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同級生・同窓生

毎年11月の土曜日に関東地区の私の高校の同窓会を歓ファンで開催している。
昨年で一回り(12年)したそうだ。
1年に一回、昔の顔ぶれが50年ほどの時間と、東京、鹿児島間の地理的距離を亡きにして会う。
その同窓会がコロナで中止が決まった。6月頃の話しだ。

(だよな。)
(仕方ないよな。)
(今年は我慢するしかないよな。)
と思いつつも、心にできたポカンと空いた寂しさはどうにも隠しきれない。

その同級生が、同窓会が開かれない代わりに、個々に料理や点心などを注文してくれた。昨日その発送を終わった。
そして今日、届いた品を写真に残して、同級生へのメールにコメントとともに送ってた。

たいした金額じゃない。
でもでもなんだかジーンときてしまう。
あいつが・・、あいつも・・・・
こんなジーンとくることをしてくれるほど、
俺、おまえさんたちに、 何かしたっけ?

今年は同窓会、我慢するけど、来年は同窓会きっと開こうな!
できたら、歓ファンで・・・・・。
もっとギリギリまで頑張ってみる!うん。

緊急事態宣言解除

少し増えたのかなぁ?お客様。
15日までの緊急事態宣言が解除された。
16日がランチ54名様。17日44名様。
微妙な数値だな。
明日まで営業すると、その後は19日から4連休で、一般の会社は火曜日までお休み。
通常に戻るのは来週から?それとも今月いっぱいは自粛ムードが続くの?

身体がヒマさに慣れてきた。
もし忙しさが戻ってきたら、前のように動けるかな?
コロナ禍が始まって半年。
何もかもが変わってしまった。

新聞を見ると、中小から大企業まであり得ない損益を出しいている。苦境はどこも一緒だと感じる。感じるが、それを跳ね返す力が残っているのだろうか。
ここ最近感じる疑問だ。
どこもかしこも私と同様かそれ以上の苦境が訪れているから、みんなひたすら耐えているのだろうと察する。だから弱音を吐きたくない・・・。

だけど打開策はあるのだろうか?
ない知恵をしぼる。
今まで考えた打開策をもう一度反芻する。
反芻しても、
(やっぱり駄目だ・・・)
(これはもう少し練り直したり、相談する相手次第では何とかなるかも・・・)
両方の思いが錯綜する。
問題は駄目だった場合でも、思いとどまった場合でも、私の気力が体力が持つのだろうかという不安と弱気。
そのたびに、
(おまえは何年人間をやっているんだ!)
(覚悟を決めたんじゃないのか!)
(なるようにしかならないんだ。だったら、やれること、出来ることを全部やってから、投げ出せ!)
と、叱咤する声がどこからか聞こえてくる。
この数ヶ月、この思いの連続だ。

悩んでも苦しんでも人為を超えている災害だ。
どうしようもない。
やりようもない。
かと言って、諦めきれない自分がどこかにいる。
だから悩むし苦しむ。
このコロナの影響を受けるすべての人が受ける苦難だ。

今までもいろんな困難と出逢ったが、そのほとんどをくぐり抜けてきた。
私は運が強いと思う。
だから、まだ、もう少し、運がついて回ると思っている。
他力本願で、何の根拠もないのだが、運を引き込むこの強さがある限り、もうちょっとだけ・・・

と思いながら半年経った。

国会議員

11日金曜日。
ディナータイム。予約はなかったが、途中から混み始めてきた。
ま、ソーシャルディスタンス状態だったために、席は埋まっているがそれなりの数のお客様。
そこへ突然民主党系の国会議員の先生が来店。
ありゃ!

前段がある。
先日、この先生の事務所からファクスが送られてきた。コロナ禍に対するアンケートだった。アンケート用紙に記入し、その余白に余計なことを書き込んでファクスを送り返した。

余計なこと。
1、コロナ禍でみんな一様に苦しんでいるのに、先生方の誰一人として高額のボーナス返上しませんね。ボーナスって賞与と訳されますよね。結果を何一つ出してないのに賞与っておかしくないですか?
2、コロナで直接なくなる方より、経済的に行き詰まって亡くなる方も出てきますよ。その場合に先生方は「殺人幇助罪」には問われないのですか?
3、ま、民主党には期待してませんけどね。

この議員さんとは関係ない別な前段がもう一つある。
私が会長を務める商店会についてだ。
都や区からの助成金施策がいろいろ出ている。コロナ禍に対する施策もあれば、コロナで苦しんでいる商店会に対しての助成金もあり、その一つにこの商店会も取り組んでいる。
自粛疲れのお客様たちや商店会会員のお店に一助になればと、商店会の飲食店向けのスタンプラリーを企画していた最中だ。
そのスタンプラリーの景品に高額商品を提供することが頓挫しかかっているのだ。高額(20万円程度)商品は、助成金を当てにせず商店会の協賛品で賄おうと妥協したのだが、それも駄目との返事。

新宿区と何度も折衝するが、200円程度のクーポンはOKだが、景品目当てのイベントに助成金は使えないとの一点張り。
若手の会員から出たアイデア、ねじ込んでも、会長として何とかこのイベントを成就させたいと願った。
区の振興課には、
「別なルートで助成金が出てくる方法を模索して良いですか?」
と、暗に政治的な決着を匂わせた。実際、区議と区長に働きかけていた。

と、そこへこの先生がいらっしゃった。
ファクスを送ったことで来店されたのはわかったが、ここは千載一遇のチャンスと捉え、ファクスの件を手短に謝罪し、この先生の席に座り込んだ。

これまでのいきさつをすべて語り、若手から出てきたプランを印刷して渡した。
「何とか実現させたい、若手が自信を持ち、地域貢献に目覚めるきっかけになります。」
私の方で頑張るだけ頑張ってみますが、 側面支援お願いします。と頼んだ。

区や商店会の事案に国会議員が出てくることはまずあり得ない。が、振興課には相当なプレッシャーになるはずだ。
でも、我ながら相当無茶ぶりだったし、身の程知らずだなと、帰った後で胸をなで下ろす。

後日談。
あらためて(ファクスの)謝罪のメールを送り、若手の気持ちに応えたい旨を伝えた。
そして経過を逐次教えてくださいとの返事を秘書の方からいただいた。

散歩

日曜日。お店は1ヶ月半ぶりに頼んであったフロア清掃。清掃してくれた上にワックスがけしてくれる。元ダスキン勤務で定年退職後、自立して小っちゃな会社を起こし、良心的すぎる価格でやってくれる。前のお店から20数年来のお付き合いだ。
したがってお店には強制的に行けない。

妻が尋ねる。
「東京駅って遠いの?」
「六本木とどっちが遠いの?」
地理感覚がその程度しかないことに驚く。
「歩くつもり?2時間は見てた方が良いぞ。」

で、夕方から東京駅に向かって散歩スタート。
自宅から新宿通りへ。新宿通を一路皇居へ。
おりからの小雨。傘を差すかどうかの微妙な雨。
傘は持ってきているが、ま、新宿通りの下は丸ノ内線が走っているし、土砂降りになったら電車に乗り換えて東京駅へ向かうか、とお気楽。

新宿通りはやがて皇居、半蔵門にぶつかる。右折してお堀ずたいに下り坂。
やがて国会議事堂を過ぎ桜田門へ。桜田門が開きランニングする人が門の中に吸い込まれていく。大手門方向へのショートカットと見え、私たち夫婦も一緒に桜田門をくぐる。

二重橋が望める広場にでると、小雨空の下にうっすらと浮かび上がる大手町方面のビル群が見えてきた。


これだけで今日の散歩の収穫あり。

やがて東京駅に到着。家内の行きたがっていた駅ナカの飲食スポットへ到着。
所要時間1時間40分。ほぼ9km。12000歩。
駅ナカのマイセンで食事。ハイボールが美味かった。プハァッ!

帰りはそのまま中央線で新宿まで。
来週はどこ行こ?

コロナの今

東京都や新宿区から新たな通知が来る。
感染拡大防止のための助成金の案内だ。
都や区の助成内容が似たものになっているため、なんだか矢継ぎ早の施策を送られてくるように感じる。今回の助成金の強調点は、消耗品に対する助成金だ。
「5万円までOK」との内容だが、読んだ感想は、どうにもチープに感じてしまう。

コロナはピークは過ぎていると感じる。収束状況に入っていると感じる。
この時点で、消毒や感染防止などの抑制防止策を打ち出しているのが、とてもチープに感じる。
「打つ手が遅い。」
この一言に尽きる。

今やらなければならないことは、自粛で冷え込んだ消費の持ち直しと、自粛に疲れた人たちにワクワク感を与えることだ。
絶対にそうだ。
コロナの勢いが弱まってきており、そして自粛疲れが、お店側にもお客様側にも、明らかに見える。
そして何より感染防止のための消毒液なり、マスクなりは相応に出回っている。不足なら、近所の薬局に行けば良い。たくさんは必要ないはずだから金銭負担も少額で済む。一時の高額販売もなくなっている。
わざわざ施政をして出す意味がないのだ。

ズレていると思う。
役所の感覚のことだ。
庶民の感覚を拾えない。有り体に言えば「鈍感」
庶民を見ないで仕事をしている。需要を考えないで供給している。
飲食店に例えると、お腹のすいてないお客様に食事を勧める、あるいはエビの嫌いな人におすすめの天丼を売りつけるようなものだ。
お客様の顔を見ないで商売しているのだ。

お店だったら、お客様を見ない商売を続ければ、まず半年も持たない。
つくづくお気楽な商売だと思う、お役所仕事。
もちろん中で働いている人は一生懸命だ。その一生懸命は作業をこなすことだけに費やしている。
需要を見ないで一生懸命供給していると、どうしても見えてしまう。

折しも雨が、強い雨がたたきつけるように降ってきた。
ランチ、12時7分現在で4名様。そして雨・・・。
はぁ・・・・。今日も駄目だ、こりゃ。
徒労感がのしかかる。

外の雨を見ながら。役所仕事と、ついつい比較している自分がいる。
リスクの少ない仕事だ。


東京都感染拡大防止協力金

唐突に9月半ばまで延長された感染拡大防止の営業自粛要請。
お店の暇に任せて、協力金獲得の書類を揃える。揃えると言っても、私はネット申請で済ませようとしている。
書類で提出するのも面倒だが、ネット申請も負けず劣らず面倒くさい。
・画面上で申請番号を数値で入力するのでも、一マスに1個ずつの数値しか入れられない。10桁だと10個の枠をタブキーを交互に打ちながら入力する。WHY?
・入力するのはpdfかExcelなのだが、バンドルされているpdfソフトは無料で閲覧できるが、編集するには有料になる。私は無料版で使っているために編集できない。よって、なるべくExcel形式でダウンロードする。Excelだと記入編集ができる。

が、協力金のネット申請場面のアウトプットはpdfかJPEG、png(画像形式)でしか受け付けない。これっておかしくない?
わざわざExcelで入力させておいて、画像に変換してupさせるの?。
もちろんpdf編集ソフトがあればOKなんだろうが、pdf編集ソフトがない私は、Excel入力したものをプリントアウトし、それをスキャニング、photoshopで画像ファイルに変換して、ネット申請する。

東京都には私より頭の良い人が揃っているだろうに、こんなやり方を押しつけるのが、ちょっと信じられない。それとも私のやり方が悪いのかな?

助成金や補助金などは、不正防止のために申請自体がとても面倒くさい性格を持っている。
申請要項が長々と書いてあるのだが、何度読み直してもわかりにくいし、面倒くさい。用意する書類も多岐にわたる。申請によほど慣れてこないと1発で審査を通すことは非常に困難だ。

役所の方々も解読できる(わかっている)方は少ないのでは、と思う。
自分たちにわからないことを下々の者に押しつける(ように見える)。
ちょっと不可解。

まあ、これで20万円、さらには次の15万円が獲得できるから、我慢我慢。

8時間睡眠

寝た。久しぶりに熟睡した。

ここ数年は平均睡眠時間4時間~5時間程度。
仕事途中でのうたた寝があるので短さはさほど気にしてなかった。うたた寝は推定10分程度~1時間。一日合計すると1時間半程度にはなる、と思う。
いつでもどこでもすーっと寝ることができるのは、若いときから私の得意技だ。

8月になり、日曜営業を始めたのだが、コロナ禍の影響もあり、お客様が来ない。ランチ2~5名程度。夜も同程度。
土日の厨房を一人ずつのシフトを組み備えたのだが、人件費分も出ない。
何より来ないお客様を待つのに疲れた。

妻より「二人の時間を作れないね。」という言葉に、
(ああ、そうだね。余生がどの程度残っているのかわからないけど、二人の時間は、きっともっと短いよな。)
返事こそしなかったが、少し考え直そうと思った。

コロナ禍はホントにたいへんだ。
日曜営業も、少しでも売上につながればと考えたのだが、お金を追うあまり大切なものを置き忘れたようだ。
苦労を一緒にする妻がいなくて、何をかせん。

で、昨日は久しぶりに私も全休。
タイトルに8時間と書いたが、間に朝食兼昼食を挟み、もう一回寝た。気がつけば16時を回っていた。6時間。併せると実に14時間。
入院時期を外すと、これだけ寝たのは記憶にない。
「疲れてんだよ。」
妻が言う。

肉体的に疲れるような仕事は、今のコロナ禍でない。
考え悩むことは山ほどあるのだが、解決策は何一つない。
夜になり、来ないお客様を待つのがつらく、そしてそれは飲酒につながっていく。
お客様と同伴で飲むのは、気分も高揚するために美味しくいただく。が、お客様のいない店の中での一人酒は従業員の手前、ちょっとはばかれる。

そこで商店会長でもある私は、それを口実に商店会の飲食店を選んで一人呑みに行く。歳のせいでたくさんは呑めない。少しでも会員の店の売上に貢献できればという思いと、サクラとしての役割が果たせるかと思ってのことだ。

その酒が手伝ってのことだったのだろうが、熟睡、爆睡と言う言葉ぴったりな睡眠だった。
今日は、身体も頭の中も軽い。

夏の終わりに

「夏の終わりに」というタイトルにすると、歌謡曲にでも出てきそうな文句だが、内容は悲惨だ。
8月が今日で終わる。8月の売上最悪だ。
手の打ちようがない・・・・というのが実情だ。
あきらめちゃ駄目だが、打つ手がないというのはひたすら耐え忍ぶしかない。
いろいろと考えてみたが、人が集まることをしちゃ駄目というなら、方法が見えない。

月末は当社の給料日。
今月もなんとかかんとか給料を、ほぼ満額で出すことができた。
もちろんできる限りに時短には協力して貰ったが、働いた分の給与は出すことができた。後は家賃・・・・。

その給料日、給与を渡しながらメモを全員に手渡した。
内容は
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これから(アフターコロナ)について

1、コロナの終焉時期。
・コロナワクチンが市場に出回る時期。
・コロナ感染者数減。
・政府など公的機関からの終息宣言。
・コロナ終焉時期              10月~11月。あるいは来年春頃。

2、コロナ禍による経済状況の回復
      コロナウイルスを抑制しても、落ち込んだ消費回復は時間がかかる。
      私の予想は、コロナ以前に戻るのは2年以上かかるとみる。
      その指標のひとつが忘年会予約数。
コロナはその後押しをした形になったが、昨年10月の消費税増税より消費はかなり重くなった。落ち込んでいる。忘年会シーズンである程度回復しなければ、後継者がいない現在、歓ファンは廃業が視野に入る。とすると、継続か廃業かを判断するのは11月前後。残り3ヶ月ほど。なお、決定は12月末。

3、店舗継続できるかどうかを判断するまでに3ヶ月。
  この3ヶ月で何ができるか。

コロナ禍が収まったとしても、テレワークなど大企業および現在都心部で事業を行っている会社の地方や郊外に向けての分散化が始まる。特に家賃の高い都心4区(千代田、港、中央、新宿)の経済状況回復は鈍い。

これは縮小する会社関連の需要が減ることを意味する。つまり忘年会などは昨年通りに期待できない。逆にお節などは工夫次第で伸びる可能性がある。店舗に行かないデリバリー、テイクアウト、通販と言ったEC(電子取引)サイト需要だ。

4、デリバリー、テイクアウト、通販

ECサイトは、リアル店舗が顧客に見えない分、見せ方に工夫が必要になる。
そして受注、発送業務、入金システムなどこれまでにないオペレーションを学ぶ必要が起こる。食品を扱うだけに、シャショクル(社食用弁当ブランド)などで扱っている弁当業務に匹敵するレベルの衛生管理が必要になってくる。幸いにして、シャショクルで培った経験は大きい。

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と、書いたのはここまで。
現状分析だけだ。対策が書いてない。書けないのだ。
ここまで書きながら、具体的な指示ができない。
情けないリーダーだと、つくづく思う。

8月の終わり。明日から9月。
対外的に変化が起こるだろうか。
こういう他力本願は私の趣旨に合わないのだが。
何かを変えたいと痛切に思うのに、その方法を見つけられない。
テイクアウト、デリバリ、あまり効果が上がってない。

さあ、9月だ。
潮目が変わる。
何かが変わるぞ。
私の中でも、きっと何かが変わるぞ。
きっと・・・・・・。

67歳のポンコツ

誕生日は2ヶ月先だが、今年67歳を迎える昭和28年生まれ。
コロナ禍の最中であり、金策や集客などそれなりに心労が重なる。
そのせいもあるのだろうが、非常に疲れやすい。疲れやすいというか、疲れがとれないまま翌日を迎えている。

今日、郵便物が6通、届く。
商店会長宛が1通。クレジット系の販促申込書1通、年金事務所から4通。
ハサミを入れ、中身のすべてを確認する。
すべての郵便物に返信やそれなりのアクションを必要としている。同じ程度の数の郵便物はよく届くが、読むだけで終わる場合がほとんど。だのに全部にリアクションをおこさなければならないのは珍しい。

で、どれから手をつけるか順位をつける。それぞれの封筒にリアクションの内容をマジックで書く。こうしないと郵便物存在そのものを忘れるのだ。
リアクションの手段や相手先の判断が、まだできるから、ボケてはいない(と思う)。
そうやっていても時間が経過すると封筒をしまった場所を瞬時に思い出さなくて、(えーっと?えーっと?)と整理した場所を探すこと往々。
ヘタすると、探している途中で(あれ、俺、何を探してたんだっけ?)
と、唖然とすることも往々。

ポンコツになってきたのだ。
とつくづく思う。
車や家電製品だと、買い換えの時期なのだ。
でも人間は・・・・・。

ポンコツになってきたこの時期にコロナ禍に出会う。
たいへんだ!
でもそれは私だけの話ではない。日本全国たいへんだ。いや世界中がたいへんだ。ポンコツになってたいへんだったら、私だけの問題ですむのだが、老いも若きも、金持ちも貧乏も、男も女も、頭の善し悪しに関係なく、たいへんだ。
満遍なくコロナは「たいへん」を持ってきたのだが、このポンコツにも皆と同じようにたいへんが回ってきた。
神様がポンコツなりの解決策を見つけろという掲示だろうと、私は考えてしまう。私が神様に問いかける。
「えーっ、こんなポンコツな車になったのに、まだどこかを走らせるのですか?」
意味があってのことと尋ねたのだが、答えが返ってこない。私の頭の中に神様が答えを出してくれない。
・・・・・・・・・
あ、そうか!
私についていた神様もポンコツになったんだ!
きっとそうに違いない。


高齢者

ある飲食店に紹介した職人さんが、紹介先を辞めた。
辞めたという電話がお店の方からあった。
いろいろとあったのだろうと推察する。
その数日前に、辞めると本人から言ってきた。
職場環境でよくよく悩んでいたようだった。

65歳。私より2歳年下だ。
彼はこれまでに務めていた会社環境によって年金も微々たるものらしい。
せめて家賃分だけでも稼ぎたいと言ってる。
年齢を重ねるたびに仕事探しは難しくなる。
それでも辞めるという選択肢を取った。

コロナという災禍がやってきて、会社そのものが閉鎖、倒産するところが増えた。そこまでいかなくとも飲食店にとって人件費の削減は必至だ。削減対象に高齢者が先にあがるのは当然だ。
身につまされる。

歓ファンも、高齢者が多い。
歓ファンがなくなれば、早速仕事に困る人たちだ。
私も同様だ。
だから何とか踏ん張りたいと、改めて思う。

男は不器用だ。まじめな性格であればあるほど、生き方も不器用に生きる。
これまで仕事一辺倒だった男が、定年退職で家庭にいる時間が多くなればなるほど、家庭内での器用な役回りが出来ない。家庭の中で大きな障害物となる。
例えば奥さんが洗濯物を取りに行くにも干しに行くにも、目障りな障害物があって、直線距離で作業できない。
(わたしが洗濯しているのがわかっているのに、この人ったら・・・)
という感情が芽生える。
男だって、そんなに鈍いわけじゃない。奥さんのイライラは伝わってくる。ここから男の不器用が出てくる。対処の仕方がわからないのだ。

女と男の根本的な違いがある。対処方法ができる女と、目的を作って動く男の差だ。
何にでも例外はあるが、泣くしか表現方法を知らない赤ん坊を、赤ん坊の立場になって考えられる女と、自分本位の楽しさを知らせようとする男の違いが大きいと思う。
電気や電波など発見したのはたいていは男だ。冷蔵庫や洗濯機、テレビを作ったのも、だいたいが男だ。出来上がった冷蔵庫や洗濯機を活用しているのは女だ。そういう違いがあると思っている。冷蔵庫がない時代よりもはるかに便利さを享受していると思う。
でも、いつの間にか女だけが負担がかかり、男は享受するだけだと責められる。
根本的な違いが男と女にある。

しいて言えば、0から1を作るのが男の役割りで、1を2に、3に増やすのが女の役割と思う。攻めるのが男だし、守るのは女が適している。ただし何事も例外があるので、誤解のないように。
男女ともそれぞれが必要なのだ。必要だということは、お互いにないものを相手が持っているから。

歳をとってくると、身体に様々な変化が訪れる。
ボケもそうだし、身体的にも不具合が起きてくる。車と一緒だ。
新車で購入しキビキビ動いていたのが、年数とともにあちこちにガタが出てくる。車につく多少の傷や錆はもちろんのこと、ドアがぎーぎー言ったり、エンスト起こしたり。
人もいつしかポンコツになる。そういう年齢に私も、紹介した方もなってきた。

そういうポンコツになる流れの中で、仕事がなくなるということは、生きるための糧道を絶たれるといった感じだろうか。
難しい時代になったと思う。思うと同時にこの変化についていけない人たちも出てくる。
私とて、例外ではない。
紹介した人のとった「糧道を絶つ」という選択肢に、先行きがとても心配になる。心配は私の明日でもある。

男の不器用さを語るつもりで、話しが脱線しながら、とりとめの話しになった。