夫婦の終わり

数日前のニュース

「警視庁東村山署員が駆け付けたところ、2階の部屋でいずれも90代とみられる男性が布団の上で、女性が男性の足元の絨毯の上で死亡していた。男性は死後1週間程度、女性は1~2日程度経過していた。」

このニュースを見た家内がポツンと
「夫婦でこういう亡くなり方できたらいいね。」
夫婦が別々に生きていた時間が、たった一週間という点に彼女の関心が向いた様だった。

なにげにポツンと漏らした言葉に、私は何も応えなかった。心中は
(ふうん、こいつ、こんなふうに夫婦というのを捉えてるんだ・・。)
そして
(オレで良かったんだ、連れ添いは・・・)

彼女に助けられたことは多々あったが、私が彼女にして上げられたのは、・・・記憶をたどってみたが、ほぼない。誕生日や記念日で、ちょっとしたことでプレゼントしたことはあったが、感動的な彼女に対するプレゼンは思い出せない。
というか、つい最近あった結婚記念日(7月1日)も忘れてた。

「ホントにオレで良かったのか?」と聞きたくなったが、照れくさくて、とてもじゃないが言葉に出来ない。
ま、及第点になる70点はつけられる夫婦だったのかな。
中身は妻90点で、私は60点?
で、二人合わせた平均が70点という所か。

夫婦をしてられるのは、あと10年?20年?くらいかな。
言葉に出来ないけど、よろしくね。

木曽の御嶽山

数年前、御嶽山が噴火して大きな災害が起きた。

数ある山の中で、木曽の御嶽山は、私の大好きな山のひとつだ。
木曽福島駅で下車し、登山口までバスを使い、そこから登頂を目ざす。
確か3000メートルちょっとの標高だったと記憶している。
山頂にある山小屋で二泊ほどして下山するのが、いつもパターンだった。

登山途中で山伏姿の行者。
途中途中に、
「よく来たな。先は長い、ばてるなよ。」と声かけてくれる石仏たち。
御嶽山は信仰の山なのだ。

3000メートル級の山になると、しっかりした装備は必須だ。
避難できず1時間近く岩陰で雨を凌でも、体温が急激に下がり、自分の唇がたぶん紫色になっているだろうを、鏡がなくとも感じる。
(この雨が30分続いちゃうと、オレ、やばいなぁ!)

濃い霧に包まれ視界が遮られる中恐る恐る足を踏み出していると、一陣の風が霧をサーッと払ってくれる。一瞬濃霧がなくなり視界が良好になる。そこには私を飲み込もうとする絶壁が待ち構えていた。もう一歩踏み出してたら、奈落。

3000メートル級の山々は重装備をしていてもそんな危険にいっぱい出会う。
それが山だと信じている。
だから遭難を含め、山での危険は自己責任だ。これが基本だ。
どんなに安全を唱っていても、山はけっして油断しちゃいけない場所だ。

安倍首相の訃報のニュースの片隅に小さく
「御嶽山の噴火に対して、災難に遭った遺族が国、県に賠償請求」
の記事が載っていた。
噴火が予知できたはずだ、だから賠償、という内容だ。
残された遺族の無念さが伝わるが、噴火の予知を国、県に求めるのは無理筋だ。
噴火をも含めて「山」なのだ。

郷里鹿児島の、錦江湾にたたずむ桜島が頻繁に爆発し、その火山灰が我が町にも降ってくる。視界が悪くなり、目が開けられなくなり、閉じていても口中は火山灰でガリガリする。風が吹けば道路に堆積していた灰が再び舞い上がる。

登山途中でそんな噴火に出会ったら、
「呼吸の確保」岩陰や木陰への「火山弾からの避難」をまず、その次に避難路の確保となるんだろうな。
御嶽山噴火の映像ニュースを見た時に、何度も登った山だけに、具体的なシミュレーションを繰り返した。ふたたび私が御嶽山に登った時、噴火に出会わないという保証はない。
でも、それでも噴火に至近距離で直面すれば、ま、最悪を覚悟するだろうな。

それほど私にとって山は安全な場所ではない。そんな山に登るからにはあらゆる危険の想定をする。最悪を想定し、そしてそれでも山に登る。

「噴火が予想されたら、山には登らせなかった。」
というコメントが載っていた。
(ちょっと違うよな・・・・・。)
私の率直な感想だ。

安倍首相死去

一国の元首相が暗殺されるという、私のなかでもかなり衝撃的なニュースだった。
日本が少しずついびつになってきている・・。
理不尽差への憤りよりも、虚しさ、空虚感が大きい。
先代、先々代から営々と築き上げてきた平和を一瞬でひっくり返された虚しさだ。

生きているといろいろな不満が出てくる。どんな生き方をしようと不平不満は尽きない。苦労や悩みは、たぶん死ぬまで着いてくるのだろう。100%正解は人生にはない。
でも、だから100%正解に近づける様に努力する。それは生きている人それぞれにあり、模索し、正解が出ないまま死に至る。

41歳の(私にとっては)若者が、こういう解決方法しか見つけられなかったとしたら、あまりにも悲しい。
そしてこの結果を、彼の家族が引き継ぐだろうし、自分だけで完結する処理方ではない。そこまでの思いにいたらなかったのか・・・。

安倍首相。
この方のやった様々な政策は賛否はいろいろあったと思う。
でも私はこの方は「日本の顔」としてふさわしかったと考えている。
国内向けの政策(アベノミクス)は(うん?日本を貧乏にした・・)とちょっと疑問になるが、「外交」という点では、私は及第点をつけている。
トータル、傑出した政治家だった、というのが私の率直な感想だ。

だが、前述した様にどんな政策をとったにしても100%正解はない。
選挙で選んだ私たちが最終的に、結果を呑むべきだ。と思う。

自分が思うような結果を出せなかったことに対しての、今回の行動。
「暴挙」につきる。
残念、無念、・・・・・そして一人の日本人としての虚しさ・・・

座り呑み

歓ファンが、一部屋を倉庫として借りていた木造家屋が壊され露天駐車場に変わった。そこへキッチンカーが日替わりで出店する様になった。
台湾料理、タコ焼き、ラーメン、かき氷、、、、、いろいろなキッチンカーが出展する。賑やかになった。夜も遅くまで営業している。雨天はともかく簡易なイステーブルも置いてあったりするから、ここで飲み食いするお客もいる。
お客がより安い様に目立つのぼりも立てている。
見た目は間違いなく”にぎやか”にはなった。

しかしこの新宿六丁目は、三丁目界隈とは違い住宅街の様相を色濃く残しており、人通りは少ない。この地で18年営業を続けていても厳しい日々は続く。
コロナ禍が押し寄せ、それが今年になり収束するかと思えたが、客足の戻りは鈍い。そこへ食材の値上げが怒濤の様に押し寄せる。

一回目の値上げをした。概ね50円~100円。「1回目」と言ったのは、たぶん9月か10月にもう一度価格を引き上げる可能性があるからだ。原材料の値上げはまだまだ続く。
当然ながらお客様の懐も厳しくなるし、最初に控えるのが「外食」になる可能性は非常に高い。
諸処の世情を鑑みると止むなしとも思うし、一飲食店が抗えることでもない。だから引き続き外食産業にとって厳しい日々が続く。どんなに早くても今年中は無理だと想像する。

キッチンカーが停車している駐車場の前に、路地をはさんでセブンイレブンがある。セブンイレブンにコーヒーを買いに行った。夜の8時ころだったろうか。
路地に数名が座り込んで呑んでいる。出で立ちは白いワイシャツを着ており、どうみても会社勤めのサラリーマンだ。

私にとって、ちょっとした衝撃だった。
昭和40~50年代ころには日本のあちこちで目にした風景だったが、ついぞ最近見たことがなかった。今は2,000円~3,000円で呑める安い居酒屋はあちこちにある。そういう居酒屋を避け、座り込んで「道路呑み」をしている。

いろいろな事情があると思うが、人目をはばからず「道路呑み」をしている。飲み物が足りなくなれば、その都度セブンイレブンに買いに行っている。
繰り返し言うが、目の前にキッチンカーがあって、イステーブルも用意してあるのだ。セブンイレブンで買う飲み物に比べれば、多少高いかも知れない。でもでも、それでも道路呑みをするか?

彼らに確かめたわけではないのだが、なぜ「道路呑み」をしているのか想像してみた。
すぐに思いついたのが、「小遣いを減らされた・・・」だった。
それぞれに帰る家があって、そこには家族が居て・・・。彼らの風体はそれを感じさせるほどこぎれいなのだ。

折しも参議院選挙の告示が出、候補者全員の名前が新聞に掲載された。
一部の金持ちはともかく、貧乏になってきた日本や日本人のことを熱く語る候補者は少ない。

連休

歓ファンは6月12日(日曜)~19日(日曜)までの8日間お休みする。

コロナ禍で歓は協力金の他、数種類の助成金を獲得した。
事業再構築助成金、感染拡大防止助成金、飲食店強化支援助成金・・・。

コロナ禍は収束段階に来ているが、客足はどうにもこうにも戻ってきていない。
飲食店を取り巻く現状から回復に向けて、まずネット系がお店にアプローチを掛けてきている。
ぐるなび、食べログ、ホットペッパー、リティ・・・・。
Googleマップもマップ上の宣伝を持ちかけてくる。成果報酬型の集客アプリも、電話、ファクス、メールと、これでもかこれでもかと攻勢を掛けてくる。

が、一切お断り。
集客の目処がついているわけではない。
ただ今動いても空振りに終わるだけと感じている。まだ今はジーッと耐えている時期だと判断しているからだ。
ただ無為に辛抱してるわけではなく、上記の助成金を利用して設備に投資し、やがて戻ってくるお客様のために対処しようと考えているからだ。


3月に「感染拡大防止助成金」で抗菌仕様の床を貼り替え、トイレを全部ウォシュレットに変更、ついでにギシギシと音を鳴らしていたトイレの床も作り直した。厨房の換気能力も強力にした。

で、 今回のは「飲食店強化支援助成金」
厨房を改装する。
厨房床に防水加工を施し、業務用コールドテーブル、業務用冷凍庫を新設。
ドリンクカウンターと厨房の間の壁に大きく穴を開け、半オープンカウンターとする。目的は厨房の動線を確保し、三人オペレーションを二人オペレーションに。

助成金はこちら側の30%~20%の負担がかかる。だが残りの70%~80%の資金は返さなくて済む資金だ。
コロナ禍故の助成金だ。この時期でないと出ない、コロナ終息とともにいずれ消滅する助成金だ。
どのみちお店はヒマだ。そのヒマを利用して様々な助成金、補助金、支援金にチャレンジした。申請した助成金のほぼ8割獲得した。

獲得した資金は、いずれお客様が戻ってきた時のための設備投資にあてる。

これだけ頑張っていても、1年後にこの店が残っているかどうかは正直不明だ。
今やれることを、今だからやれることを、粛々と進める。
人事を尽くして天命を待つ。
(な~に、オレは運が強いんだ!)
と、あらためて自分に言いかける。

ということで歓ファンは8日間連休します。
6月20日から正常営業です。

パイオニア

家内と一緒に歩く。
新宿の雑踏を歩く。
街に活気が少しずつ戻ってきた。
良いことだ。もっと活気づくピッチを上げて欲しい。

歩く時にひとつの癖が出来た。
雑踏の中でノーマスクの人を見つけて数えることだ。
屋外ではマスク着用はやめていい、と政府も伝えている。
しかしノーマスクは50名に一人、いや100名に一人くらいだろうか。

「ねぇ、マスクしてよ!」
と、一緒に歩く妻が私に懇願する。
「やだ。」
即答する。
「誰かが率先してノーマスクしないと、いつまでたってもマスク姿は減らない。」
と、理由をつたえる。
「このへそ曲がり!」
と妻が怒る。

いつだってパイオニアの道はイバラの道なのだ。

時間

年を取ってくると時間の大切をヒシヒシと感じる。
どう考えても、どう計算しても私に時間が残ってないのだ。
残ってないというより、無為な時間を使いすぎた。

重信房子が20年の刑期を終えて出所したニュースが新聞に掲載されていた。
「連合赤軍」
日本中を騒がせた事件だったが、今となっては懐かしささえ覚える事件だった。

常識で見て彼女のやったことは凄惨悲惨なことだったが、その事件の是非はともかく、その当時は彼女は信念を持ってして遂行したことだったと思う。
ただ20年という月日を牢獄の中で過ごすという時間の使い方は考えてしまう。もちろん彼女は覚悟を持ってやったことだったと思うが。

生まれてこの方、「死ぬ」という出口に向かって人は歩いて行く。人それぞれに出口は違うし、その長さも違う。どこに出るのか、いつ出られるのか、神様次第。
物心つく頃から、やりたいことや欲望が生まれる。単にお腹がすいた、何か食べたいという欲望から、やりたいことが分からず知識欲に没頭する時期もあった。
やがてそれが具体的な目標に変わってくる。
生涯の目標が漠然としてくる。
このころは30歳前後だったろうか、もう少し若かっただろうか。
一般的に家庭を作るのもこの頃だろうと思う。目標の中には「家庭」「子育て」も加わる。
複数の目標が生まれ、目標そのものすらも、より高みを目指す様に変化していく。
漠然とした目標が日々具体的な目標にひとつひとつ置き換わってくる。

重信房子は、20年という月日をどう捉えているのだろうか、機会があったらいつか聞いてみたい。画像に写る彼女の顔は晴れ晴れしく見えなかった。
「これで良かった。」のだろうか?
「後悔・・・。」だったのだろうか?
いずれにしても時は戻ってこない。
若かりし、人生の岐路を正確に判断する経験がなかったと思えるその時に、彼女は、結果として「20年」というひとつの決断を下した。

20年間は長い。

今年69歳になる自分に問う。
人生を20年ずつ刻んだとして、およそ、その三分の一になる連続した20年間、私の人生のどこにこのパーツをあてがうことが出来るだろうか。

重信房子の新聞記事を見ながら、「時」に思いを馳せる。

値上げ

食材価格が上がっている。2~3割は当たり前、中には5割近く上がるのも少なくない。ただでさえお客様数が増えないのに、非常に辛い。
いままでも利益率が低く、客離れに直結する値上げは苦慮していた。

新調理長が就任していろいろと新しい料理を提案してくれる。なかには「えっ」と思う様な料理もある。それも一つや二つじゃなく種類的にもたくさん提案する。
「やる気があるのはOK。元気なのもOK。でも急ぐな。」
と手綱をついつい引きたくなるほど、やる気を見せてくれる。

そんな調理長から提案されたなかにランチのメニューがある。
私、初代調理長の二戸、ホールで働く女性の三人は新宿三丁目にあった「胡座楼」の流れを多かれ少なかれ汲んでいた。私たちや歓ファンのスタンダードが「胡座楼」だったのだ。
コロナ禍で私が厨房で30年ぶりに働くことになったが、体力や筋力の衰えは隠すべくもなく、体力勝負の仕事ははっきり「無理!」と自覚させられる。短期的には可能でも「常時従事」するのは厳しい。時間の逆回しは不可能とあらためて思い知らされる。

で、今度の新調理長、出会ってまだ間もないが、「経営を継続するのであれば、彼に託すしかない。」と痛感する。新調理長は何かしらの欠点も持ち合わせているだろうし、彼の63歳という年齢を加味すると、「5年間勝負」と思う。
彼が「吉」と出るか「凶」と出るかは、彼と出会った私の吉凶であり、彼を選んだ私の吉凶でもある。
私の運が強いかどうか、を試される問題だ。

まずはランチ。彼から提案されたメニューでランチを改変した。
排骨飯(パイコーハン)や咖哩飯(カレーライス)まである。
ラクサ麺という、私が初めて聞いた麺類もある。
彼から提案された料理を中心にランチメニューを組み立てる。
(こりゃぁ覚えるのたいへんだぞ!)
と感じるし、スタッフに混乱も生じるだろう。

「オール1,000円」
これにしよう。
これまでヤキソバ、湯麺、週替わりランチが920円。
原価が低い、手間のかからない麻婆豆腐や担々麺が820円。
それが一律1,000円。
なかには海鮮焼きソバ1,020円、土鍋セットや炒飯セットが1,070円と千円超えのメニューもあったが、これも1,000円。値下げ品もあるのだ。
だが、全体を見ると値上げ幅は大きい。

しかしまだまだコロナ禍が尾を引く現在、値上げしようが値下げしようが関係なくお客様数は少ない。
(値上げするには今しかないかも・・・)

あと一年で70歳を迎える私の体力を考慮すると、「胡座楼」の流れを変える(断ち切る)時期が来たのかも。
値上げは、その新しい波、新しい調理長をアピールするチャンスになれるかも、と身勝手に思う。

ということでちょっぴり高い歓ファンが生まれます。
新しい料理を提案する新調理長、自信がなければ新しい料理はアピールできません。
みなさん、どうぞご期待を。

ウクライナ

5月連休。日本ではゴールデンウィーク。長々と続くコロナ禍が治まりそうとあって、政府はウィズコロナとともに経済を回す方向に舵を切った。おかげでゴールデンウィークは各地で混雑のニュースが入る。
息子たち家族は読売ランドに行ったそうだが人混みは多く、アトラクションに1時間待ちは普通だったと話していた。

歓ファンは3日から5日までお休みだが、初日は家でグータラしていた。夕方息子たち家族と食事をともにし、上記の混雑ぶりを聞いたのが、ヘタに出かけないで良かったと胸をなで下ろす。

そういう平和な日本に、ウクライナで戦禍のニュースは連日入る。
戦禍のウクライナ情報を移し、暴挙したソ連を非難するニュースがいろいろと流れてくる。
日本には憲法第9条に「戦争放棄」がある。
第二次世界大戦に敗北した日本が二度と戦争はすまいと決意した条文だ。
これはいい。
勝っても負けても多大なる負担が双方にかかる。
悲哀が舞い、ともなう遺恨も残る。
戦禍で亡くなる、あるいは亡くなるかも知れない家族を思いやると戦争なんて何のメリットもない。

しかし軍隊を置かない、武装をしない話しとは別な観点が必要と思う。
戦争やが起こす基本的な要因は、私は独断で2つしかないと思っている。
食料と女の奪い合い。食料は生命の維持に直結する食欲。女は子孫を残すという遺伝子レベルの欲求。
これらの欲求が満たされなくなってきた時に、マグマがたまり、集団としての先頭、つまり戦争が起こってくると思う。
食料と女の奪い合い。ほとんど動物レベルの争いだ。
でも人間も動物もレベルの差は、人が思うほどないのでは。

日本と同じ非核三原則を唱えるウクライナのニュースを聞き考えさせられる。
日本が戦争を放棄したとて、戦争しか解決方法がないと考える国から戦争を布告されたら・・・・。
ロシア、北朝鮮、中国。
領土問題を抱え、宣戦布告する可能性がある国だ。
可能性はゼロと言い切れない。

他の国から来た兵隊が日本の女を蹂躙しているのを、私は見ていられるだろうか、と問う。
もうすぐ70歳に届こうかという年の私が想像しても、指をくわえて眺めているということはできない。耐えられない。
体力でヨボヨボだとしても、女や家族をきっと守ろうとする。
戦争があってはならないし、してもいけないと思う。
でも、仕掛けられた時には、この国を守る。

息子夫婦と孫と、妻と5人で会食をしながら、家族の笑顔に(恵まれている)と感じる。その家族を無理矢理引き離される、失う、という惨禍に巻き込まれているウクライナの人たち。
惨禍に巻き込まれていても自分たちの国は自分たちで守る、自分たちの家族は自分で守る意思を示しているウクライナの人たち。

良い結果が訪れます様に。

全国的に交通安全週間パートⅡ

交通安全週間の最中は毎朝8時から45分ほど日清食品前交差点に立っているのだが、この交差点のすぐ近くは歌舞伎町であり、歌舞伎町とこの交差点の間にはラブホ街も隣接する。この交差点に立って歩行者を見ていると、いろいろな人生模様が透けて見える。

1、
時間は8時と、足早に会社に向かう方が多い。
そのなかにフラフラと歩く一組の男女。
男は空を仰ぎながらマイペースで歩く。女はそんな男の腕を捕まえながら流しのタクシーを物色する。20代後半だろうか。
あきらかに女が男に惚れている。たぶんホストとその客だと思われる。
これから男の住まいに向かうのか、それとも女の・・・。
惚れた方が負け。
大きな確率で女が泣きを見る・・・・。

2、
もう一組のカップルが歩く。
女が自分の腕を男にからませ、長身の男の顔を見つめながら歩く。
女の年齢は、まだ20代前半とみた。
女の視線に気をとめず、男はかったるそうな顔を正面に向けて無表情に歩く。
これまた女が男に惚れているのがわかる。
一波乱、蓋はランくらいはありそうだが、こちら二人の将来はまだまだのぞみがありそうだ。

3、
大きな鞄をかかえ、それ以上に大きな身体をゆさゆさ揺すりながら歩いてくる女性がいる。推定40~50歳のかなり太った女性だ。
毎朝8時10分ちょうどくらいにやってくる。土日は見かけないので近隣の会社の一般事務員ふうに見える。生活感は希薄なのでまだ独身だろうと推察。
少し痩せると、たぶん人生も身体も軽くなって楽しい未来が広がるんだろうになぁ・・と、お腹デップリの我が身を、
(オレはもう年(高齢)だから、ビジュアルによる将来は捨ててるけど、あんたはまだ間に合うよ。)

交差点での45分間。
人間観察でちょっとだけ気持ちに余裕が出来る。
ありがたい。
春の交通安全は今日で終わり。
秋の交通安全週間まで、楽しみはお預け。