墓参り

 身延山に行ってきた。
身延山に妙石房というお寺にあるお墓に、今回の閉店を報告に行ってきた。
新宿で歓をオープンする前の勤務先「胡座楼」の上司だった方のお墓だ。
この会社に勤務していたときも、歓がオープンしてからも影になり日向になり私を支えてくれた方だ。実父以上に私を支えてくれたかもしれない。

新橋に日本初の糖質制限中華というコンセプトのお店をオープンさせた。
糖質を制限すれば、血糖値が下がり、結果血管を守り、健やかな日常を過ごせる。糖質(麺、バン、ご飯)を控え、その代わりにタンパク質である肉、魚はお腹いっぱい食べる。アルコールもウイスキー、ブランデー、焼酎などの蒸留酒はOK。ワインも比較的糖質は低い。
お腹いっぱい食べて、お腹いっぱいお酒を飲んで、それでも健康を維持する、そういうコンセプトのお店だった。
今では一般的になったが、「糖質制限」という言葉すらなかった時代だった。
週一で、新聞、雑誌、テレビなどで取り上げられる評判のお店になった。
が、評判とは逆にお店の運営は火の車だった。
”制限”というフレーズが、新橋のサラリーマンには響かなかった。
毎月50~100万円近くの赤字を計上していた。
金策に走った。営業にも走った。それでも状況は改善できず、店舗の廃業を考えた。その時に真っ先に相談したのがこの上司だった。
相談というより廃業の報告をしに伺ったというのが実情に近かった。

当時私は板橋に住居を構えていた。最寄り駅は千川だった。そこから自宅に帰り着くのに歩いて10分ほどかかっていた。
妻と一緒に帰っていたのだが、よほど深刻に悩んでいたのだろう。妻から
「ねえ、下ばっかり見て歩かないでよ。下見てたってお金なんか落ちてないんだから。あんたが下を見てると社員も下を見るよ。苦しくたって上を、前を見て歩いて。」
あ、おれ、下向いてた?しょぼくれてた?
当時の私はそのくらい追い詰められていた。

表情そのままに元上司に辞める相談(報告)をしに行った。
上司は私の顔を見るなり
「おい、苦しいか?もっと苦しめ!」
(はあ?この人何を言ってるんだ。オレはまだ何も話してないぞ。)
「おい、お前が選んだ道(日本初の糖質制限中華料理)は正しい道なんだ。」
「正しい道はどんなに苦しくたって、貫き通せ!」

飲食の世界に私は身を置き、「美味しい」とか「儲かる」とかいう価値感は持っていた。しかし「正しい」という価値感は当時持っていなかった。

そうなの・・・オレが選んだ道ってのは、そういうことなの・・・
でも、お金はどうするの・・・・
今月の社員への給料は?
業者への支払いは?
そういう私に100万円、ポンと出してくれた。
(いや、こんなの貰っても、ひと月で消えるし、根本的な解決は何もないし・・・・)
逃げ場のないところへ追い込まれて、私はただただ絶望的になっていた。


私を見守ってくれる妻がいた。
50過ぎの私に「生きる」という根本的なことを教えてくれる人がいた。
ついてきてくれる部下がいた。
振り返る余裕が私のなかに出来たときに、
こういう人たちに恵まれた人生にただただ感謝だった。

身延山にある元上司のお墓に廃業の報告をした。
もっと嬉しい報告だったら良かったのだろうが、
「やるだけのことはやりました。結果はこうなりましたが、向こうに行ったときにあらためてお話し聞いてください。」
最後の甘えを報告した。