山川草木転荒涼

鹿児島で育った。加治木という町だ。
その小中高の学校時代に、薩摩特有の集まりがあった。
「舎(しゃ)」という。低学年は小学校4年生くらいから、上級は高校2年までの、当時は男の子ばかりの集まりだった。

小さな町だったが、舎は三つあった。もともとが商家の子の集まり、士族の子の集まり、農家や鍛冶などの工業系子孫と別れていたようだったのだが、昔々の町割りで、グループで分かれていた。士族が住んでいた地域の子供たち、商売人が集まっていた地域の子供たちという具合だ。

私が属していたのは「有為舎」。正確には(ゆういしゃ)と読むのだろうが、皆「ゆいしゃ」と読んでいた。もしかして薩摩特有の読み方だったのかも知れない。
毎週土曜日に集まり、高校二年生の舎生長を筆頭に何をやったかと言えば、柔道や詩吟を学んだ。子供たちだけでキャンプに行き、高校生が小中学校の子供たちにいろいろと教えていた。
試胆会(いわゆる肝試し)と称し、誰もいない墓場の奥に札を置き、それを取りに行く遊びをした。
相手の陣にタッチするという単純な「陣取り合戦」という遊びは、敵味方の陣が1キロほど間隔でやった。
「妙円寺参り」といい、12月28日に隣町隼人町の神社の10kmほどの道(距離も神社の名前も思い出せない。)を深夜に歩いて行った。
加治木は安土桃山時代の名将「島津義弘候」の居城があった町なのだ。

今思い起こせば、女子は加入できず、商家の子孫の集まりだとか、遊びそのものだって時代錯誤が甚だしい。
ただ私のなかでは、たいへん大切なことを教わった。
舎の訓示があった。
舎訓
1、正直な人となれ
1、誠実な人となれ
1、勤勉な人となれ
1、同情ある人となれ

話しは表題に戻る。
詩吟の一節だ。たしか「金州城」という題目だったと思う。
乃木希典が戦いの終わった戦場を、死んだ仲間を思い浮かべて唱った詩だと覚えている。
こういう一節が、今は心に染みる。
詩吟は私は下手だったが、こういう詩のフレーズはなぜか今の私にジーンとくる。
心に染み入る理由は、今のお店の苦境なのだ。
いい知恵が出てこない・・・・。