夏の終わり

8月も最終週になってきた。

身体が丈夫だった時(若かった時)は、混雑を避けられるお盆過ぎに休みを作り、登山やサイクリングの計画を練っていたが、前立腺ガン手術後は体幹を使う遊びをしなくなった。
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億劫になったのもある。従業員が少なくなり私にかかる仕事が増えてきたのも理由だ。何かをしようとするエネルギーが少なくなったのもある。
明確な理由はないし、自分でも不思議に思うことがある。
良く言えば丸くなったのだろうが、エネルギーが湧き上がってこない・・・。
枯渇・・とまではいかないが。これが老いてきたことかな、とも思う。
それでも暑さが一段落する夏の終わりは何かをしたくなる。

山を縦走するには、そこまでの時間は作れそうもない。
思いついたらすぐに出発できる自転車も今はない。
あったとしても、100km以上走破する筋力は細った脚に残っていそうもない。
結局諦めるしかないのか・・な。






蒸し鶏

今週のAランチは棒棒鶏(バンバンチィ)だった。
この棒棒鶏に使う蒸し鶏、正確に言うと煮鶏(白鶏バイチィ)は、渋谷獅子林に居たときに教わった料理だった。
海水程度の塩加減(かなり塩っぱい)で15分煮込み。火を止め、そのままの余熱状態で20分置き、取り出す。別途スープでつけ置き用のスープ(これは普通の塩加減)に浸して終わり。
後は宴会なり、棒棒鶏などアラカルトのオーダーが来たら、仕込んだ鶏を出し、その都度それに合わせた調理をしていく。
鶏は、当時は羽をむしった丸のままを白鶏にしていた。
当時の調理長は張富財という香港から来た中国人だった。その張さん、仕上がった白鶏の尾下の肉(焼き鳥でいうボンジリ)だけを切り取りつまみ食いしていた。渋谷の獅子林は、結婚式をあげられるような大きなレストランだった。したがって白鶏も毎日5羽程度は仕込んでいた。その白鶏のボンジリだけが毎日なくなっていた。
まだ下っ端だった私、
(これはきっと美味しいんだろうな・・・)
調理長が休みの日にはオレが絶対食べてやる!と密かにねらっていた覚えがある。
私が20代前半だったころ、ほぼ50年前の話しだ。

白鶏の作り方は幾通りかあるのだが、今週はこの白鶏での棒棒鶏だった。棒棒鶏の胡麻ダレも粉チーズを加え濃厚な味に仕立てた。付け合わせは大根と胡瓜の千切り。
完食になった皿が下がってくると、ボンジリを探しにくる張さんが嬉しそうにそばに居るような、そんな気配が漂う。


お盆・夏・台風・

8月16日
金曜日だが、表題の行事(?)が重なる。
営業してもしなくても売上的に厳しい日程が毎年続く8月。
10~12日が土日月と続く曜日だったために歓の夏休みはこの日に決めた。
お盆だが、まだ平日の13~15日の方がお客様が来やすいだろうという読みだったが、状況はあまり変化がなかった。10日から18日までの連続での夏休みにしても大丈夫だったかも・・・。
自分で出した決断なのに、お店のヒマさが憂鬱にさせる。
折からの雨も手伝い、気分は重い・・・。

この文章をパソコンを打つこんでいる私の脇に置いてあった電話が鳴った。
(どこの営業だ?お盆くらい休めよ・・)
と、心で毒づきながら受話器を取る。
「今からランチ14名なんですけど、空いてますか?」
「空いてますよ。ガラガラですよ。」
とたんに心は、外の雨とは打って変わって晴れ模様。

小さな事で一喜一憂する自分に我ながらあきれてくる。



鷹揚さ

男の汗臭さがイヤだと、ネットで流し、それが原因でフリーアナウンサーを契約解除されたという女性のニュース。
男の立場からだって男の体臭イヤだ!
この女性アナウンサーの言ってること同意します。正しいです。

言葉にする、ネット上(公)で発言というところで非難囂々。
そして契約解除。
どう考えてもやり過ぎ。
契約してた”事務所”って、普通に考えて会社であり、フリーアナウンサーはその社員的な立場でしょう。本来なら会社が社員を守らなきゃいけないのに”契約解除”。

非難囂々した人たちって、どうせ匿名でしょう。
こういう人たちって利口ぶって小っさな正義感を言ってるだけなんだから、ほっとけばいいのに。こういう人たちの小っさな言葉に過剰(大きな)反応。
きっと小っさな会社なんだろうね。

マスコミもこんな小っさな事をいちいち取り上げる。
そんなにニュースないのかね。
あなたたちが世の中を小っさくしてるよ。

なんか世知辛いね。
いつからこんなに鷹揚さがなくなったのかね。
電車(その頃は汽車)の中でタバコぷかぷか吸ってた時代だってあったのに。

牙も爪もない生身の人間は、ホントは弱くって、お互いを守らなければ生きていけないのに。
もっと優しくなれよ。
と思う今日この頃。
年を取ってくると、ホント自分の弱さがつくづくわかってきてるもんだからね。




ウナギ弁当食中毒

横浜、京急百貨店、ウナギ弁当での食中毒。
約160人の食中毒が出たというから、けっこう多い。
折からの暑さで体力消耗、少しでも元気にと考えてウナギ弁当を購入したのだろうと思うが、逆に体力を奪う結果となった。

食中毒を出したお店(会社)は自主的に営業停止にしたとニュースで報じている。会社の役員が揃って謝罪の映像がニュースで流れる。
同じ飲食の世界に身を置いている立場として身につまされる。

この暑さ、厨房もかなり暑い。服の中に空気を送り込む「空調服」を着込んで仕事しているが、ランチのかき入れ時は体中に汗が噴き出す。中華の厨房は事さらだ。
注文に間に合わせるために、食材は作業台の上に並べる。
エビ、いか、肉、各種野菜・・・。中華では刺身のような生の食材はないし、直前で食材を油通し(揚げる)する。和洋中の中でも比較的食中毒の起こりにくい業種だと思う。それでもこの暑さは食材には気を遣う。作業台に並べた食材を入れてあるステンレスの器には氷を差し込む。その氷もこの暑さで数十分で溶ける。頻繁に氷を補給する。
野菜はともかく肉類を切ったまな板はすぐそばにある洗い場に持ち上げて洗う。
中華のまな板は、丸くて大きい。重量もかなりある。
「よっこらしょ。」と声が出るほど力を入れてシンクに持って行き洗う。
そこまで気を遣う。
食中毒を出したら終わりなのだ。最低でも1週間は営業できなくなる。飲食店にとってはまさに死活問題だ。

それでも(食中毒が)出るときは出る。
無責任な言い方をするが、お客様の体調が悪いときだってある。食中毒が避けられない時がいつ訪れるか、運もある。
めちゃくちゃきれいなお店、厨房にしていても、なぜか繰り返し食中毒を起こすお店や調理人がいる。神経質なくらい清掃に努めていても食中毒を起こすお店や調理人がいるのだ。
運も確かにある。
私は飲食の世界に身を置き50年経つが、幸いまだ食中毒を起こしたお店で仕事をしたことはないし出したこともない。

食中毒を出す確率を下げることはできるだろうが、100%出さないというのは不可能だ。
デパートや社食などに弁当などを入れる会社は、衛生面のハードルはかなり高い。そういうことを要求されるし、それが出来て初めてデパートなどの取引ができる。この会社もそういう要求に応えてきた会社だったんだと思う。
それでも食中毒は起きる。

あらためて、我が身のことと思い、気を引き締めて、調理にあたろう。


食欲

この暑さは来客数はあまり期待できない・・・。
自分自身が歩き回りたいと、まったく思わない。お客様だって同じだろうと、当然ながら売上の少なくなることは憂う状態なのだが、ここは一番耐えるしかあるまい、と覚悟を決めている。
が、予想に反して月曜日の今日はランチが混んだ。それも正午近くから一気にお客様がいらっしゃった。厨房も追われたが、ホールは77歳の女性が一人で切り回している。おそらく数組は入りきれないお客様を返したろうと察する。

厨房にて。頭も身体もフル回転して注文に対処するのだが、この暑さ、厨房も半端なく暑い。中華に従事していて、厨房の、特に夏の暑さは覚悟しているのだが、噴き出す汗を抑えきれない。「空調服」という左右の腰上当たりに扇風機のついている服を着込んで仕事をしているのだが、焼け石に水。

夕方になり予約のお客様がいらっしゃった。昔からのお客様だ。割と痩せたタイプのお客様なのだが、肩、背中からお腹当たりまで汗でびっしょり。
心の中で
(よくぞ、この暑さの中、来店くださいました。)

そういえば、昨日のお休み、妻と二人で久しぶりのトンカツ屋「王ろじ」に行こうとしたら、お店が見える角を曲がったところで看板を消えて、「営業中」の札を裏返しにするのが見えた。まだ19時。
あらぁー
(不義理している)久しぶりのお店は他にもあったのだが、この暑さ、早く涼みたくて、すぐそばの、ヒマそうなイタリアンのドアをくぐった。いろいろとお店を物色する意欲は、この暑さが消し去ってくれた。
でも、伊勢丹界隈は若い人はゴチャゴチャいる。元気だなぁと思うと同時に、あちこち物色する意欲も元気さゆえと痛感する。

高齢者には危険な暑さがまだまだ続く・・・・・・・。






ランチの客数・・・雨も手伝って悪し!
数ヶ月前からランチ数は、徐々にだが良くなってきていた。
厨房に入っていて、さほどお客様の顔は確認してないのだが、コロナ前とすると新顔がだいぶ増えている。むしろ旧来のお客様の比率は小さい。
ま、増減を繰り返しながら増える方向で進むのだろうと思う。手応えを少しずつ感じている。もどかしいくらい「徐々」になのだが。
社員の手前、ここは社長の私がどっしり構えて・・・。
でも、でも、人間がまだまだできてないのだろうな、、、
お客様が少ないと、やはり気持ちは落ち込む。それが私の場合、すぐに顔に出る。つくづく小さい男だな、と我ながら情けなくなる。

パワハラで自殺者が出て、斎藤元彦兵庫県知事が対策に追われているニュースが流れる。副知事が責任の一端を担って辞職。それを持っても知事は辞職しないという。
パワハラの内容も虚実も因果関係もまだまだ不明な点が多い。だからその辺に言及するつもりはないのだが、知事の顔が良くない。嘘は言ってないだろうけど、まだ「本当」を話してない顔だ。
試しに、「斎藤元彦」の画像を検索した。知事になる前と後ではだいぶ顔つきが違う。検索では選挙用ポスターの顔が多く出てきたが、それ以外でも今と昔じゃだいぶ顔が違う。素直さが感じられなくなっている。

顔は私も気にする。他人を見るときになるべく先入観を持たずに見ようと心がけているのだが、それでも好感を持てる顔、持てない顔は無意識に選択している。
自分の中での選択理由はいろいろあるが、正しい根拠はない。
でも、自分の顔も好悪の感情で見られているのだろうな、と思うし、嘘や見栄を張っていると、浅はかな顔に少しずつ変わってくると信じている。
人にわからない嘘でも、それが積み重なってくると、インチキくさい顔に変わってくると。だから些細な嘘もつかないようにしている。

今、斎藤元彦知事は窮地に追い込まれている。絶体絶命のピンチと言っても良いくらいの窮地だと思う。あの顔は、その窮地で逃げている、本当のことを話してない「顔」に、私は見えるのだ。
私もピンチに追い込まれたことは何度もあるし、これからの人生にも1回か2回はあると思う。 その時に逃げない、嘘をつかない「強さ」を私は欲しい。

天網恢々疎にして漏らさず

でもお客様がもっと来ると、心から笑える顔ができるのになぁ





エヌビディア

 新聞やメディアのニュースで「エヌビディア」の単語をよく目にするようになった。
32~34歳ころだったと思う。
パソコンが流行り(?)始めたころだった。
初めて買ったパソコンはNEC のPC98。

当時一番下の子供がどこかの景品でカシオのQV10というデジカメを当てた。レンズ部分がクルクル回る、独自の製品だった。そのカメラで写した人物を画像処理ソフトでパソコンに取り込み、トリミングやデフォルメをグラフィック処理でおこなった。絵画調やパステル風など。あるいは数枚の写真を切り取りコラージュ、それを印刷してお客様にその場でお渡しした。

まだフィルムカメラが主流だった時代、撮った写真をカメラ屋に持って行き現像する時代だった。その時代に10~15分程度で、その場全員を入れ、花束持った主人公を中心に据えたコラージュは画期的だった。

ただパソコンの処理能力が小さいと、パソコンがフリーズしたり、気が遠くなるほど時間がかかった時があった。
それを補ったのが、エヌビディアのCPU(中央演算処理)だった。パソコンのCPUにガッチャと差し込む奴で、劇的に処理能力が上がった。

エヌビディアのCPUはパソコンゲームの処理速度も上げた。
信長の野望、三国志、A列車で行こう・・・
ゲームはソフトのプログラムが大きくなればなるほどメモリや演算処理機能の大きさがもの言う世界だった。

株を買うという知識も金もなかったあの時に、エヌビディアの株をもしも買ってたら・・・・
そんな知識持ってたら、ゲームもしなかったな、きっと。







[フカヒレ姿煮]の姿が見えない

厨房に入っていると、とにかくデスクワークがやりにくい。
油まみれ、水まみれのなかにパソコンはさすがに持ち込めない。
料理を考え試行錯誤する際も、取りあえずのメモは鉛筆かボールペンに紙に頼る。これが一番安全確実なのだ。
そして厨房とホールの境目に、まるで関所のように大きな板がかかっている。
料理を並べたり出したりする時、お客様が帰った後の下げものの置き場とけっこう働き者の「板」なのだが、厨房への上がり口が30センチほどの高さで2段になっているために、人は屈んで出入りする。身体が柔らい若い時はともかく凝り固まった老体にはかなりきつい。簡単に出たり入ったりできないのだ。

食材が毎週のように値上がりする。小幅でもこう頻繁に値上がりすると馬鹿にならない。原価率維持は非常に苦労する。
で、メニューを少しいじりたいのだ。新メニューもある。だが、食材を揃え、料理を作り、作った料理の写真を撮り、そのメニューの構成を考えたり、試し印刷をかけたりと、厨房への出たり入ったリが非常に億劫なのだ。
ネットへの変更処置もある。こういう作業のできるのは私しかいない。

そういう作業を予想しただけで気持ちはネガティブになる。という言い分けでお店のホームページもメニューもコロナ前から何も変わっていない。
コロナ前のコース料理は4000円でフカヒレ姿煮がついていた。食材高騰の折4000円や5000円での姿煮はもはや不可能!

でも、でも、そういう事を知らないお客様から問い合わせは何度も来る。その都度ホールの担当者は苦しい言い分けをお客様に伝える。

どうにかならないものか・・・・・・。
雨のない梅雨空だが、うっとうしい日々は続く。


北京ダック

少しずつ忙しくなってきたようだ。
予約が増えてきた。まだ”猛暑”や”酷暑”という暑さが来てないせいかと思えるが、毎年秋口になるまで営業的な閑散期に入る。が、手応えが少しずつ感じる。喜ばしい限り。売上的にもう少し増えると資金的な余裕が出来るはずだ。が、そうなると体力や、お店としてお客様に提供できる能力が厳しくなってくるかもしれない。自分の中で弱気と強気が交互に出てくる。

前勤務先であった頃から、そして歓ファンのオープン当初から来店されてるお客様の誕生日がお店であった。だから20年以上かよっていらっしゃるお客様だ。鍼灸師をされている。そのお弟子さんたちがサプライズで北京ダックをと注文された。
年に数回北京ダックの注文が入るが、歓ファンの北京ダックは焼かない。オーブンはあるが焼き釜のないのが大きな理由だ。歓ファンでは大きな鍋で揚げて仕上げる。
前勤務先では、約30年ほど前は北京ダックは生のアヒルから仕込んでいった。予約の日の三日前に届くように手配する。毛を取った生のアヒルが業者から届くと、アヒルのお尻に口をつけ大きく膨らませる。膨らんだアヒルを沸騰したお湯に浸し表面の雑菌を取り、そこへ蜂蜜、水飴、醋を混ぜた液を塗る。表面をパリパリに張らせるためだ。そうしたアヒルを三日ほど風通しの良いところでさらす。
前勤務先は2階にあった。その階段の途中にぶら下げていた。階段を上がってくるお客様にはビックリだったろうと思う。冬場は問題なかったが夏の暑い盛りにはそのアヒルは腐敗した。ハエがたかった。腐臭もした。
ご存知のように北京ダックは皮を食べる料理だ。時代的にもそういうことが許容される時代だった。逆にお店の「本物志向」がウリになった。
予約されるお客様が来て、北京ダックの順番が近くなると厨房では大きな鍋でアヒルを揚げ始める。
鍋の中では画像のようにきつね色に仕上げていく。時折アヒルを突いて皮の張り具合を確かめる。

北京ダックの美味しさは、皮の張り具合と香ばしさ、そしてミソの甘さの交叉した味だ。それを皮に包んで食する。
揚げる段階こそ厨房だが、揚がったアヒルをお客様の目の前で捌く。一種のパフォーマンスにお客様の視線は集まる。

今では生のアヒルから仕上げるお店を私は知らない。この方法を知っている職人も少なくなったと思う。揚げるだけのアヒルを業者は持ってくる。前述の蜂蜜を塗るのは、時としてムラがあり、当然のように蜂蜜の薄い部分は焼き色が薄くなった。そういう失敗は現代はなくなった。
それでもお客様の目の前で切り分けるパフォーマンスをやるお店はそうざらにないと思う。
北京ダックのご注文お待ちしております。

かくして誕生日の一つのイベントとなる。