2020年 10月 の投稿一覧

同級生

飲食店は受難の時代を迎えている。
かなり厳しい。
お客様の来ないこと、こんなに辛いと感じたことは今までなかった。

そういう厳しさの中、同級生たちが手を差し伸べてくれた。
めっちゃ嬉しい!
一人や二人ではないのだ。
その一人一人が、その知人たちに声かけして注文を増やしてくれた。

そして今日、また同級生がメールで注文を入れてくれた。
感謝。
返信する。以下。
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ありがとう。
同級生からの注文、合計で20万円くらいは行ってると思う。
助かる。ホント助かる。
でも、焼け石に水。

お店継続できる方法をいろいろ模索しているけど、かなり厳しい。
厳しい理由の一つに年齢がある。60歳を過ぎると新規借り入れは困難。会社として借り入れるためには事業継承出来る60歳未満の人材が必要。
その60歳未満の人材が経営者に向いていない。職人だ。

何をするにしても「元気」が必要。元気と年齢は比例する。

今朝、年金事務所に遅れていた年金を支払いに行った。窓口から見ている職員の働き方、正直ぬるい!仕事している風には見えない。私の方がよっぽど仕事している、と思う。
なぜ、人一倍、仕事しているのか、というと私が、少なくとも年金事務所の職員たちよりも元気だから。年金事務所の人たちの倍働く元気を持っている、私は。

年は関係ない。
だけど、年取って、元気が少なくなって、目の前の職員たちの元気と同レベルに近づいているのを感じる。

そういう自分を客観的に見て、一線から退く時が来たようにも感じる。
いや、まだ早い、まだやれる、という負けん気も出てくる。
どちらが正しいかの判断がつかない。引き際の難しさだ。

今、退くことが出来れば、きっと楽になるだろうなぁ、家内もそれを薦めるだろうな、と思う。
どちらの判断をしたとしても、後悔はきっとある。
どちらの後悔を選ぶのだろう、、、、。そういう岐路に自分がある。

平櫛田中という彫刻家がいた。
この人の名前も作品も有名とまでは行かないが、この人の台詞は一回は聞いたことがあると思う。
「今やらねばいつやれる。俺がやらねば誰がやる!」
芸術家であるこの人が、自分を奮い立たせるために吐いたこの台詞。98歳で吐いた台詞なのだ。この方の享年は108歳。

98歳で、この元気。見習いたいと思う。だから、まだ、弱音は吐けないと思う。生きる死ぬは神様に任せるつもりだけど、その死ぬ間際まで鮮烈に生きたい。生きることが出来れば、と思う。
そういう葛藤を感じながら、会社、店舗が生きながらえる道を探している。その気持ちを支える「元気」が、もう少し欲しい。

来年、同窓会、歓ファンで出来たら嬉しいな・・・・・ホント。

マスク

どこに行ってもマスク姿が定着してきた。
用事があって昨日は新宿の繁華街、市ヶ谷と出かけてきた。
マスク姿を数えてもきりがないので、素顔をさらしている人を数えてみた。
気候が涼しくなって、マスク装着でもそう息苦しくもない季節になってきた。
時間にして延べ5時間近く出歩いて、マスク着用なしが10名いただろうか。
マスク姿がすっかり町の風景としてなじんできた。
これから風邪に季節到来。マスクはもっと多くなるに違いない。

このマスク姿が私は気に入らない。
家内とよく都内のあちこちを歩き回る。歩く距離が増えれば自然と息づかいも荒くなる。
そういう中でのマスク着用が辛いこともあるのだが、基本的にマスクは嫌いだ。
あちこち歩き回る中で、駅やデパート、人が多く見受ける場所に行くと「礼儀」として私もマスクは装着する。家内からも
「ほら、マスク!」
と催促される。

マスクで顔が見えない。
特に口の部分が見えない。
笑顔を見せるときの口の役割は大きい。
喜怒哀楽を表す顔の半分が隠れていて、人と人とのコミュニケーションは取り辛い。言葉でカバーしようにも、これまたマスクのせいでくぐもった声になり聞こえ辛くなる。

三密回避とかソーシャルディスタンスだとか、人と人との距離を保つように、国もメディアも薦める。
いつまで?
仮にコロナが収まったとしても、毎冬インフルエンザの季節になると、例年以上にマスク姿を目にすることになるのだろうと思う。

で、これって良いの?
最速コンピューター富岳が飛沫シミュレーションをやり、その結果のビジュアルをテレビで放映していた。
あんなの見せられたら、人と人との出会いに恐怖や警戒心が起きてしまう。

肌と肌が触れあいが少なくなって、人と人との出会いや関係に微妙な距離が出来てしまう。
コロナを絶つのではなく、With コロナ。
潔癖、清潔がすべて良いというわけではないはず。
あまりにも神経質になりすぎているのではないかと思う。

コロナに限らず、人に心の中の鷹揚さが少なくなっているのではないか。
こぢんまりとし、小さな事に足を取られ、足下しか見えず、遠くに見える大きな目的が霞んでしまっている・・・。
コロナがそう見せている気がしてならない。

人と会うこと、人と話すこと、
人が美味しいと見せる顔、人が楽しいと見せる顔。
それを味わいたくて、この飲食の仕事に従事している。
飲食の仕事に従事する醍醐味だと思う。
今のコロナ対策、この醍醐味を全否定されているようにしか見えない。

「みてね」というアプリがある。
長男次男がこのアプリを使って孫たちの画像や動画を送ってくる。
長男に男孫1人、次男に女孫2人。

それぞれの孫たちが画面いっぱいの笑顔をみせてくれる。
育つ環境はそれぞれ違うが、親に育まれていることをすごく感じる。

孫たちの笑顔。
あやすときに満面の笑顔を見せて、親は子をあやしているに違いない。
長男の孫は奇声をあげながら喜びを表す。
次男の孫は女らしさをすでに発揮しながら、クネッと身体をひねりながら笑う。
両方になんとも言えない可愛さがある。

親が言葉のわからない子をあやすときに、親がきっと満面の笑顔を見せながらあやす。それを見ながら子たちは笑顔を覚えていく。
良きにつけ悪しきにつけ子たちは親を見ながら育つ。
だからきっといつも怒ってばかりの親が育てた子供は怒る顔が得意になる。
笑い顔の上手な子は、きっと親だって笑い顔が素敵なんだと思う。
ある意味、子供たちは親のキャンバスだ。
親の顔が子供たちの顔に表れている。遺伝子のせいで似ているというだけでなく。

私が小さい頃、たぶん小学校の頃、友人との諍いの時に
「俺は気が短いんだぞ!」
「それがどうした!」
(えっ、「気が短い」というフレーズで、こいつはどうして怖がらないの?)
と驚愕した。

父から怒られたときに、何かの拍子に
「俺は気が短いんだぞ!」
と怒られた。その時の親父の顔が相まって、非常に怖かった覚えがあった。
そして「俺は気が短いんだぞ」というフレーズが相手を怖がらせる文句として私は覚えた。
信じた。

けんかの際に、この文句が全く脅し文句にならない。
引き下がると思った相手が逆に突っかかってきた。
唯一の武器が効き目がないと分かった時の、私の恐怖感!

今思い出すと笑い話しでしかないのだが、親父の怒った顔と殺し文句はそれだけ強烈だった。
だから私の怒った顔は威厳がない(?)。
怒っているというのは伝えられても、きっと怖くない。
良いんだか悪いんだか、わからないけど。

GO TO

GO TO トラベル、 GO TOイート、GO TO イベント、GO TO 商店街・・・
いろいろと出てきた。
商店会長をしている。
GO TO 商店街の案内が流れてくる。
一つの商店街に300万円の助成金を出してくれる。
二つの商店街が合わされば、300万円+300万円に、さらに500万円が追加して支給される。
国→○○○→JTB→商店街という流れになる。
なぜここにJTBが入ってくるかというと、JTBの救済策という意味が色濃い。
HISなどもそうだ。

しかし待ってくれ。
GO TO トラベルで潤うのは大きな、高級なホテル、旅館だけだ。
イートにしても、グルメサイト経由の予約が必要になる。
小さな飲食店で、あるいは田舎の飲食店で、サイトを用意していないお店だって多々ある。
今回の政府の救済策は大きな偏りがある。
GO TO を使う方も使われる方も資金的余裕のある方たちへの優遇策に見える。
本当に困っているのは、運転資金などを潤沢に用意していない、融資を受けられない小さなお店や小さな旅館なのだ。

コロナはすべての業種に大きな禍を残し、否応ない変革を迫られた。変革は閉店、倒産という喜べない変革も含む
JTB他大きな企業に偏らず、ほとんどすべての困っている業種を救う方法がある。
消費税減税、あるいは消費税廃止だ。
コロナ禍が治まり、経済が回るようになるまでの期間限定でかまわない。
たぶん政府中枢や官庁でも、こういう意見が出ているはずなのに、英断を拒む。

国としての難局場面では、歴史の中でたびたび英雄が出てきて、英断を下していく。今がその時ではないのか。
管さん、いかが?

運転免許更新

誕生日を前にして運転免許更新時期がやってきた。
昨日の日曜日、鮫洲試験場に更新に行ってきた。
到着時刻10:30分。終わったのが15時近く。
日曜だから混んでいたのか、各セクションで並びに並んだ。
しかもソーシャルディスタンスで、人と人との間隔が広い。
列を見た感じが必要以上に長く感じる。
内心
(もっと人員増やせよ、こんなに混んでいるのに・・・)
と思うが、ここは大人の我慢強さを見せてだんまり。
若い人が多い。
へぇー、こんなに運転免許を持っている人がいるんだ、と感心する。
公共の交通が発展している東京は車の需要は低い。先入観で、免許を取る人少ないと思い込んでいた。

試験場は夫婦で出かけた。
講習を待つ間、持て余す時間を二人並んで、人混みを眺めていた。
若い人たちの弾力のありそうな身体を見ながら、
「お前もあのくらいピチピチしてた頃があったなぁ・・」
「あら、そお?」
「あの頃のお前は、眩しいくらいの太腿してた・・」
「太さは変わらないけど。」
「弾力が違う。」
と夫婦で馬鹿を言ってる。
が、若い人のピチピチ感を見ても、ムラムラ感が全く湧かない。
つくづく年をとったのを実感する。

身体にパワーが湧き上がってこないが、それでもまだ体力を落としてはまずい局面が続く。
帰りは土地勘のない大田区は電車で通過。品川から新宿まで歩くことにした。
品川駅で食事を済ませ、第一京浜を北上、泉岳寺を左折。
道なりに行って魚藍坂下を右折、国道1号線(桜田通り)。このあたり白金台と見るからに高級住宅街の雰囲気が町並みに出ている。
そのまま麻布通り上を道なりに一橋を左折、麻布十番界隈を楽しむ。

麻布十番から六本木ヒルズの手前にある朝日テレビのところで、足が痛くなってきた。
(?・・・)
左足親指付け根がジンジンしてきた。
いやな予感。
10年ほど前にやった「痛風」と同じ部位で同じ痛みだ。
疲れてきたこともあって、歩くのはここで断念。
8km。15000歩ほど。
いやだなぁ、痛風だったら。あの痛み。
ここでも年輪が刻まれていくのを感じる。

虎ノ門横丁の赤坂離宮

虎ノ門ヒルズ3Fに虎ノ門横丁なる飲食街がある。
虎ノ門ヒルズが完成してからの横丁だけにまだホヤホヤの商業施設だ。
コロナの影響で人出が少ない中、このフロアだけは大勢の人で混み合っていた。
1Fのエントランスなどは人がまばらであり、3階まで吹き抜け状態のなか、エスカレーターを利用する人もまばらだったが、3階に上がると熱気ムンムン。
何、この盛り上がり方は!

今年一月で閉店した後楽園店や新宿の店を思いやると、この集客力は悔しいやら羨ましいやら。
その一角に赤坂離宮が手がけたという「香港焼味酒家」がある。
ある方に連れられてこの店を覗く。横丁というコンセプトだけに赤坂離宮のような構え方はしていない。こじゃれた居酒屋風であり、ソーシャルディスタンスもここは関係なかった。

その一つの狭いテーブルについて、おすすめを含めて5品ほど料理を頼む。
ホールでキビキビ動き回っている方は原宿の南国酒家でマネージャーを務めていた方で、私もご挨拶したことがある。
この方のおすすめがエビワンタン麺だった。
お店が一押しで薦めていたのが、いわゆる焼きたてのチャーシューだったので、
(あれ?)
と思った。そして麺を食べると、お酒も料理も進まなくなるためにワンタンだけにして貰った。
このワンタンが絶品。
皮の中にエビがまるごと入っている。ゴロゴロしたエビの食感とスープが絶妙。
この後、8時過ぎから予定のあった私、このエビワンタンをスープ付きでお土産にして貰った。

帰りのタクシーの中、スープがあふれないよう気を遣いながら、新宿に到着。

お店に帰るとすぐにこのワンタンを歓ファンの調理長に食させる。
8時からの会合に出るために、食した調理長の顔は見ていない。
だが、次の日からワンタンが変わった。エビのゴロゴロ感が出てきた。
(ふーん、こんなにすぐに料理に反映できるのだったら、普段からいろいろなお店に行って試食しまくれば良いのに・・・。)
(でも、まあ、小さな一歩と認めようかね。)

金を使い、食べてみせ、美味しさを教え、やる気にさせ、作ったところで褒めて見せ、それでも人は育たず。育った頃には飛び立つ時になり、お店を離れることも。
いくつもの無駄の重ねる徒労感。それでも、人を育てることを忘れてはお店(会社)が育たず。辛抱辛抱。

いつか感謝されるときが来るのかね?
社長業ってのはこんなもの。疲れるよ。