友人の名前があった。
「肺がんのため1月21日に亡くなった。」と書いてある。
明るい奴だった。本人だけでなく周りまで明るくしてくれた奴だった。
すこぶる元気だったときの顔だけしか思い浮かばない。
そう言えば昨年11月開催の同窓会に彼は来てなかった。
もうあの時から闘病生活が始まっていたのかも知れない。
なぜ彼の不在を聞かなかったのか、今になって後悔する。
同級生だから同じ70歳。
手の届く時間帯で私にもやってくる死期だ。
そういう年齢なのだ。
わかっているんだけど、私にはまだその実感がない。
だからいっそう友人の死はショックだった。
・・・・
・・・・
家は福島県郡山市にある。
通夜告別式ともに簡単に行ける場所ではない。
何も出来ない。それが余計に悲しい。
ただ、ただ、ご冥福を。
バンビ
新宿に「クリアソン新宿」というプロサッカーチームがある。
その2024年新体制発表会というのが西新宿であり、妻と二人で出かけた。
クリアソン新宿には、商店会のイベントでもお世話になり、私がサッカーが好きだったこともあり、心から応援しているチームだ。
終わって会場を後にしたのが16時頃。中途半端な時間だったが、お腹がすいた。
「どっか食事でもして帰ろうか。」
と言ったら、妻もお腹が空いてたらしい。
「久しぶりにバンビに行く?」
昔、新宿サブナードにオープンした「ダイナステイ好(はお)」というお店で仕事したことがあった。ガスを使わない全て電磁調理器という、強い火力を必要とする中華では珍しいお店だった。
そのお店の真向かいにあったのがステーキとハンバーグのお店「バンビ」だった。店長(名刺は常務)の菅原さんには当時からお世話になり、仲良くさせて貰っていた。もう40年ほど前のことだった。
バンビはカウンターがあってオープンキッチンだ。菅原さんが働いている姿は丸見え。 まだ元気で働いている。
聞いた。
「菅原さんて何歳になったの?」
「もう76歳だよ。」
いい加減くたびれている70歳になった自分と比べて、店長に
「もう仕事辞めても大丈夫じゃないの?」
「そうなんだけどね、仕事しているのが楽しいんだよ。」
”借金まみれ”が辞められない理由の大部分を占めている私なのだが、私も仕事は大好きだ。自分がまだまだ成長する余地を発見できるから、仕事は辞められないし辞める気も当分ない。
菅原さんも同様らしいが、それにしても元気だ。たぶん仕事あることが元気さを保たせてくれてるだろう。
菅原さんとのおつきあいは長い。
調理人として働いていた昔、その当時の親分から新規オープンを手伝ってくれと言われて出向いたお店だった。サブナードという途中休憩が出来ない性質の立地で、それでもお客様の来ないアイドルタイムに厨房の中に段ボールを敷いて寝ていた。電磁調理器だらけの厨房は異様に暑く、汗かきながら昼寝していた覚えがある。当時の30代半ばの私もアルバイトもみんな若かった。菅原さんもおそらく40歳代・・・・。バンビの歴史も長くなったが、菅原さんも相当長い。
お互い、もう少しだけ頑張ろうね。
倉庫の片付け
倉庫を片付ける。
お店の近くに倉庫を借りていた。
町会長の好意で格安で借りていた。
その倉庫が建て壊しするそうだ。
昨年末に告げられていた。
忘年会を控え、あまつさえ多忙を極めていた時期だった。
自分じゃ、自分たちだけじゃ片付けは無理だとわかっていた。
業者を手配した。
閉鎖した後楽園店で余った皿、調理用具、グラス。
余分にストックしていたお節の箱。
イス、冷凍ストッカー、冷蔵ショーケース、ロッカー
配達用の弁当箱1ケース。
はては、商店会で使っていた交通規制の立て看板。
業者が来た。
手際が良い。トラックで来て小一時間。
パッパッと運び出す。
・・・・
なぜだか胸が締め付けられる。
食器のひとつひとつに。
グラスのひとつひとつに。
イスや調理道具のひとつひとつに。
けっこうなお金をかけて購入した数々。
購入した当時をひとつひとつに思い出す。
どこかで思い切らなければ、この倉庫内の数々は片付かない。
断捨離だ。
わかっているのだが、胸はキュンとする。
片付ける人たちがいなけりゃ、潤んでいた目から・・・。
う~ん・・・・。
キュンキュン・・。
幾度となく戦ってきた戦利品。戦い抜いた戦利品。
時分の身体から武器や鎧を剥ぎ取られる感覚・・。
断捨離だ。
ひとつひとつ心からの断捨離だ。
腹減った
今度の風邪は実にしつこかった。
間隔はだいぶ空くようになったが咳はまだ続いている。
ただ鼻水が出なくなっただけでもずいぶんと楽になった。
背中の痛みもない。ま、身体は普通に戻ってきた。
お正月3が日そしてそのあとの6~8日の連休すべて寝ていた。
売上や支払いのことを考えると不安は募ったが、どうにもこうにもやる気がでない。ケセラセラ。どうにでもなれ、という心境だった。
風邪の引き始めは、忘年会がピークになろうとしていた12月20日頃だったと思う。実に半月は風邪と付き合っていることになる。
身体の元気が戻ってくると、日常的に腹が減ってくる時間が増えてきた。
げんきんなものだ。身体がパワーを求め始めてきているのが感じる。
うん、うん、この調子だ。
さてさてこの元気をどこに出そう。
料理にも、会社のことにも、商店会のことにも、気が回り始めてきた。
ただ、お客様の数がついてこない。部分的に忙しくなることはあっても売上の数値の伸びは鈍い。まだコロナの最中だった去年すら下回っている。
さもありなん。あれだけ休んだんだもん。納得はするが、月末の支払いなど考えると、焦る・・・。
こういう時は呑もう。
すると妻が
「調子に乗ってるんじゃないよ!自分の歳を考えないさいよ!」
まったくだ。そのとおりだ。
じゃあ静かに、ちょっとずつ呑もうかね・・・。
2024年元旦
あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
厨房に入りほぼ1年が過ぎました。
振り返れば30年ぶりの厨房勤務は、やっぱりきつかった。
調理勘を取り戻すのに数ヶ月。この数ヶ月で体重は5kgほど減。
そういう私を気遣ったのか、コロナの余韻(?)か、お客様の数が伸び悩みます。特に6月~9月ころの閑散ぶり。私の身体には優しかったが、急激に資金はなくなっていく。別な意味での心労は増えていきます。
12月は半ば過ぎから忘年会らしい繁忙さになってきました。
が、同時に身体への負担もかかり、ヒシヒシと(もう若くない・・)ということを思い知らされました。70歳は体力勝負の歳じゃない!
追い打ちをかけるように風邪に罹患。熱や咳はおさまったものの大晦日の仕事終了以後、ほとんど布団の中に伏せってました。
さてさて新年はいかがな一年になりますやら。
資金面でも年齢面でも「廃業」を頭の片隅に入れながらの操業。
(ま、何とかなるだろう・・)的な見通しで頑張ってみます。
今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
お客様だけが心の支えです。