スマホ

春が逆戻りしたかの様な、今日は冷たい雨。
ランチタイム、12時前後に半分(14名)ほど埋まり、後30分ほどノーゲスト。
1時過ぎにお客様がポツポツ・・・そして二回目のノーゲスト。
コロナで、この雨で、仕方ないかぁ・・・と、感染防止で開け放たれたドアからお客様のいない店内に流れ込む冷気に余計寒々となる。

やることのない手持ち無沙汰に、ついついスマホに手が伸びる。
(いや、止めよう、スマホは)
ノーゲストの店内で本を開く。
本のタイトルは「スマホ脳」
まだ読み始めたばかりなので詳細は不明だが、きっとスマホを使いすぎるとこうなるよという、生物学的な見地を説明した本だ。

パソコン、スマホと一日に扱う時間はいかほどだろうか。
今日みたいに雨で、ヒマで、どこにも出かけられそうもなく、予定もないとなったら、きっと半日は触っているのじゃなかろうか。
だから、心のどこかで自重している自分がある。

小さい頃から身体を動かすのが好きだった。チョロチョロ動き回って落ち着きのない子だった。
高齢になった今でも、休みの日は動き回る日が多い。
6階にある自宅に、エレベーターを使わず、一日最低でも階段を2往復する。
老いて細くなった太腿の筋肉を今以上落としたくない。
いつかリタイアして自分の時間をもっと使える様になったときに、山へ行きたい・・・。山に登るだけの脚力は残しておきたい。その一心だ。

事情が許せば、山に住んでも良いと思っている。
そしてその時にはスマホは捨てる。
(息子たちや知人に)何らかの連絡手段は必要だと思えるので、固定電話や郵便物が届く程度は確保しようと思っている。パソコンなどメールを受け取れるものも最低限必要かも知れないが、スマホは勘弁して貰いたいと願う。

スマホを使う様になって、いや、スマホから使われる様になって、自分という存在や「生きる」という妙味が薄まってきた感じがする。
リアルタイムで流れてくる情報。無意識に求めるリアルタイム情報。
これがないと落ち着かない自分に、
(やっぱりちょっとおかしいよね)
と思うし
スマホに頼る自分の立ち位置に
(やっぱり自分という居場所が見えなくなっているよね)
そして一番肝心なことが、一番見つめ合わなければならない妻の顔を覗く回数が、スマホを操作することで少なくなっているのだ。

時間は有限だ。
その有限な時間の使い方には優先順位がある。
時間が無限に感じていたときは、様々な可能性を自分に見ていた。
今でも自分にいろいろな可能性は見ている。
しかし時間は有限だ。
可能性をしぼる必然がある。

スマホが出るまでは人は進化していた。
スマホは、人の進化を必要としていない。
むしろ・・・・・・。