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老い そして夫婦

ランチタイム。
老夫婦が来店された。推定80歳越えと見える。
奥さんが車椅子、旦那さんがその車椅子を押して来ていた。
共白髪で旦那は奥さんを半ば介護という状態だった。
奥さんの表情や仕草からして、たぶん認知症も少し入っていそうだった。

ラーメンと焼きそばをそれぞれ注文。
おそらくは奥さんが「ラーメンが食べたい。」と言って、それに旦那が応えて今日の来店だった風に見えた。
焼きそばを食べながら、ラーメンをすする奥さんを見て、汁をこぼさない様に、汁がはねない様に、気を配りながら、時々手を添えながら、食事を進めていた。

この日のランチタイムのホール勤務は私と家内だった。
家内もこの老夫婦を見ていた様だ。あとで
「私たちもこんなふうになるのかねぇ。」
ため息をつく様に、老夫婦を見て言った。
「そうなんだろうね。」
「介護、頼むぞ。」
「やだ。それより私の面倒は、あんなふうにちゃんと見てよ。」

身体が多少不自由になったにしても、夫婦揃って、お互いを支え合って生きていけるといいな、と二人とも同じ事を感じていた。
25歳で結婚だったから、私たち夫婦仲も42年ともに過ごした。
たぶん仲のよい夫婦の一組に入っていると思う。

家庭に子供がいて、それはそれでたいへんだったが、それを乗り切るパワーがあり、支える体力もあった。若さが苦労を支えてくれた。
その子供たちが大きくなり、それぞれの家庭を作り、今まさに私たちが味わった子育てと家庭作りに邁進している。
私たち夫婦の出る幕はないし、あったとしても相手になる体力は残っていない。
いまだから判る、(子育てするうちが花だ)とつくづく思う。

子育てを終えた今、夫婦二人だけの、静かな時間が流れる。
コロナ禍でお店を維持するたいへんさは続いているが、こればかりは私たち夫婦の範疇を遙かに超えている。なるようにしかならない。
そういう厳しさとは別に、夫婦で、ともに生きていける喜びをかみしめる。

かの老夫婦は、「こんなふうに生きなさい。」と教えてくれているようだ。

コロナワクチン

数週間前にワクチンの接種券が届いた。
妻には届いていないので、私が65歳以上だからだと思う。
ワクチン打とうかどうしようか思いあぐねていた。
打たなくても、それはそれでかまわないというスタンスだった。。
そして接種券は引き出しの中で眠っていた。

「私にも来たよ。」
と妻が私に告げる。
「どうするの?いついくの?」
ん?
「どうするかねぇ・・」
「私の接種券がくるのを待っていたんじゃないの?、一緒に行くつもりで。」
私が接種券をほおっておいたのはそのためだと妻は思い込んでいた様だ。
「一緒に接種つもりで待っていたんじゃなかったんだ・・・。」
妙に落胆した様な顔をしている。

そんなやりとりがあった数日後。私の毎月の定期検診日がきた。
血液検査、尿検査、血圧検査、問診などが終わり、先月の結果を見ながら主治医と会話する。その流れで
「ところで先生、ワクチンってここで打てるんですか?」
「打てますよ。」
予約とも言ってなかったのだが、病院はワクチン接種の予約準備を始める。
(ありゃりゃ・・・・・。ま、それもしょうがないか・・・。)
主体性がない。流れに任せる。
「ついでに妻の分と二人の予約お願いします。」

ワクチンは1個で6人分を打てるらしい。ワクチン接種者6人が揃う日程の段取りをとるようだ。妻のパートは14時までなので、曜日はお任せするとして時間は15時予約をお願いした。

診察した日の夕方、早速病院から電話が来た。
1回目、6月19日(土)。
2回目、三週間をおいての7月17日(土)と二回目の接種まで決まった。
テレビで流れていた、ワクチン接種の滞っているというニュースは何だったの?
拍子抜けるくらいの簡単さだった。
コロナが収まるのは、もう間もなくだなと確信する。

これもオリンピックのおかげ・・・それとも陰謀?

小池百合子ショー

また小池さん、フリップ持って何か言ってるねぇ。

「(午後)8時にはみんなかえる」
「職場からかえる」
「店からかえる」
「寄り道せずかえる」
「ウチで気分をかえる」

根本的にフリップだったり、こういうパフォーマンスが好きなんだね。きっと。
いっそフリップの中身を

都民、ジュースの中身をお酒にイレカエル。
百合子、政党をノリカエル。
百合子の給料は、募金にスリカエル。
都議選、都民ファーストから他の候補にカエル。
百合子の首をスゲカエル。
大学卒業証書をトリカエル。

とでも変えたらどうですかねぇ?
7月4日東京都議選。
少なくとも投票率は上がると思うけど。

6月。緊急事態宣言下の合コン

お酒が出せないのは本当に困った。
かと言って、協力金を返上し営業したとて売上を上げる自信はない。
ゴールデンウィークから6月まではそういう時期なのだ。
7月、ちょいと持ち直して、8月~10月くらいまで売上は伸び悩む。

4月1日~11日までの協力金は申請した。次の分の申請は6月末になる。
問題がなければ申請後の半月ほどで入金される。
ということは、4月12日以降の協力金が実際に入金されるのは7月中旬ということになる。長い・・・・・。
やはり資金繰りが苦しくなる。

どうしようかと思いあぐねている時に、元女性アナウンサーだった知人が友人を伴って3名で来店してくれた。すべて妙齢の女性ばかり。
そのうちの一人がイベントの企画運営会社を経営されている方だった。

1時間ほど過ぎたときに同じ町内の仲間が売上貢献に来店してくれた。
こちらはちょっとむさ苦しい男二人。

緊急事態宣言下、歓ファンの営業は20時まで。
双方にいったんお会計をお願いした。
(さあ、これで、本日の営業は終わった・・・。)
そこで女性軍に
「合コンしませんか?」
と持ちかける。
ここからは営業ではない。
お酒も出した。(ホントはお会計前にも少し出したのだが・・・・・。)

男性のうち一人は、誘った女子アナの現在の仕事が同業でもある企画運営会社だったからだ。
共通の知人が多々いることも知っていた。
お互いを紹介した。
そして男性陣が座っていた円卓に誘った。
年齢も40歳代一人、50歳代3名、60歳代が私を含めて二人。
それぞれが家庭があり、子育てが一段落し(40代の一人は真っ最中だが)、さりとてまだまだ現役で活躍されている。
話しが妙に合った。楽しかった。
男女比が3対3というのも楽しさを手伝った。

話しは、商店会の秋のイベントのことになり、この人たちの力が結集されることになりそうだ。
こういう繋がりができると、「飲食」という業は面白い。
秋のイベントも飲食も、早くコロナ禍が収まって欲しいとつくづく思う。

小型三輪ジャイロキャノピー

バイクを買い換えた。
今まで載っていたバイクがキックスタートでもエンジンがかかりにくくなっており、バイク屋さんから
「いつ廃車になってもおかしくないですね。」
と宣告されていた。

古いものを一昨日預け、本日新しいものを引き取りに行ってきた。
ホンダのジャイロキャノピーからホンダのジャイロキャノピーへ。
見た目は同じキャノピーでも、登録の仕方で今までとはちょいと違う。
今までは原付(原動機付き自転車)の登録だったが、今回は小型三輪で登録した。
そうすることで今までとは変わってくる。

◆原付
・原付の制限時速は30km。(45kmまでは大目に見てくれる)
・片側二車線以上の交差点では基本的に二段階右折。
・原付免許および自動二輪、普通免許が必要。
・年間にかかる税金2000円。
・ヘルメット着用義務がある。

◆小型三輪
・時速30kmオーバーでも違反を取られない。
・二段階右折の必要はない。
・普通免許以上で運転できる。自動二輪、原付免許では運転できない。
・年間税金は約3700円。
・ヘルメット着用は任意。
・ナンバープレートは青色になる。
・原付進入禁止の表示道路でも運転OK。
・ 駐車違反や一時停止違反などは、自動車としての罰金適用になるために違反金は原付に比べて大きい。

デメリットは税金と違反金ぐらいで、メリットの方がはるかに多い。

明日から新しい販路へ弁当配達が始まる。
平日、月曜から金曜日まで毎日の配達だ。
早速バイクが役立つ。
あ、違った、小型三輪が役立つ。
ビルの中のコンビニで、一般客はなかなか入りづらいコンビニだが、売上微増!

ラッタッター、小型三輪キャノピーが、
ラッタッター、明日から
ラッタッター、快調に走ちゃうぞ!

昭和と10円玉

コロナ禍も手伝い、政策としてキャッシュレスが推し進められようとしているが、我がお店のランチは現金のみ。
当たり前の様にクレジットカードを出すお客様がいる。その都度
「スミマセン、ランチ、現金だけなんですぅ。」
えっ、今時!
と言う顔をされるお客様はいらっしゃるが、おおむね
「わかりました。」
と現金を出される。
「申し訳ありません、デジタル化が進んでません。」
と陳謝する。

そういうわけでアナログ店舗のアナログ社長は釣り銭も当然ながらアナログだ。
500円玉、100円玉、50円玉、10円玉と余分に用意してある。
1円、5円に関しては端数を切り捨てしているので用意はしていない。

新札発行 を前にナンとか大臣が
「ウイルスはお札の上で1週間生きている・・・。」
とアホなことを宣っていたが、
(あんたもデジタルにしたら・・・)と突っ込みたくなった。

今日の釣り銭の10円玉は66枚あった。
一枚一枚ひっくり返して年号を調べた。
昭和の年号は11枚。
一番古いので昭和47年だった。
圧倒的に平成10円玉が多い。
ここにも時代の流れを感じてしまう。
昭和が遠く、そして少なくなっていく。

令和硬貨は令和2年の1枚だけだった。
令和生まれの孫がまだ一人なので、
(うん、まだ昭和が勝っている・・・)
ようやく歩き始めた孫娘を思い浮かべながら、ひとつまみの優越感を持つ。

ランチお客様、1時近くなって、まだ20名に届かない。
ヒマは10円玉に、古き昭和の郷愁を抱かせる。

緊急事態宣言・・・延長

困ったねぇ。ホント困ったねぇ・・・・。
今回の「禁酒令」はホトホトまいった。
踏ん張っていた心の最後の柱がポキッと折れる音がした。
「禁酒令」が出た5月12日から東京都の指示に忠実に従ってきたけど、もう限界だな。
今月いっぱいは「禁酒令」も「時短」も従うが、6月からは要請は辞退しようかと思う。
夜の営業始めるので、皆さん来てくださ~い。

例年5月連休明けから6月は売上は悪い。梅雨時期のジトジトしたお天気に加えゴールデンウィークでお客様たちはお金を使って、外食に回すお金が少なくなる時期なのだ。コロナが無くても資金は逼迫する季節になる。7月がちょっと持ち直して、8月~10月頃まで、毎年、経営的に厳しい時期になる。
だから緊急事態宣言延長がなくともお客様や宴席の需要は少なくなる。だから要請を受けて協力金を受け取る体制を作るのが、たぶんベターだ。
でも、もう、自粛営業は限界かな・・・・。
8時までの時短には従ってもアルコール提供はする。
歓ファンは品の良いお客様ばかりで、大声を出す様な下品なお客様はいない。

それにしても、何かおかしいよね。
緊急事態宣言で、行政はいろいろと要請、お願いをしているけど効果はいまいち。
お願いばかりで効果は無くて、保証は渋るし遅いし。電話はつながらない。
各種申請書は難読問題の試験を受けるようだし。
何より「働く」「持続、継続」という意欲が喪失してくる。

コロナ禍もたいへんだろうけど、いずれ終わりを迎えた後の、人が立ち上がる気力を奪っている。何の行政かと思う。
こうなると行政に対する信頼がドンドン少なくなってくる。実際、緊急事態に従う人は少なくなってきている。禁酒も密接密集も守っている人は少なくなっている。
飲む側だけでなく「禁酒令」を守らないお店も多々ある。
要請に唯々諾々と従うこちらは、不公平感もまた大きい。
こうなるとどんな要請も命令も従う人は少ない。

政を司る方たちはたいへんだと思うが、兵隊(民)がトップ(政治)に対して不信感を持つとどんな戦争にも勝てない。
首長も私も「経営者」なのだ。
目標と目標に関わる時間を社員に提示し、目標達成後の報酬を明確にし、目標達成の成長を讃えることで、次の目標を設定する。

コロナ禍でいろいろと無理強いをさせられ行政に対し不信感を持ったことで、私自身の経営手腕の反省を促されている。

みんな、すべてが我が師なのだ。


笑い

毎日がどうにもこうにも重い。
鬱陶しい季節になり「重さ」がより重くなる。
禁酒令のため夜営業を止めている。
ランチが14:30までなので、お客様が長居をしても15時には閉店となる。
身体は負担が軽くて楽なのだが、メンタル面は「重い」
この重さを連日感じている。だから重いのだ。

債務返済やコロナが終息後のことを考えると、どうしても気が滅入る。
これといった解決策をまだ見いだせないのだ。
いつかは終わりが来る、未来永劫続くものはないのだ、終わりが来れば始まりも必ずある、新陳代謝は不可欠な要素なのだ、と気持ちを代弁する声が聞こえてくるが、気は晴れない。

孫娘からLINEアプリを通してライブ通話がかかってくる。
小雨が降る日曜日の昼下がりだった。
店はお休みで、出かける当てもなく、雨を理由に部屋でくつろいでいた。
妻のスマホから元気な声が漏れてくる。
孫娘は二人いる。
1歳と3歳だ。
代わる代わるスマホを通して話しかけてくる。
キャッキャッと娘特有の甲高い声が部屋中に響き渡る。
妻の声も華やいでいる。

こんな声に、ひととき気持ちが晴れる。軽くなる。
あぁ、笑いって、いいなと率直に感じる。

くったくのない笑顔と歓声だ。
この笑顔が欲しい。切に欲しい。
だから少し無理してでも私も笑おうかな。
「 キャッキャッ !」



ワクチン接種が始まる

ワクチン接種が始まったとニュースで流れる。
基礎疾患があり68歳の私の所へはまだ通知が届かない。
ワクチンはあまり興味はない。打っても打たなくてもかまわないと思っている。
が、周りの心配や忖度を考えるとたぶん打つだろう。
しかし他にワクチンを急ぐ人があれば、
「どうぞ先に打ってください。」
というスタンスだ。
医療従事者はもちろんのこと、「バカ者(若者)」と揶揄される若い人たちに
「どうぞ。」
私だって「バカ者」と呼ばれた長い時期が合った。今だってけっこうバカ者だけど。

怒られることを覚悟で言えば、68歳という年齢は高齢者だ。
年寄りの仕事は先に死ぬことだと思っている。必要以上に長生きしなくてもいいかな・・とも思う。
やるべくことはほとんどやった、という、少なくともこれまでの生き方で後悔はない。
(ホントにそうか? 自分を無理に納得させてないか? 苦しさに逃げてないか?)
と何度も何度も自分に問い返す。

寿命があり、その寿命がいつになるのか私も誰もがわからない。
無理に寿命を縮めるつもりもないが、さりとて長らえなくてもいい。

だから今生きていることを、余生がどのくらいかわからないが、自分らしさがあって、自分らしく生きたい、・・・・。
そんなところかしら。

ほとんど自分が思うままに生きてきたから、それはいい。
主に飲食の世界でやってきて、そのなかで学んだこと経験したことを少しでも若い人たちに伝えられたら、と思う。伝えられるようなたいしたものは無いのだけれど。

年を取ると言うことは、身体にも変調を来し(老化)、身体から溢れるように湧き出てきてたパワーも限度が見えてきた。パワー配分を考える様になってきた。
たぶん
「死ぬ準備を少しずつ始めなさい。」
という啓示かと受け止めている。
上記のワクチン接種に対する私の考えの根幹だ。
ネガティブに聞こえるかも知れないが、私はいたって淡々としている。
こうやって自問しながら、これから先の生き方に対して、自分の気持ちを整理している。

孫と笑顔

私には三人の息子がいて、孫は三人いる。
長男に男の孫一人と、次男に女の孫が二人。
それぞれにそれぞれの特徴がありそれぞれの可愛いさがある。

その孫の中で、一番年下の孫娘が妙に可愛い。
上は才気煥発そうで、いかにもの長女らしさを出している。
下はまだ1歳ちょっと、どういう風に成長していくのかまったく判らないし、私の目から見て美人ではない。いや美人になりそうもない。孫娘のために言い分けするが、けっしてブスでは断じてない。
が、この孫娘の笑顔が素晴らしい。思わず引き込まれる。

長男の息子、現在梅橋家の唯一の男系子孫だが、この孫の笑顔も屈託ない。
が、残念なことに私になつかない。

成長し大人になるにつれ屈託のない笑顔の表情は一般的に少なくはなるが、こういう笑顔を残している大人は時折見かける。
若いときは理解しなかったが、こういう笑顔は大きな武器になる。
すーっと笑顔に引き込まれてしまう。こういう笑顔を見るにつけ、見ている方の気持ちを軽くさせてくれる。どんなにありがたいことか。
こういう笑顔は仕事でも縁組みでも威力を発揮する。

コロナのせいもあるのか、孫たちをこちらに連れて来る頻度が少ない。
コロナ禍で、お店はヒマなくせに私が考えさせることは多々ある。悩まさせられることも。
孫たちが来たら来たで、孫たちの圧倒的な元気さにヘトヘトになる私たちがあるのだが、それでも時々来て欲しいと思う。屈託のない笑顔が見たいから。

息子たちが多感な少年期から青年期に、私は家族を茨城県石岡市に残し、東京での単身赴任を15年間続けた。
1週間に一度、家に帰っていたが、子供と接する時間はやはり少なかった。ある意味での母子家庭だった。
子供たちが大きくなるまでは家内の負担は大きかったと思う。その苦労に私が一助になっていたかというと、まったく自信がない。

それでも子供たちは素直に育ってくれた。誰一人「ひねくれる」でもなく「ぐれる」でもなくスクスク育った。
現在それぞれに仕事を見つけ、上の二人は妻をめとり孫を作り家庭を作った。
息子たちは今年41歳、37歳、35歳になる。

夫婦二人で過ごす部屋は、かっての熱さはもちろんない。
落ち着いた・・・・と言えばそうなるが黄昏色が二人を包む。
これはこれでそれなりの味があるのだが、孫の笑顔が時々欲しくなる。
老いた夫婦に立ちこめる「黄昏色」を一掃してくれる、まばゆいばかりの笑顔が欲しい。
子供たちよ、聞こえてるか?
孫を時々連れてこい!