時間

年を取ってくると時間の大切をヒシヒシと感じる。
どう考えても、どう計算しても私に時間が残ってないのだ。
残ってないというより、無為な時間を使いすぎた。

重信房子が20年の刑期を終えて出所したニュースが新聞に掲載されていた。
「連合赤軍」
日本中を騒がせた事件だったが、今となっては懐かしささえ覚える事件だった。

常識で見て彼女のやったことは凄惨悲惨なことだったが、その事件の是非はともかく、その当時は彼女は信念を持ってして遂行したことだったと思う。
ただ20年という月日を牢獄の中で過ごすという時間の使い方は考えてしまう。もちろん彼女は覚悟を持ってやったことだったと思うが。

生まれてこの方、「死ぬ」という出口に向かって人は歩いて行く。人それぞれに出口は違うし、その長さも違う。どこに出るのか、いつ出られるのか、神様次第。
物心つく頃から、やりたいことや欲望が生まれる。単にお腹がすいた、何か食べたいという欲望から、やりたいことが分からず知識欲に没頭する時期もあった。
やがてそれが具体的な目標に変わってくる。
生涯の目標が漠然としてくる。
このころは30歳前後だったろうか、もう少し若かっただろうか。
一般的に家庭を作るのもこの頃だろうと思う。目標の中には「家庭」「子育て」も加わる。
複数の目標が生まれ、目標そのものすらも、より高みを目指す様に変化していく。
漠然とした目標が日々具体的な目標にひとつひとつ置き換わってくる。

重信房子は、20年という月日をどう捉えているのだろうか、機会があったらいつか聞いてみたい。画像に写る彼女の顔は晴れ晴れしく見えなかった。
「これで良かった。」のだろうか?
「後悔・・・。」だったのだろうか?
いずれにしても時は戻ってこない。
若かりし、人生の岐路を正確に判断する経験がなかったと思えるその時に、彼女は、結果として「20年」というひとつの決断を下した。

20年間は長い。

今年69歳になる自分に問う。
人生を20年ずつ刻んだとして、およそ、その三分の一になる連続した20年間、私の人生のどこにこのパーツをあてがうことが出来るだろうか。

重信房子の新聞記事を見ながら、「時」に思いを馳せる。