67歳のポンコツ

誕生日は2ヶ月先だが、今年67歳を迎える昭和28年生まれ。
コロナ禍の最中であり、金策や集客などそれなりに心労が重なる。
そのせいもあるのだろうが、非常に疲れやすい。疲れやすいというか、疲れがとれないまま翌日を迎えている。

今日、郵便物が6通、届く。
商店会長宛が1通。クレジット系の販促申込書1通、年金事務所から4通。
ハサミを入れ、中身のすべてを確認する。
すべての郵便物に返信やそれなりのアクションを必要としている。同じ程度の数の郵便物はよく届くが、読むだけで終わる場合がほとんど。だのに全部にリアクションをおこさなければならないのは珍しい。

で、どれから手をつけるか順位をつける。それぞれの封筒にリアクションの内容をマジックで書く。こうしないと郵便物存在そのものを忘れるのだ。
リアクションの手段や相手先の判断が、まだできるから、ボケてはいない(と思う)。
そうやっていても時間が経過すると封筒をしまった場所を瞬時に思い出さなくて、(えーっと?えーっと?)と整理した場所を探すこと往々。
ヘタすると、探している途中で(あれ、俺、何を探してたんだっけ?)
と、唖然とすることも往々。

ポンコツになってきたのだ。
とつくづく思う。
車や家電製品だと、買い換えの時期なのだ。
でも人間は・・・・・。

ポンコツになってきたこの時期にコロナ禍に出会う。
たいへんだ!
でもそれは私だけの話ではない。日本全国たいへんだ。いや世界中がたいへんだ。ポンコツになってたいへんだったら、私だけの問題ですむのだが、老いも若きも、金持ちも貧乏も、男も女も、頭の善し悪しに関係なく、たいへんだ。
満遍なくコロナは「たいへん」を持ってきたのだが、このポンコツにも皆と同じようにたいへんが回ってきた。
神様がポンコツなりの解決策を見つけろという掲示だろうと、私は考えてしまう。私が神様に問いかける。
「えーっ、こんなポンコツな車になったのに、まだどこかを走らせるのですか?」
意味があってのことと尋ねたのだが、答えが返ってこない。私の頭の中に神様が答えを出してくれない。
・・・・・・・・・
あ、そうか!
私についていた神様もポンコツになったんだ!
きっとそうに違いない。