久しぶりに忙しい月末になった。
予約もそこそこあったが、気がつけば満席。
初っぱなのお客様が開店時間の17時。次が18時、18時30分に二組。
円卓を埋めてくれた9名様以外は人数こそ少なかったのだが、時間を分散して満遍なく来てくれた。
厨房に立ち、追われてはいたのだが、料理が遅れることは無かった。
ホールから紹興酒のカメを開けてくれと頼まれ、今日は2カメを開けた。
紹興酒を含め醸造酒は、私の酔いの回るのが早い。
30分、間を開けずにカメ開けする。例によって最初の一杯を私が試飲する。
今日は、その紹興酒の酔いがきつかった。
カメ開けした後、すぐに厨房に戻り、宴会料理、アラカルト料理を仕込み、作る。
作ること自体はどうってことないのだが、その注文が10個以上重なると、頭のなかはフル回転になる。
宴席料理の進み具合、揚げ物の揚がる時間、煮物の仕上がる時間、それぞれ単品の材料を5台ある冷蔵庫、冷凍庫に取りに行く。一番離れている冷蔵庫まで10歩もないのだが、何度も往復するこの時間が惜しい。
全てのオーダーの、材料を頭にたたき込み、なるべく一度で終えるよう走る。
やがて全てのオーダーを出し終える。すぐに片付けと材料の残を確認する。まだ閉店で無い。次の注文に備えなければならない。
おかげで紹興酒の酔いがだいぶ冷めてきた。お客様からただいたハイボールは手つかずで残り、中の氷は溶けている。
それでもこの忙しさは、久しぶりの忙しさは、嬉しい!メチャ嬉しい!
2023年 8月 の投稿一覧
好奇心と読書
昔はネット関係は苦手じゃ無かったんだけど。いつのころからだろう、新しいものに食いつかなくなってきた。
ゲームも新作が出るたびに一通りは熱中した。
インベーダー、マリオ、ドラクエ、ゼビウス、鉄拳、ストリートファイター、ギャラクシー、・・・・。
タイトルを見て貰えると分かるとおり一昔のゲームばかりだ。私が30~50代の時代だ。この時代を振り返ると、よくゲームする時間があったなぁ、と思う。
仕事、家庭、ほぼ毎日飲み屋に通い飲んだ。飲む打つ買うと三拍子そろっていた。
でもでもでも仕事は充実していた。どんなに遊んでもあの時の私はエネルギーがつきなかった。
元気だったのだ。
元気だったから好奇心も旺盛だった。
ゲームに限らず、寸暇を惜しんで”遊んだ”。興味のそそるものは分野を問わず没頭した。
パソコンを初めて触ったのは30台半ばだったと思う。NECのPC98が全盛期の時だった。そのパソコンを習熟するために1年間飲食の仕事を離れてパソコンスクールに通った。
今ではすっかり忘れてしまったが、コンピューター言語のベーシック、コボルでの及第点はとった。
好奇心も旺盛だったが、あの当時の新しいものに対しての私の理解度もそこそこあったと思う。
新しいものに出会えるのが楽しかった。私の興味は次々と新しいものに移る。
でも、いつも飲食の仕事は私の原点にあった。
美味しいものは好きだったが、ある時から仕事の内容が”作る”から”見せる”に変わっていった。見せると言うより「楽しませる」に重点が移ってきた。
楽しませるには相手の楽しみを知る必要があった。当時の相手は常に「お客様」だった。
お客様を楽しませるためにパソコンはあった。
今でこそ当たり前になった宴席メニューをパソコンで作った。フォトショップなどの画像処理ソフトの扱い方も覚えた。
宴会途中でお客様のポートレートを撮った。画像でコラージュを作った。宴席の終わる頃にはお客様全員の画像とメインのお客様を中心に添えたコラージュが出来上がっていた。
喜んでくれるお客様の顔が、私の何よりの喜びだった。
たぶん私が一番輝いていた頃ではなかったかと思う。
雇われ店長であり、今と比べると責任はさほど重くなかった。
何でも伸び伸びとやれた。
”成長”を肌で感じていた頃でもあった。
あれから30数年経った。
私自身で一番変わったと思うのは、読書の量が減ったことだ。
目にも原因がある。網膜剥離の手術をしてから近くのものを見るのが疲れる。
眼医者にも行った。めがねも何種類か変えた。
裸眼でも眼鏡でも読めた文字が今は読みづらい。
新聞もタイトルだけで読み流す紙面が増えた。
それは好奇心を支えていた根気が少なくなったことでもあった。
長編の小説どころか2時間、3時間の映画すら億劫になる時がある。
原因は、目をはじめ身体の各部位の老化が原因だと思う。
まだ今の私には仕事があるから、ある程度の体力と考察力を維持できるが、仕事が無くなったら、もしかして痴呆、認知症の世界にまっしぐらに進むのかもと危惧する。
体力と考察力を支えるもの、好奇心と読書・・・。
あまり面白くない落ちになっちゃったな。
花器
商店会のメンバーの一人が引っ越した。
今日はその引越日だった。
新しい会社の所在地は西新宿。
住友ビルセントラルパーク・ラ・トゥール新宿。
新宿中央公園の方南通りをはさんだ真向かいにある。
鏡張りの壁面が、真夏日の痛くなるような日差しを反射させて眩しい。
エントランスには受付が数名。言わずもがな高級感が漂う。
(後で聞いた話し。家賃は50坪115万円/月。後楽園に出店していた当時の家賃と同じだ。私の場合は店(テナント)が家賃を生み出していたが、彼の場合は場所自体はお金を産まない。)
会社はその6階にあった。
開業は明後日の月曜日。社内は引越の真っ最中。
大小の段ボール。机、イス、・・・・。
目を和ませてくれるはずの観葉植物が部屋の片隅で、置き場所が決まってない事務用のファクスやプリンターと肩寄せ合うようにしている。
熱い。
聞けば手違いでまだエアコンが通じてないそうな。
熱気ムンムンの部屋で新オフィスの配置を手分けしてかたづけている。
半袖シャツや腕まくりが黙々と働く。
部屋の熱気とは違う、彼らの熱気を感じてしまう。
みな若いのだ。30歳代~40歳代。社長だってまだ43歳。
熱気といっしょに勢いを感じてしまう。
おそらくこの会社は伸びる。間違いなく伸びる。
これだけ人が集まる会社がそうない。
新橋のお店を出していた頃。たぶんあの頃が私に一番人が集まってきていたような気がする。私にも人が集まる勢いがあった。勢いに乗って走る体力も元気も私にあった。
その頃を思い出す。
今日は引越祝い、新スタートとしてのお祝いを持って行った。
引っ越しした社長との共通の知人でもあり、昔は大きな会社の経営者であり、飲み仲間である彼女が所有し、今は私の手元にある大きな花器を彼の引越祝いとした。応接室に置けばかなり映える代物だ。おそらく数百万の価値はある。彼女は大きな花の中でもカサブランカがこの花器に一番映えると言う。
喜んでくれた。
同時にこの花器が繁栄の印しとして私から彼の元へ。あるべくして主を見つけていく。
花器にとっても良かった。
いろいろとやれること
ホール中心で仕事をしていた頃は、例えば芸人を呼んで落語だったり漫才だったりマジックだったりとやっていた。そういう友達もいた。
厨房に入り、それが出来なくなった。
「今度は何をやるの?」
と今でもお客様から聞かれるが、言下に
「無理です。」
とにべもない返事をする。
芸人さんを手配し、そのための案内状を作り、顧客に発送する。相手によっては電話やメールで懇願して来て貰う。企画、実行、集客、そして当日の紹興酒カメ開けを含めたイベント進行・・・。これに料理を考え仕入れ仕込み・・・どう考えても無理すぎる。
厨房に入り、お客様と接する機会が断然減った。
お客様の顔を見ることが出来ない。
楽しいことがあったのか、疲れているのか、話したくてきたのか・・・。
何も分からない。
今一番悔しいのは人と接する機会が少なくなったことだ。
でもね、今はね、ちょっと辛抱するときなんだろうね。
そう思っているんだけど、そう思い込もうとしているんだけど。
やっぱり時にはお客様といろいろ話し込みたい。
もしかしてお客様もそう思っているのかも知れない。
私と話したいと・・・。
でも、何回かお店にいても厨房の奥から出てこなければ、お客様も離れるよね。
・・・・・
今日は立秋。
物思いにふける秋が始まった。
メランコリーな秋が始まった。