従兄弟の訃報が郷里に残る弟より入る。
今朝方亡くなった・・・と。
先日亡くなった末弟と同い年だった。享年67歳。
母の11人兄弟の、同じく末弟だった弟(叔父)の息子。
叔父は鹿児島加治木で寿司屋を営んでいた。その叔父の導きで父は蕎麦屋を近所でオープンさせた。私がまだ10歳の頃。戦禍の癒えぬ日本中がまだまだ貧乏で、蕎麦の出前を学校帰りに当たり前のようにやらされた。
従兄弟は弟と加治木町で同じ小中高を過ごす。
6月弟の訃報で、久しぶりにこの従兄弟に電話をかけた。
3週間ほど前のこと。
従兄弟の電話番号は健在だった。
声音(こわね)も話し方のくせも昔のままだった。
私すら聞き取れない薩摩弁がペラペラ出てくる。
口調の悪態はそのままだが、年相応の弱音があちこちに出てくる。
聞けば、弟と同じガンの余命宣告を受けたそうな。本人曰く、今年いっぱいが山と。
従兄弟は私たち兄弟と同じく麻雀大好きで、鹿児島にいる時分は幾度となく卓を囲んだ。メンバーは6~7名ほどいて、その日の都合で替わったが、私や兄弟、従兄弟はほぼ固定メンバーだった。
そこへ亡くなった末弟が帰ってくると、末弟を交えつつ牌を打った。
畳敷きの上にコタツ台、綠のゴムマットを敷き、手積み麻雀。
タバコをくゆらせながら、それぞれが盲パイする姿が鮮明に蘇ってくる。
今年、弟が逝き、その弟を追うように従兄弟が逝く・・・
なんだかなあ・・・・
寂しいなあ・・・
向こうで麻雀卓を用意してるかな・・・
でも、もう手積み麻雀は勘弁して貰いたいな・・・
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アヤコ、最安値
家内との時間はほぼ日曜日だけなのだが、このところ日曜のたびにいろいろな用事が重なり、思うように夫婦の時間が作れなかった。
夕方4時着の 歌舞伎座までのチマキ配達が あり、それが終了後に家内と食事に向かった。途中花園神社での盆踊りがあり、私の知人が多数参加していたこともあり、顔見せ程度の挨拶を終え、新宿サブナードの飲食街に向かった。
食事をしたのは鶏料理の専門店。
家内はビール、私はハイボールを頼み、簡単な食事をオーダーした。
私は5色をあしらった意味合いの五色丼と、家内は親子丼を頼んだ。
時間は夜の8時を回っていたが、店内は盛況だ。
場所がらなのだろうが、私のお店もこのくらい混めば資金繰りも楽なんだろうな・・・と羨ましく感じつつ、妻との時間を楽しんだ。
お互いのグラスと食事をすませた食器が空になった頃合いを見計らってお勘定を店員に頼んだ。
さほどの間を置かずに店員が勘定表を持ってきた。
その勘定表を見ながら家内が
「ねえ、アヤコって見えない?」
ん?
その勘定表を覗くと確かに『アヤコ』と家内の名前に見えなくもない。
そしてその「アヤコ」の欄の値段が980円。
「アヤコ、安ッ!、アヤコが980円で買える!」

カムチャッカ地震
時々食事に訪れるイタリアンのお店がある。
なかなか美味しいお店だし、落ち着けるお店だ。
よく利用する。
このお店のオススメは、リゾット、パングラタンなどがある。
私はイケメンだと思っているのだが、主人は頑固な職人風。
料理はけっこうこだわる。でも厨房は一人だから料理の種類には限界がある。
種類は少ないのだが、オリジナルがけっこうある。
フォカッチャもその一つだ。
焼きパンだと思うのだが、しっとりと仕上がっている。
妻も一緒にこの店に行くときにはフォカッチャを必ず注文する。私がアヒージョが好きで注文すると家内が
「アヒージョの油につけて食べるパンも注文して。」
という具合。
カムチャッカ地震がおきた。
津波のニュースが日がな流れる。
家内にとって「震源がロシアのカムチャッカ」とテレビから流れても、どうして津波が日本に押し寄せるか理解できないらしい。
地図上の、日本に覆い被さるようにかかるカムチャッカ半島がわからないせいか?
と問いただすと、ロシアは日本の西にあり、なぜ太平洋側に津波警報がくるのかが理解しずらかったらしい。
妻「カムチャッカって言葉、ほら、パンに似てるじゃない。美味しいパンがあるの?」
はあ?
「いつも行くイタリアンで食べるじゃない。何と言ったっけ?」
「カムチャッカって言わなかった?」
はあ?・・・・・
もしかしてフォカッチャのこと?
家内にとってはパンなのだ。好きなくせにそのフォカッチャの名は覚えてなかったらしい。
イタリアンだよ。それがなんでロシアのカムチャッカなんだよ・・・
胃カメラ
内視鏡検査という。
その検査で江東病院に行った。
朝9時から診察に並ぶ。
いつもは南新宿の病院で月一の診察を受けるのだが、そこで非常勤で看てくれる主治医の正式(?)勤務先が江東病院なのだ。場所は江東区大島。ちょっと遠いがこれは仕方ない。
麻酔がジェル状態のものを口に含ませられて3分間。
時間が来るとそれを飲みほせと。
(えーっと、これは吐き出したいんだけど・・・)
吐き出す汚物入れもない。
医者も看護婦も飲み込むものとじっと私を見つめている。
退路を断たれた私は、口のなかのグジュグジュを無理に飲み干す。
そのあと、身体を横向きにさせられて口に管を挟み込む。
「ぐっと噛んで。」
と医師の指示。
噛んだ管からカメラが入っていく。
おい、おい、止めろ!
口からヘビ(カメラ)を差し込んでる・・・
おい、止めろ!
横向きの顔から涙が、開けっぱなしの口からはヨダレが
麻酔のせいで吐き気はおこらない・・・・・はずだったが。
嘔吐は突然やってくる。
「オエッオエッ!」
昨夜9時から何も食べてない。何も出てくるはずもないのだが、
「オエッオエッ!」
看護婦が私の身体を押さえ、その上から肩をトントンたたいている。
我慢しろというトントン。
トントンの、やっと意味がわかった。
カメラを飲み込むほとんどの患者の肩をたたいたのだろう。
このトントンがなければ立ち上がってただろう。
この時ばかりは看護婦が白衣の天使に見えた。
我慢強い方だと思っているのだが、歳を重ねるごとに耐える体力が小さくなっている。
仮に身体に異変が何か見つかっても、もう身体を切るのも、入院も要いらないな。
殺人事件
歓近くのマンションで殺人事件が起こった。
https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/tokyo/region/tokyo-416785
ここは新宿。歌舞伎町も近い。
新宿区で、新宿を冠する町名は1丁目から7丁目まである。
殺人事件が起こったのは新宿六丁目。歓ファンのあるのも新宿六丁目。
そして私が会長を務める医大通り商店会の医大通りは東京医科大学を接して、5丁目6丁目の間を通り抜ける。まさに目と鼻の先で起こった殺人事件なのだ。
何かと問題を起こす歌舞伎町が近くにあるだけあって、物騒なイメージが大きいが、この新宿六丁目は住宅街だ。高齢者も多く、小学、中学、大学と学校も3校ある。町内にどちらかというと閑静なたたずまいをいつもは見せている。
物騒なイメージとはほど遠いのだが、繁華街、ゴールデン街、歌舞伎町のイメージがこの地域までつきまとう。
その繁華街や歌舞伎町に勤める方たちの居住まいという性格が、この新宿六丁目の別な顔でもある。そういう居住まいで起きた事件だ。
警察から私の所へ頻繁に問い合わせが来た。商店会で設置した防犯カメラ画像への問い合わせだ。商店会で設置した街路灯に防犯カメラは取り付けてある。Wi-Fiで防犯カメラの下にパソコンを持って行き、画像を引き出す。
今日はオマケがついた。防犯カメラからの画像の問い合わせがテレビ局からあったのだ。センセーショナル事件だっただけにテレビ局にとって垂涎のネタだったのだろう。
閑静な住宅街の殺人事件はけっこう衝撃的なニュースなのだが、新宿という地名がテレビ局まで引っ張ってきた。
タイトな一日
平日水曜日だったが、本日のランチはお休み。
江東区大島にある江東病院に診察に行った。この病院で勤務する先生が、非常勤で南新宿の病院へ勤めている。この南新宿の病院へは毎月診察に行っている。私の主治医の勤める病院だ。
先月の診察で、
「赤血球の値が微妙に変化しています。赤血球の値が変わるときにはガンの兆候が出ている時です。まだ数値が微妙ですが、一度検査してみませんか?」
という主治医からの申し出だった。
先月末、ガンで亡くなった弟のことがあり、素直に応じた。
病院到着は11時30分を指示されていた。
電車で30分ほどの行程。診察前の待機時間を考えて10時には出発した。
久しぶりの江東病院。7年ほど前前立腺ガンの検査入院以来だ。病院内の診察課の場所も微妙に変わっていた。診察のシステムも微妙に変わっていた。診察票にバーコードが印字されており、それを読み取る仕組みに変わっていた。総合窓口のカウンター内にはけっこうな人数が勤務していた。労働力不足には見えなかったが・・・。
心電図、血液検査、尿検査、レントゲン、CTスキャン、その結果を見て最後に主治医の問診となった。
結果、右肺に微妙な黒点が映っていたという。検査は日を変えて続く。七月の予約を取られた。合計5日間の検査とあいなる。
来週は胃カメラと伝えられた。
右肺の黒点のことを告げた主治医に聞いた。
これがガンの可能性はどのくらいですか?ガンでない可能性はあるのですか?
「いや、まだ小さいですから、影響は極めて小さいです。」
ということはガンが前提の検査と言うことですね。肺と伺いましたが、胃カメラでガンの存在がわかるのですか?
「胃カメラではわかりません。」
じゃあ、なんで胃カメラの検査を?
「この際身体の全ての状態をわかっておきたくて。」
入院はするんですか?
「検査での入院は、今回有りません。」
それは助かります。が、ガンがわかった時はまた身体を切るんですか?
今まで三度身体を切っていますが、切る度に体力がなくなっていきます。
「今度やるときは小さくしか切りませんから。右肺近くの小さな穴から手術が進みます。」
そこまでして長生きする必要がありますか?もう十分生きたんですが。
「大丈夫です。すぐに終わらせます。」
循環器の先生だから、自ら執刀するわけではないのだが、自信を持って答えられた。
検査が終わったのは夕方4時近く。
ほぼ5時間ほど病院に滞在したことになる。
バーコードやQRコードを導入して、病院の作業そのものは効率化したはずなんだが、人員数は減ったとは思えない。待たされる時間が減ったとも思えない。
だれかが楽になったんだろうな・・・。
少なくとも患者は楽になったようには見えないけど・・・。
素直という器
医大通り商店会の一大イベント「医大通り音楽フェスティバル」を毎年手伝ってくれる一人の工学院大学OBと飲んだ。
工学院大学という理系卒なのに、どういうわけか飲食の道を選んだ男だ。今年就職2年目の若者だ。
20代前半とあって活きが良い。好奇心も旺盛だ。しかしこの時期の青年の特徴で進むべき道を時々迷うときがある。
昨日もそういう時だったんだろうと感じた。快く飲みの誘いに乗った。
一通りの近況を聞き、彼に答えた。
お前の長所はね、素直なところなんだ。その素直さはなくすな。
毎日の仕事や苦情、自分の悩み、人からの相談。ありとあらゆる問題がお前の周りで起こってくる。押し寄せてくる。全部引き受けろ。
お前の器に入りきれなくても、入れる努力をしろ。人の話しを聞いて聞いて、真剣に受け止めろ。
お前のなかにある素直さが、周りが受け止めてくれると話してくれるんだ。
嫌なことも多々あると思う。でもそれを受け止めてることがお前の人間としての器を大きくしてくれるんだよ。
素直さは相手を受け入れる器そのものだし、嫌なことや苦しいことは、その器を大きくしてくれるんだよ。そうやって器が大きくなってくると、将来の彼女や子供たち家族、会社の中での部下、取引先など、お前の大きな器のなかに入ってくるようになる。
だから、今はその苦しいことを厭うな。自分自身の器が大きくなっている過程だと喜べ。
弟よ
末期ガンの弟を見舞った。
自宅で養生している。
弟はガリガリに痩せていた。
私とほぼ同じ身長で168センチくらいが、おそらく体重は40kg前後か。
骨と皮。
身体は動いていた。弱々しい体つきの割には手足を動かしていた。ただ動いている腕が何か当たった煽りでポキッと行きそうで、見ていて怖い。
「無理して食べろよ!そんな身体見たくもないぞ!」
食欲もないんだろうとわかってはいるが、叱咤するような感じで言った。
弟は小さく笑った。
言葉を返すほどの元気はないのか、食べる(生きる)ことをあきらめたのか、。
傍らに座っている奥さんの笑顔も弱々しくみえる。
元気でいる兄の私が申し訳なく思うほど弱い弟がたたずむ。
幼いときはよく兄弟喧嘩したのもこの弟だ。
4歳上の私にムキになって挑んできた弟はそこにいない。
私のお店にお客を連れてきてくれた。
連れの手前なのだろうが、
「兄ちゃん、美味しいよ。」
「何言ってんだよ、お前、飲んでるばかりで、ちょっとも食べてないじゃないか!何が美味しかったか、言ってみい。」
苦笑いしていた弟が、もう一度お店に来ることは、たぶんないのだろう。
弟よ。
よく頑張ったな。
身体痛いかも知れんけど、もう少しだけ、生きてろ。
兄のわがままだけど・・・
紫蘇
ほぼ毎日買い出しに行くお店の野菜売り場に青梅とともに並んでいる紫蘇を見つけた。
今年もやってきたか、とついつい感慨深くなる。
今年も紫蘇ジュースを作る季節になってきた。紫蘇は6月から遅くとも7月上旬ぐらいまでしか入手できない。1ヶ月から1ヶ月半。この時期でないと作れないのだ。
一回の紫蘇ジュース作りに、紫蘇はまとめて三把使う。
その都度けっこうな量の紫蘇ジュースを作りその量は2リットル入りペットボトル4本分ほどになる.。甘さは砂糖を使わず、糖質OFFの甘味料を使う。これを3~4回ほど、この季節に作り溜めする。紫蘇は強力な殺菌作用があり、常温でも一年は保つ。
お店でも紫蘇ジュース単体ほか「紫蘇サワー」なるメニューも置いてある。
紫蘇は身体に対してもデトックス効果や夏バテに効果のミネラル補給など様々な恩恵を恵んでくれる。
過分に作る紫蘇ジュースは、ふだんお世話になっている知り合いにも分ける。
今年はまだ控えめだが、蒸し暑さをともなう梅雨の季節に、歓ファンで唯一楽しめる季節行事だ。
お祭り
5月は毎年、第三週が西向き天神社(新宿6丁目界隈)の、第4週が花園神社(新宿1~5丁目界隈)のお祭りだ。歓ファンの前に通る医大通りをはさんでお店側が六丁目、反対側が5丁目側になり、お店の立地上その双方のお祭りに参加することになる。
ゴールデンウィークが終わると例年お店は閑散期になるのだが、私はお祭りモードに突入する。生まれ故郷の鹿児島には神輿文化が無く、新宿で生業を始めてから御神輿は初めて経験した。当初は店長を務めたお店が新宿三丁目にあったことから半纏は新宿三丁目の文字が入った者を羽織っていた。だから御神輿を担ぐようになってから40年ほどになる。
神輿に挿してある角棒を肩に押さえるように支えながら神輿を担ぐ。
これが、このコツが最初はわからず、鎖骨が折れるんじゃないかと思えるくらい痛い思いをした。
汗まみれの身体をこすり合い、肩は痛く、二日くらいは身体がギシギシ鳴るくらいに力が入った神輿だったが、厳つい連中との連帯感はなんとも言えない快感だった。
その神輿も今年は一回も肩を入れなかった。元気を一杯貰った神輿だったが、今は神輿を支える力が少ない。足腰に力がわかない。身体の高齢化だ。
自分ながら情けない。神輿について回るのが精一杯。
その祭りも終わった。
神輿を担ぎに来る人たちへの接待が、今年もできたと胸をなで下ろす。
今年一年一年が、正念場になってくるように感じる我が身体。
もう少しだけ、あと数年だけ、持ってくれよ。
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