鶴瓶チマキ

渋谷のLINEキューブにチマキ配達に行く。
上白石萌歌さんへ鶴瓶さんからの差入れだ。
向かう途中から雨がひどくなってきた。
台風だ。
カッパの上から雨が内側にしみてくる。

LINEキューブは、渋谷区役所とNHKにはさまれた感じのところにあるイベント会場だ。この雨の中、人が並んでいる。並んでいるのは10代から20代の若者ばかりだ。人気の程が窺える。
会場を取り仕切っている、スーツ姿の管理か警備担当が10名ほど歩き回っている。
チマキを入れた発泡スチロールに、楽屋見舞い、笑福亭鶴瓶ののし紙が貼ってあり、警備担当に
「どちらにお持ちすれば良いでしょうか?」
説明が面倒くさく、箱を見せる。発泡の箱ののし紙には相手の名前と鶴瓶師匠の顔が印刷してある。即座に
「こちらへどうぞ。」
楽屋口へ引率して貰う。

依頼があった時に届け出先の名前、顔は一応調べる。
だが、かみしらいしもか・・知らないし、たぶん覚えられない。
私には 、この年代の顔はどれもこれもいっしょにしか見えない。
鶴瓶さん、よくこの世代のタレントさんの顔や名前を覚えられるな、と感心する。
案内されて楽屋口にいたマネージャーらしき人にお渡しする。
聞かされているのだろう、箱の鶴瓶さんの写真を見て、担当の顔がほころぶ。チマキだというのが分かった顔であり、たぶん私にも回ってくる、といった顔だ。

LINEキューブもそうだが、原宿から渋谷に掛けてのこの界隈、めちゃめちゃ賑わっている。人、人、人、人・・・・。
「今日、台風だよ。最大級のという形容詞がついた台風だよ。」
「早く帰りな。」
と心の中でさけぶ。

若かりしころの私も雨風関係なく遊んでたっけ。





家出

私は18歳頃に3回ほど家出をしている。
高校時代に2回。
鹿児島県姶良郡にあった公立高校だったが、校区外からの入学も多くアパートを借りている生徒も少なからずいた。
1回目の家出は、その友人宅に転がり込んだ。その友人は、今思い出せば、決して素性の良い学生ではなかったが、犯罪をおこすほどの「悪」ではなかった。
そこから学校も通った。

家出の理由は親父への反発だった。大学への進学を控える三年生という立場にあって、親父から金銭的な負担を理由に怒られるのが嫌だった。
そして当時の高校の校風も進学一辺倒。学校の権威なのかプライドなのか、進学のための学習をおしつけられていた。
そういう環境のなか、友人を含め、同級生たちは実によく勉強していた。
そういう同級生を私は素直に感心していたし、尊敬もしていた。
当時は鹿児島特有の立身出世的な、「末は学者か大臣か・・」的な身を立てる雰囲気が、家の中でも学校のなかでも感じていた。
それがとてつもなく嫌だった。

勉強は嫌いではなかった。だが押しつけられる勉強は何かの理由をつけて逃げていた記憶がある。
後日談だが、数年後の同窓会で再会した同級生のほとんどが、小中高の教職を選んでいた。
(えっ、先生になるためにあんなに猛勉強していたの?)
教職をけなしているつもりじゃけっしてないのだが、あの猛勉強ぶりは、もっともっと大きな大志を持っているからこその勉強だと思っていた。そのくらい同級生たちは寸暇を惜しんで勉強していた。

ま、何はともあれ、今風で言うと相当ストレスがたまっていたのだろうと思う。
反抗期だったのかも知れない。
些細な口実で親父と喧嘩し、オロオロする母親を尻目に家を飛び出した。

2回目は受験間近の1月。当時は東京の大学に進学するつもりで準備を進めていた。原因はまたまた些細なことだった。
言い争いのなかで親父が
「経済的援助を断ち切るぞ。」
と脅かしてきたのに買い言葉で
「ああいいよ。かまわないよ。」
次の日には大阪へ飛んでいた。

大阪では高校の同級生の叔父さんが印刷会社を経営しており、そこに飛び込んだ。血気盛んだったし、何とでもなる、という捨て身が難なくできた。
今、思い返して見ると、思慮の足りない、世間を見る目すらない馬鹿な小僧だったと思う。
一ヶ月後、印刷会社の社長が連絡して親父が迎えが来た。それで二回目の家出は終わった。
帰ってきた数週間後に卒業式があった。クラスごとの卒業証書を代表者が受け取る。私はクラスの委員長だった。本来は私が卒業証書を受け取りに壇上に上がるはずだったのだが、式の段取りをする時、私は家出の真っ最中。
ということで壇上に上がったのは副委員長だった女性。周りのクラスの奇異な目が私の背中に突き刺さる。
(ま、しょうがないか。)

三回目は大学浪人の真っ最中。年の瀬が押し迫った12月。
同じような原因だったのだが、10日に喧嘩し13日には東京へ着いていた。
國學院大學へ進んだ同級生が五反田に住んでいた。居候を決め込んだ。
早速バイト探し。居候した同級生のツテで渋谷東映の映画館の売店で仕事。
「網走番外地」「仁義なき戦い」「女囚サソリ」などが上映されていた時期だ。
年末には居候していた部屋の同級生が正月帰省で鹿児島へ帰った。
アルバイト代は月給制になっており、 その給与が入るまでに私の手元資金はなくなった。正月で当時はアルバイト先も探しきれず、ほぼ1週間飲まず食わずの生活が続く。同級生がふたたび東京に帰ってきた時に
「とにかく何か食べさせてくれ!」と懇願、逆に食べ過ぎてお腹を下すという失態。
数日後は日通の配送助手の仕事を探す。しかしアルバイトで入学金が貯まるわけ無く、大学進学は断念。

昨夜、商店会会員の一人の相談に乗っていた。女性だが血気盛ん。企画力も行動力もあり、なかなか頼もしい。現在40歳。
だが、少し焦っている。結果を早く求めようとしている。
その彼女の相談に乗りながら、そのパワフルさに昔の家出時代を思い出した。
私はまだノンビリと人生の先を見ていたのだが、彼女は40歳という歳のせいで結果を急いている。
私がこのお店を51歳で起業したことや、一人でやれる仕事には限界があるし、人(部下)の気持ちを上手に引き出すことを切々と説いた。

相談に乗りながら、二度と戻ってこない若さのパワーを羨ましく見ている私がそこにいた。
家出の話し、なぜか思い出した。














歌舞伎町のひとつの顔

西武新宿駅の北側に大きなビルがあり、その1階のコンビニに平日毎日弁当を納品する。配達する時間帯は朝1030分頃。
今日も弁当をバイクの背の箱に入れ配達に行く。

日清食品本社前の交差点を右折し、すぐに左折。歌舞伎町ラブホ街を抜け、歌舞伎町バッティングセンター前の青信号を直進しようとすると、赤信号をフラフラと横切る女性がいる。
(あぶないなぁ・・・)
軽くクラクションを鳴らすも、歩調はそのままにクタクタと歩く。
酔っ払っているようでもある。
その娘がお尻へ手をやり掻いた。

えっ!

ノーパンだ。
剥き出しのお尻を無造作に掻いている。

えっ、なんで?

お尻を覆うものを手持ちの品で思い出そうとしたが、交差点の途中でもあり、弁当納品時間も気になり、とっさには何も思いつかない。

想像だが。
この娘がホストクラブに入れこんだ。
ホストにヨイショされ、いい気になって酔っ払っちゃった。
あるだけの資金を巻き上げられ、さらにこれ以上はこの娘から吸い上げられないと判断したホストから下着を剥ぎ取られ、クラブから放り出された。
たぶん、こんな感じか。
バイクを運転しながら、この娘におこった事あれこれ・・想像力MAX。

助けようとしたのも正直な気持ちなのだが、朝から若い娘のお宝もの映像を拝むことができた、と思ったのも正直な気持ちだった。


またひとつ 歌舞伎町の顔が垣間見えた。









金魚鉢

網膜剥離で4日間の手術入院。
そして退院して3日が経つ。
眼の中が水を張った金魚鉢になり、その喫水線を毎日見ている。
損喫水線が日を追うごとに下がってくる。

病院での説明は、
角膜を切り、眼球の中の水(硝子体)を抜き取る。
水を抜いた後、はがれかけている網膜をレーザーで眼底に縫い付ける。
その後、硝子体を抜いた眼球にガス(気体)を注入し、手術を終える。

手術後は、硝子体の代わりにガスが置き換わる状態になる。
執刀を担当した先生の話によると、ガスが時間を掛けて硝子体に入れ替わるそうな。その間約一ヶ月と説明される。

術後まだ三日目だが、一日一日喫水線が下がっていく。
喫水線の上部がハッキリ見え始め、下部が水中にいる様に屈折した視野になる。
これがあたかも水のなかに顔を沈め、目線ギリギリで顔を出した状態に感じるのだ。
はて?

先生の説明では、もともとの硝子体は液体であり、あとで注入した気体と入れ替わるはずなのだが、ハッキリ見えるはずの硝子体の方が上なのだ。
ここで気がついた、眼球が認識する画像はレンズを通すために、逆さまに映る。
それを脳が上下(たぶん左右も)反転した状態で画像処理するのだと推定した。

本来は軽くて見づらい気体が上で、画像をハッキリ認識する液体(硝子体)が下にあるはずなのだが、画像の反転処理のせいで、あたかも喫水線に顔を出した様な感じに見える。
妙なところで人体の不思議を認識する。

ただ喫水線が下がるのは、眼が正常に戻るのを実感でき、とてもうれしい。







不倫

毎日新聞記事から

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卓球のノジマTリーグは11日、2016年リオデジャネイロ・オリンピック男子団体銀メダルメンバーで琉球に所属する吉村真晴選手(29)を10日付で厳重注意処分としたことを明らかにした。文春オンラインで不倫疑惑が報じられたことを受けたもので、吉村選手は11日、自身のホームページで9月中の活動自粛を明らかにした。
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これって何なの?
男女が生きていく中でよくあることなんだけど、もちろん当事者はいろいろな葛藤があり、場合によっては修羅場になることもあるのだろうが、当事者だけの問題でしょう。全国版のニュースで流すこと?
そもそも吉村選手って卓球の選手であって、不倫で卓球を自粛って意味不明。
八百長をやった、卓球の試合で違反行為やフェアプレイをしなかくて自粛たというのなら、まだ理解できるが。

ことわって置くが、不倫を肯定しているのではなく、不倫をニュースで取り上げるという感覚がわからないからだ。
だれに迷惑かけたの?
犯罪?
もちろん当事者は葛藤があるだろうが、著名人の一人だろうから、週刊誌ネタにされることがあるかもしれない。
でも、でも、四大紙と言われる新聞が取り上げるネタ?
しかも文春の後追いニュース。
紙面の編集長あたりがゴーサインを出したんだろうけど、四大紙と言われるプライドないのかしらん?
あるいは、「不倫」が新聞社が胸を張って出すニュースと考えているだろうか。

ホントに新聞社そのものが必要なくなるよ。
少なくともわたしゃテレビをほとんど見なくなってきたけど。

日本人はもっともっと矜持を持っていたはずだが。
ちょっと情けなくて、ついついアップしてしまった。

眼帯

眼の手術を終え退院したのは良いが、眼は、痒み時々痛みという状態が続く。
目の前の景色は相変わらず金魚鉢の水平線が、ちょうど半分当たりでゆらゆら揺れている。喫水線が波打ち、船酔いしそうな感じで揺れるのだ。

病院で貰った目薬が3本。
化膿止め1本とと鎮痛効果2本を貰う。
それを痒み、痛みが出るたびに何度もさす。
眼の痒みをシャツの袖で拭ったら、薄い赤い血痕とおぼしき汚れがついた。
眼の中は、手術後の違和感とまだ戦っているのだ。
無意識のうちに目をこすろうとする。

術後の眼の中は液晶対の”液”が揺れ、不安定な状態は素人の私でも分かる。
薬局で眼帯を買う。
独眼竜ばりに黒の眼帯があればかっこつけられるのだろうが、その度胸もなく普通の眼帯を購入し装着。
たったそれだけで眼は楽になった。

近くのコンビニにコーヒーを買いに行く。
知人に会った。私の異変にすぐに気がつき、話しかけてきた。
「眼、殴られたんですか?」

眼帯姿=殴られた、という発想はまったく想像してなかった。
喧嘩で殴られる・・・
うんうん、それも”あり”も知れない。
それで通してみようか・・・と思ったが
70歳前での喧嘩傷は、無理を通り越して”馬鹿”にしか見えないだろう
やっぱ止めとこ。

退院

おそらく最後であろう眼底検査が終わる。
「大丈夫ですね。順調です。眼帯とってもいいですよ。」
(やったー!)

検査室から病室までの30mほどの廊下を歩く。
昨日までの、九合目ほどにあった波打つ線が、五合目まで下がっている。
歩をすすめるごとに、この線が波打つ。かなりの違和感。
前にも書いたが、目の中に半分ほど水を入れた金魚鉢が眼の中にあるのだ。

それでも入院前にあった、黒のすりガラスも、墨汁が散った紋様がない。

見える。
娑婆が見える。
世界が見える。

(ウフッ!)

違和感はかなり残るもし、涙目なのだが、なんかウキウキが止まらない。

たった4日間の入院生活が、もう少しで終わる。

病院食

今朝のメニューは、
ご飯180g、サバの塩焼き、味噌汁、おひたし、ヤクルトジョア、小袋のふりかけ、お茶となる。

味(塩分)は控えめ。血圧を考えてのことだろう。日頃から薄味が好きな私には抵抗感はないのだが、どうしてもインパクトに欠ける。野菜とか魚とか味付けが大雑把なのだ。
でも、これは仕方ない。大勢の患者の同一メニューを同時に作り、たぶん大きなバッドに移し替え、盛り付け、患者の名前とそれぞれのNG食品などを確認、大きなカートに入れ、それぞれの階へ運び、ナースステーションでの案内、待ちかねている患者へ、最終確認して渡す。

内部のことは知らないが、想像しただけでも時間がかかるのがわかる。
美味しさでなく、患者の健康が目的なのだからさもありなん。

さて、日に三回ほど看護師がやってきて体温と血糖値を測る。
空腹時血糖値は一般の方々はだいたい90〜100程度だと思う。
糖尿病の私は、ちょっと高めの110程度。

ここから食事の中の糖質部分で血糖値は上がっていく。
前述のご飯180g。この糖質量は約70gほど。
空腹時血糖110gに70gを足すと180。他の惣菜にもそれぞれ糖質は含まれるのだが、足して合計は200前後になる。

体に悪影響を与える血糖の数値は160を超えるあたりから。
危険を感じた脳は、膵臓に血糖を下げるホルモン「インスリン」を出せと指令を出す。

糖尿病はこのインスリンの出が悪い。長年の糖質生活で膵臓が疲弊し、待遇改善を訴えて、仕事をボイコット(インスリンを分泌しない)ストライキを起こしているのだ。

ご飯やパンといった主食を減らせば糖尿病はかなり改善する。
毎日3食出される病院食でご飯(炭水化物)さえ抜けば血糖値は上がらない。
だから私はご飯を食べ・・・・る。

ご飯を含めた食事の絶対量が足りないのだ。

そして食品ロス。台風や真夏日の中でも一生懸命にお米を作っているお百姓さんへの感謝。
全ての問題が、ご飯を食べることで解決できる。

環境問題に積極的に取り組む私は来月69歳を迎える。
だが10歳の頃より欠食児童をまだ卒業できずにいる。

金魚鉢から見える雨

術後の眼では雨は確認できない。が、11階の病棟から見える、ビルの屋上のしっとりとしたコンクリート色と、駒のように見える眼下の傘は秋の雨を教えてくれる。

眼帯を押さえるテープが剥がれかけ、その隙間からガラス越しの、雨の高層ビル街が飛び込んでくる。
最初は左眼から見える景色と感じていた。
眼上に波打つ白い線が揺れている。

はて?

ここで気がついた。
右眼から見える景色なのだ。
あらためて右眼だけで確認する。

景色の上部に、確かに波打っている線がある。
眼の中に水が入り、その水が揺れているのだ。
これまでの主治医の説明と合致がいく。眼球の中に入れたのはガス(気体)であり、それが一週間ほどかけて、眼球の中にある本来の液体と入れ替わるそうだ。その入れ替わり始めた状態なのだろう。
なぜ、波線が上部にあるのかわからないが、眼球が水の中に浮いている気分だ。
観察していると、波線は動いてない。視線を移動させるごとに動くため波打つように見えるのだ。
目の前に水を張った金魚鉢を置き、その金魚鉢を通した景色に見える。

実にまか不思議な景色だし、初めての体験だ。

退院は予定通り10日土曜日と教わる。

手術翌日

朝6時起床。
一斉に病棟点灯。
病院の朝が来た。

7時検診開始。
体温、血糖値を病床で。
迎えが来て術後の経過検診。
二人がかりで『取り調べ』が行われる。
眼球は、たぶん切ったと思われる傷でキリキリと痛む。眼を開けても暗く、辺りが見えないのだが、痛みゆえに右眼は閉じる。

「手術は完璧ですね。」
検査をしているこの先生が執刀したわけではないのだが、言葉にホッとする。

「眼の中に注入したガスが90%ほど残っています。このガスが半分ほど減って来たあたりから見えるようになって来ます。だいたい一週間ほどですかね。」

説明も丁寧で好感が持てる。
何かと腰の重い東京医大だが、医大病院の方は高評価。