築地田村の三代目

築地料亭「田村」の三代目が亡くなった。
コロナとは関係なく心筋梗塞だったとか。

自由が丘に料理教室「ラパン」というのがあった。
ご縁の最初は、薬膳教室がここで開かれ、その生徒として私も受講してからだ。
新宿で中華料理を営んでいる、薬膳料理分野を拓きたい、という話しをこの教室の校長先生と話した。
女性校長は私と同い年だった。この校長先生、美味いもの好きが講じて料理教室を始めたという経歴。
校長先生はそのうちに新宿のお店にも食べに来るようになり、歓ファンの料理を認めてくれるようになった。
時間を経てほどなく歓ファンの調理長がこの教室の中華部門の講師になる。

料理教室はビルの上階の眺めの良いところにあった。
校長が女性というのを如実に語ったのが、この教室のトイレだ。「ベルばら」を思わせるようなキラキラする飾り付けをしてあって、男の私が用を足すのを非常にためらわせた。
広々としたベランダは小さな庭のように色とりどりの花を植えていた。
飾り付けた花も、教室で使っていた皿も、
(きっといろいろなところで食べてきたのだろうな、(料理に対する)お金もきっとたくさん使ったな)
と、想像させた。


料理教室の講師は日本料理、フレンチ、日本そば、お菓子など様々な分野の先生がいらっしゃった 。その道にそれなりのこだわりを出し、料理に哲学を持っている方たちだった。調理人と言うより「料理家」の色合いが強い。
逆に、歓の調理長がこのなかで、うまくやっていけるだろうか、と心配になってくるくらいに。

話しが長くなった。
その和食を推していたのが田村隆、築地田村の三代目だった。
NHKの料理教室にも頻繁に出演していた先生だ。
私のお店にも来てくれた。
料理教室の校長が主催する会が築地田村であり、私も数度参加させていただいた。
田村の玄関をくぐり、その席で楽しんでいる私の元へわざわざご挨拶に来ていただいた。校長先生の顔を立てていたのもあったのだろうが、あれだけ有名にもかかわらず腰も低い方だった。

食事会では田村を代表して、講師の一人として、集いし皆さんの前でご挨拶されるのだが、テレビ出演なので培われたのか、話しが面白い。内容も面白いのだが、話術も、聞くものをドンドン引き込んでいく。
私よりも確三歳ほど下なのだが、
(かなわない!)
と思わせるくらい、顔の表情を巧みに変化させながら、手振り身振り。

校長と私の共通の知人がママ(経営者)がやっているオカマのショーパブが新宿店の近くにある。
そこにも田村の親父さんと校長と遊びに行った。
ここでも、田村先生はオカマたちの視線を釘付けにする。
オカマたち、化け物のかっこをしているが、ある意味、人物を見抜くのも早い。
浅いお客は、簡単に見抜くし、見抜かれた後はあしらわれるのも早い。
店に入って十分も経たないうちに、田村先生は人物眼が肥えているオカマの視線を掴む。
他のテーブルに座っているオカマも羨望で田村先生を見ている。
それが分かるくらいに、来て間もないお店の中心に田村先生がいた。

(この人にはかなわない)
と素直に思わせる人徳がこの田村先生にはある。

惜しい人を亡くした、と率直に感じる。
もっと話をしたかったと悔やむ。
この縁をつないでくれた料理教室と校長先生に感謝しながら。