連休

歓ファンは6月12日(日曜)~19日(日曜)までの8日間お休みする。

コロナ禍で歓は協力金の他、数種類の助成金を獲得した。
事業再構築助成金、感染拡大防止助成金、飲食店強化支援助成金・・・。

コロナ禍は収束段階に来ているが、客足はどうにもこうにも戻ってきていない。
飲食店を取り巻く現状から回復に向けて、まずネット系がお店にアプローチを掛けてきている。
ぐるなび、食べログ、ホットペッパー、リティ・・・・。
Googleマップもマップ上の宣伝を持ちかけてくる。成果報酬型の集客アプリも、電話、ファクス、メールと、これでもかこれでもかと攻勢を掛けてくる。

が、一切お断り。
集客の目処がついているわけではない。
ただ今動いても空振りに終わるだけと感じている。まだ今はジーッと耐えている時期だと判断しているからだ。
ただ無為に辛抱してるわけではなく、上記の助成金を利用して設備に投資し、やがて戻ってくるお客様のために対処しようと考えているからだ。


3月に「感染拡大防止助成金」で抗菌仕様の床を貼り替え、トイレを全部ウォシュレットに変更、ついでにギシギシと音を鳴らしていたトイレの床も作り直した。厨房の換気能力も強力にした。

で、 今回のは「飲食店強化支援助成金」
厨房を改装する。
厨房床に防水加工を施し、業務用コールドテーブル、業務用冷凍庫を新設。
ドリンクカウンターと厨房の間の壁に大きく穴を開け、半オープンカウンターとする。目的は厨房の動線を確保し、三人オペレーションを二人オペレーションに。

助成金はこちら側の30%~20%の負担がかかる。だが残りの70%~80%の資金は返さなくて済む資金だ。
コロナ禍故の助成金だ。この時期でないと出ない、コロナ終息とともにいずれ消滅する助成金だ。
どのみちお店はヒマだ。そのヒマを利用して様々な助成金、補助金、支援金にチャレンジした。申請した助成金のほぼ8割獲得した。

獲得した資金は、いずれお客様が戻ってきた時のための設備投資にあてる。

これだけ頑張っていても、1年後にこの店が残っているかどうかは正直不明だ。
今やれることを、今だからやれることを、粛々と進める。
人事を尽くして天命を待つ。
(な~に、オレは運が強いんだ!)
と、あらためて自分に言いかける。

ということで歓ファンは8日間連休します。
6月20日から正常営業です。

パイオニア

家内と一緒に歩く。
新宿の雑踏を歩く。
街に活気が少しずつ戻ってきた。
良いことだ。もっと活気づくピッチを上げて欲しい。

歩く時にひとつの癖が出来た。
雑踏の中でノーマスクの人を見つけて数えることだ。
屋外ではマスク着用はやめていい、と政府も伝えている。
しかしノーマスクは50名に一人、いや100名に一人くらいだろうか。

「ねぇ、マスクしてよ!」
と、一緒に歩く妻が私に懇願する。
「やだ。」
即答する。
「誰かが率先してノーマスクしないと、いつまでたってもマスク姿は減らない。」
と、理由をつたえる。
「このへそ曲がり!」
と妻が怒る。

いつだってパイオニアの道はイバラの道なのだ。

時間

年を取ってくると時間の大切をヒシヒシと感じる。
どう考えても、どう計算しても私に時間が残ってないのだ。
残ってないというより、無為な時間を使いすぎた。

重信房子が20年の刑期を終えて出所したニュースが新聞に掲載されていた。
「連合赤軍」
日本中を騒がせた事件だったが、今となっては懐かしささえ覚える事件だった。

常識で見て彼女のやったことは凄惨悲惨なことだったが、その事件の是非はともかく、その当時は彼女は信念を持ってして遂行したことだったと思う。
ただ20年という月日を牢獄の中で過ごすという時間の使い方は考えてしまう。もちろん彼女は覚悟を持ってやったことだったと思うが。

生まれてこの方、「死ぬ」という出口に向かって人は歩いて行く。人それぞれに出口は違うし、その長さも違う。どこに出るのか、いつ出られるのか、神様次第。
物心つく頃から、やりたいことや欲望が生まれる。単にお腹がすいた、何か食べたいという欲望から、やりたいことが分からず知識欲に没頭する時期もあった。
やがてそれが具体的な目標に変わってくる。
生涯の目標が漠然としてくる。
このころは30歳前後だったろうか、もう少し若かっただろうか。
一般的に家庭を作るのもこの頃だろうと思う。目標の中には「家庭」「子育て」も加わる。
複数の目標が生まれ、目標そのものすらも、より高みを目指す様に変化していく。
漠然とした目標が日々具体的な目標にひとつひとつ置き換わってくる。

重信房子は、20年という月日をどう捉えているのだろうか、機会があったらいつか聞いてみたい。画像に写る彼女の顔は晴れ晴れしく見えなかった。
「これで良かった。」のだろうか?
「後悔・・・。」だったのだろうか?
いずれにしても時は戻ってこない。
若かりし、人生の岐路を正確に判断する経験がなかったと思えるその時に、彼女は、結果として「20年」というひとつの決断を下した。

20年間は長い。

今年69歳になる自分に問う。
人生を20年ずつ刻んだとして、およそ、その三分の一になる連続した20年間、私の人生のどこにこのパーツをあてがうことが出来るだろうか。

重信房子の新聞記事を見ながら、「時」に思いを馳せる。

値上げ

食材価格が上がっている。2~3割は当たり前、中には5割近く上がるのも少なくない。ただでさえお客様数が増えないのに、非常に辛い。
いままでも利益率が低く、客離れに直結する値上げは苦慮していた。

新調理長が就任していろいろと新しい料理を提案してくれる。なかには「えっ」と思う様な料理もある。それも一つや二つじゃなく種類的にもたくさん提案する。
「やる気があるのはOK。元気なのもOK。でも急ぐな。」
と手綱をついつい引きたくなるほど、やる気を見せてくれる。

そんな調理長から提案されたなかにランチのメニューがある。
私、初代調理長の二戸、ホールで働く女性の三人は新宿三丁目にあった「胡座楼」の流れを多かれ少なかれ汲んでいた。私たちや歓ファンのスタンダードが「胡座楼」だったのだ。
コロナ禍で私が厨房で30年ぶりに働くことになったが、体力や筋力の衰えは隠すべくもなく、体力勝負の仕事ははっきり「無理!」と自覚させられる。短期的には可能でも「常時従事」するのは厳しい。時間の逆回しは不可能とあらためて思い知らされる。

で、今度の新調理長、出会ってまだ間もないが、「経営を継続するのであれば、彼に託すしかない。」と痛感する。新調理長は何かしらの欠点も持ち合わせているだろうし、彼の63歳という年齢を加味すると、「5年間勝負」と思う。
彼が「吉」と出るか「凶」と出るかは、彼と出会った私の吉凶であり、彼を選んだ私の吉凶でもある。
私の運が強いかどうか、を試される問題だ。

まずはランチ。彼から提案されたメニューでランチを改変した。
排骨飯(パイコーハン)や咖哩飯(カレーライス)まである。
ラクサ麺という、私が初めて聞いた麺類もある。
彼から提案された料理を中心にランチメニューを組み立てる。
(こりゃぁ覚えるのたいへんだぞ!)
と感じるし、スタッフに混乱も生じるだろう。

「オール1,000円」
これにしよう。
これまでヤキソバ、湯麺、週替わりランチが920円。
原価が低い、手間のかからない麻婆豆腐や担々麺が820円。
それが一律1,000円。
なかには海鮮焼きソバ1,020円、土鍋セットや炒飯セットが1,070円と千円超えのメニューもあったが、これも1,000円。値下げ品もあるのだ。
だが、全体を見ると値上げ幅は大きい。

しかしまだまだコロナ禍が尾を引く現在、値上げしようが値下げしようが関係なくお客様数は少ない。
(値上げするには今しかないかも・・・)

あと一年で70歳を迎える私の体力を考慮すると、「胡座楼」の流れを変える(断ち切る)時期が来たのかも。
値上げは、その新しい波、新しい調理長をアピールするチャンスになれるかも、と身勝手に思う。

ということでちょっぴり高い歓ファンが生まれます。
新しい料理を提案する新調理長、自信がなければ新しい料理はアピールできません。
みなさん、どうぞご期待を。

ウクライナ

5月連休。日本ではゴールデンウィーク。長々と続くコロナ禍が治まりそうとあって、政府はウィズコロナとともに経済を回す方向に舵を切った。おかげでゴールデンウィークは各地で混雑のニュースが入る。
息子たち家族は読売ランドに行ったそうだが人混みは多く、アトラクションに1時間待ちは普通だったと話していた。

歓ファンは3日から5日までお休みだが、初日は家でグータラしていた。夕方息子たち家族と食事をともにし、上記の混雑ぶりを聞いたのが、ヘタに出かけないで良かったと胸をなで下ろす。

そういう平和な日本に、ウクライナで戦禍のニュースは連日入る。
戦禍のウクライナ情報を移し、暴挙したソ連を非難するニュースがいろいろと流れてくる。
日本には憲法第9条に「戦争放棄」がある。
第二次世界大戦に敗北した日本が二度と戦争はすまいと決意した条文だ。
これはいい。
勝っても負けても多大なる負担が双方にかかる。
悲哀が舞い、ともなう遺恨も残る。
戦禍で亡くなる、あるいは亡くなるかも知れない家族を思いやると戦争なんて何のメリットもない。

しかし軍隊を置かない、武装をしない話しとは別な観点が必要と思う。
戦争やが起こす基本的な要因は、私は独断で2つしかないと思っている。
食料と女の奪い合い。食料は生命の維持に直結する食欲。女は子孫を残すという遺伝子レベルの欲求。
これらの欲求が満たされなくなってきた時に、マグマがたまり、集団としての先頭、つまり戦争が起こってくると思う。
食料と女の奪い合い。ほとんど動物レベルの争いだ。
でも人間も動物もレベルの差は、人が思うほどないのでは。

日本と同じ非核三原則を唱えるウクライナのニュースを聞き考えさせられる。
日本が戦争を放棄したとて、戦争しか解決方法がないと考える国から戦争を布告されたら・・・・。
ロシア、北朝鮮、中国。
領土問題を抱え、宣戦布告する可能性がある国だ。
可能性はゼロと言い切れない。

他の国から来た兵隊が日本の女を蹂躙しているのを、私は見ていられるだろうか、と問う。
もうすぐ70歳に届こうかという年の私が想像しても、指をくわえて眺めているということはできない。耐えられない。
体力でヨボヨボだとしても、女や家族をきっと守ろうとする。
戦争があってはならないし、してもいけないと思う。
でも、仕掛けられた時には、この国を守る。

息子夫婦と孫と、妻と5人で会食をしながら、家族の笑顔に(恵まれている)と感じる。その家族を無理矢理引き離される、失う、という惨禍に巻き込まれているウクライナの人たち。
惨禍に巻き込まれていても自分たちの国は自分たちで守る、自分たちの家族は自分で守る意思を示しているウクライナの人たち。

良い結果が訪れます様に。

全国的に交通安全週間パートⅡ

交通安全週間の最中は毎朝8時から45分ほど日清食品前交差点に立っているのだが、この交差点のすぐ近くは歌舞伎町であり、歌舞伎町とこの交差点の間にはラブホ街も隣接する。この交差点に立って歩行者を見ていると、いろいろな人生模様が透けて見える。

1、
時間は8時と、足早に会社に向かう方が多い。
そのなかにフラフラと歩く一組の男女。
男は空を仰ぎながらマイペースで歩く。女はそんな男の腕を捕まえながら流しのタクシーを物色する。20代後半だろうか。
あきらかに女が男に惚れている。たぶんホストとその客だと思われる。
これから男の住まいに向かうのか、それとも女の・・・。
惚れた方が負け。
大きな確率で女が泣きを見る・・・・。

2、
もう一組のカップルが歩く。
女が自分の腕を男にからませ、長身の男の顔を見つめながら歩く。
女の年齢は、まだ20代前半とみた。
女の視線に気をとめず、男はかったるそうな顔を正面に向けて無表情に歩く。
これまた女が男に惚れているのがわかる。
一波乱、蓋はランくらいはありそうだが、こちら二人の将来はまだまだのぞみがありそうだ。

3、
大きな鞄をかかえ、それ以上に大きな身体をゆさゆさ揺すりながら歩いてくる女性がいる。推定40~50歳のかなり太った女性だ。
毎朝8時10分ちょうどくらいにやってくる。土日は見かけないので近隣の会社の一般事務員ふうに見える。生活感は希薄なのでまだ独身だろうと推察。
少し痩せると、たぶん人生も身体も軽くなって楽しい未来が広がるんだろうになぁ・・と、お腹デップリの我が身を、
(オレはもう年(高齢)だから、ビジュアルによる将来は捨ててるけど、あんたはまだ間に合うよ。)

交差点での45分間。
人間観察でちょっとだけ気持ちに余裕が出来る。
ありがたい。
春の交通安全は今日で終わり。
秋の交通安全週間まで、楽しみはお預け。

全国的に交通安全週間

歓ファンが所属する町会名を東一町会という。
現在の町名は新宿六丁目なのだが、旧町名である東大久保一丁目を略して東一という。
日々進化する印象のある都心の新宿と、古くから住んでいる方たちが共存している、その境目に位置する様な町だ。
独り身の若者が住むワンルームマンションと、昭和初期から住んでいる方たちが混在している。新しくて古い、古くて新しい町だ。

私的には居心地はとても良い。
古き良き風習がまだまだ残っている町なのだ。
そんな風習の一つに、この交通安全週間の交差点での立ち番がある。
日清食品本社前、明治通りの交差点に「横断中」の黄色い旗を持って歩行者を誘導する。誘導するというより交差点の角々に旗を持ってほぼ立っているだけなのだが。
連日町会に携わる8~12名ほどが各々の場所で旗持ちする。
時間は朝の8時から45分程度。

が、メンバーのほとんどが高齢者なのだ。
69歳になろうとする私が若い部類に入る。
地方はいざ知らず、若い人たちがたくさん居るはずの都会で、でもこういうボランティアに参加する若者は少ない。
町会や商店会に若者をいかに参加させられるかが今後のキーになる。

地域に貢献する団体として消防団があるが、消防団は手当が出る。少なくない金額だ。だからなのか、消防団には比較的若者が、そして参加者数も多い。
比して町会や商店会活動はまるっきりのボランティアだ。
金も時間も使う。
もちろん町会や商店会に対しての助成金はある。しかし資金使途は限られるし、ボランティア個人個人への助成金ではないし出ない。会員に慰労するための酒肴もダメ。

赤い羽根だとか日本赤十字だとかの寄付金集めも町会員に割り振られる。町会費回収も含めて集金は心理的にハードルの高い任務だ。
これに対しても何のフォローもない。
かくして町会や商店会に参加する人たちは少なくなる。
衰退。
若者はもっともっと敬遠すると簡単に想像できる。
こういうことに関して行政や議員さんたちはけっこう鈍感だ。

数年後、十数年後は、町会や商店会はほぼ絶滅するのではないか。

そんな思いを抱きながら、今朝もまた横断中の歩行者を誘導する。

湯島天神

明日21日で蔓延防止期間が終わる。
今回のマンボーが一番効いた。
感染者数が1万人、2万人と報道されるごとに客足は極端に落ちた。
同時に売上も極端に落ちた。
12月中旬頃から売上が少し持ち直していたのに。
気持ち的に
(どうでもいいや・・・)
と投げやりになりかけていた。
無力感、徒労感が半端なかった。

そんなマンボーが明日で終わる。

歓ファンは以前から申請してあった「感染拡大防止助成金」に応募、それが受理された。
感染拡大防止で申請した詳細は
1、換気能力の強化
2、抗菌仕様床材への全面張り替え
病院で使用している床材と同等のものに張替する。
3、飛沫防止で男女トイレにウォシュレット導入。
の三点。

三番目のウォシュレット、女性用トイレだけにあり、今までは男性側には設置してなかった。.開店後18年経っていたためにトイレの床がブヨブヨしているところが各所にある。おそらく床の木下地が腐食してるためと思われる。
これを飛沫防止のためにウォシュレット導入と同時に床も客席側と同様に新調する。

店の内装は、さほどの見た目の変化は見られないと思うが、確実にグレードアップする。
改装は20日~23日の4日間で行う予定だ。
本日、工事初日。
夕方、工事屋から電話があり、古い床材をはがし新しい床材を張るための下地をきれいにした、今夜は何があっても店に来ないで(床に足を踏み入れないで)欲しい、との要望。
了解。

調理長がいなくなって1ヶ月。私が厨房に入った。
調理仕事は実に30年ぶりで、身体は相当疲れていた。
ちょうどいいタイミングで身体を休めることが出来る。
昨夜11時頃までかかって、工事がしやすい様ホールの荷物を厨房に移動した。その疲れもあったのだろうが、風呂にも入らず就寝。翌日お昼過ぎ14時まで熟睡。
普通4時間程度で目が覚めるのに、12時間以上目が覚めなかったことになる。

妻が
「ねぇ、梅見にでも行かない?」
「もう桜の時期だぞ。今更梅見かい。」
1~2週間ほど前に放映されたテレビの影響らしい。
ということで3時頃から湯島天神まで出かけた。
梅は見事に散っていた。
日曜と重なり結婚式があった。
白無垢の花嫁が境内で撮影の真っ最中。
梅の花の代わりに花嫁・・・もありかと、うららかな陽気と相まって気持ちも花の様にほころぶ。

コロナ禍、これで終わりにして欲しい。
天神様への願掛けはそんな願いで終わる。

身体が戻る

いやぁ、きつかった!
正直、身体のあちこちが悲鳴をあげた。
30年とは言わないが、それに近い年数、厨房から遠ざかっていた。
そして68歳という年齢。
瞬間的に、あるいは数日単位で厨房を手伝うことはあったが、仕入れ、仕込み、そのすべてを含めて、調理責任者としての仕事は、ホント久しぶり。

1週間ほど経て、身体は慣れてきたが私自身の厨房の中での気の回しは3割程度だろうか。自分の中で反省すべき点が毎日毎日出ており、その都度メモっている。
年を重ね、人生の終盤にかかり、そろそろまとめねばならない時期になっているのに、改良点がかくもあるとは・・・・。
我ながら不出来な自分に情けなくなる。

ま、まだ若いってことか・・・と前向きに捉えてはいるが。
今日は日曜日でお店は定休日。
11時まで熟睡していた。身体に沸々と力が戻ってきているのを感じる。

さあ、また一週間頑張るぞ!

調理人募集

コロナ禍と蔓延防止処置期間(マンボー)で客足は激減している。
手の打ちようがない・・・・というのが本音だ。
3月6日にマンボーがあけるが、7日から客足が戻ってくるとは、とてもじゃないが想像できない。

迷った。ホントに迷った。
お店を閉めようかどうか。
余力が少しでもある内に止めたほうが・・・。
昨年12月20日に、2月20日で辞めますと調理長から言われた。
私は基本的に「去りたい」という者を引き留めたことはない。
「別離」はどういう形であり、どういう時期であり必ず訪れると考えているから。

2月20日は日曜日で歓ファンの定休日だ。だから調理長が勤務するのは、実質的に19日土曜日まで。
調理師は募集していて数名の面接を経ている。が、まだ決まってない。

月曜日から私が厨房に入る。
厨房に入るのは、はてさていつ以来だろう。
忙しい時に時々助っ人として入ることはある。あった。
しかし調理補助という立場だった。
今度は違う。重みが違う。
自分でも多少の不安がある。

しかし蔓延防止処置期間であり、コロナ禍が収まっているわけでもない。
何より客足が戻ってきてない。
この情況下でコストのかかる調理人不在は、むしろ奇貨とすべきか。
新しい調理長が決まるまで、売上の悲惨な現状で店舗が正常に稼働できるまで、何としても乗り切るために。

ということで、30年ぶりくらいに鍋を振る。
当時より握力も無くなっている。
68歳という高齢者として体力の衰えもある。
が、ここは何としても踏ん張るべし!

体力や技術に対しての不安とは別の不安がある。
いろいろな状況が重なっているとは言え、私の周りから人が離れている。
私のなかでは、この不安の方が大きい。
一昨年の2021年に後楽園店を閉鎖してから好む好まざるにかかわらず人を減らした。結果的に人が離れた。

私の長所の一つは「人集め」だと自負している。
密かに自負しているのが「人脈」なのだ。
その私から人が離れている。

調理長が辞意を表明してから悶々とする日が続く。
ストレスは血糖値も危険水域まで引き上げた。
ふた月も悩んだだろうか。弱気になっただろうか。
状況はまったく変わらないが、ただ、気持ちは落ち着いた。

調理提供時間が遅くなったり、味が変わったりとお客様にご迷惑を掛けるかも知れない。贔屓にしてくれるお客様が離れるかも知れない。
そういった一切合切を含めて、
(なるようにしかならん!)

そう思った。