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足腰

お昼ランチを召し上がりに来る近所のお客様がいる。男性86歳。
会社が近所で自宅から車で通っていらっしゃる。
ここ一年の間にめっきり体力が落ちてきた。
見ていても危なっかしいヨボヨボ歩き。ホールを担当する女性(この人も76歳なのだが・・)が、お店の外にこのお客様を見つけるとドアを開けにすぐに駆け寄る。知ってか知らずか、そのお客様が杖を片手にエッチラホッチラとお店に近づいてくる。
遠くから見ていてもズボンの中の足の細っているのが分かる。筋肉がずいぶんと落ちているのだろうな、とわかる。
カウンターに一人座り、注文はいつも麻婆豆腐。堅い物が喉を通らない。
こちらも他のお客様の麻婆とは違い、辛さは抑える。ご飯の量は半分程度。

自宅は八王子と聞く。八王子から毎日車通勤。会社の社長だから高齢でも定年はない。でも仕事してるのかな?たぶん会社に来ることが生き甲斐というか生きる術になっているだろうと推察する。

この方を見ていると、なるほど、歩くことも仕事することも食べることも生きることも、全てに体力、筋肉が必要なのだとわかる。

今、自宅のある6階までなるべく登っている。
建物の入口の段差を含めると6階までちょうど100段だ。
上がりきった頃には、ハーハーと息切れする。それでも筋力維持に必要かと思い頑張っている。厨房での仕事は立ち仕事だが、腕力は使っても脚力はほぼ使わない。
現役は当分続きそうだ。だから筋力脚力を含めた体力はまだまだ落とせない。
頑張るべし!










古稀

誕生日が来た。
70歳になった。
70歳になった他の方たち同様70歳という実感はまったくない。
お祝いをくださった方たち、どうもありがとうございます。
何のお返しも出来ませんが、残った余生をもうしばらくおつきあいくださいませ。

誕生日が日曜日だったせいか、お祝い品のほとんどが土曜日の21日に届いた。
そのお祝い品を持って、誕生日前夜は新宿ゴールデン街で過ごした。
理由があったわけではない。おそらく30年はおつきあいしている行きつけのお店だ。この店のママのお友達でもあり、歓にもきてくれた水森亜土ちゃんのイラストが所狭しと飾ってある。その絵に囲まれて、お客は家内と二人だけ。

お祝い品のケーキとチョコレートをカウンターに広げ、このお店のママと三人で祝った。お酒は持参の「白州」。香りの好きなウイスキーだ。「芳しい」という表現がピッタリくる。
封を切り三人でまずは乾杯。そしてケーキ入刀。カメラに収め贈ってくれた人に画像で報告。

数日前から右奥歯が痛い。左奥歯の1本もかぶせ物がとれくぼみがある。
左で噛めば物が挟まり、右で噛めば食べ物が神経を刺激する。
貰ったケーキの柔らかさが今日はありがたい。チョコレートは口の中でとろけるのをしばし待つ。
これもまた70歳の誕生日らしい、、、と言えば、らしくもある。
70を過ぎても満身創痍の戦いが続く。
明後日からの戦いに備える戦士に、しばしの休息になった。

 











最低賃金

知らなかった。
ついこの前まで1,072円だったのが、1,113円!

商売がきつかった。
それでも最低賃金1,072円になった時に、全員の最低時間給を1,100円にした。
精一杯だった。
他の店舗に比べて上げ幅は大きくないんだろうな、と従業員に恐縮しつつギリギリの1,100円で折り合って貰った。
「働けるところがあるから満足ですよ。」
と言ってくれる。建前かも知れないが、この一言で心の負担は軽くなる。
ありがとう。

新聞は読んでいたのだが、1,113円になったというのは見逃していた。
経理を預かる妻と話した。
「1,200円か・・・」
「いや、まだ、1,150円でいいんじゃない。」
「そうか・・」

そういえば、先日のブログで近所の飲食店のアルバイト募集を取り上げた。1,350円での募集におったまげたと書いたのを思い出した。
どこかまだ他人事だったのだろう。
1,113円の記事を見て、「自分事」だということを悟る。

経営はきついが、厨房の募集を考えた。
私が身動き取れないのだ。何より調理に追われて、クローズキッチンに籠もる毎日だ。
そんな状況で、全体を、先行きを見通せない。
目隠しして走っている状態だ。先が見えないから精神的に焦る。
だから厨房から離れる時間が今はとても欲しい。たまに客席に赴いてお客様と話しをするも、新規客が来たとたんに厨房にもどらなければならない。
私も中途半端だが、話し途中で離れる私をみて、お客様もきっとモヤモヤしていることだろう。
私が厨房に入ることのデメリットは多い。
なんとか厨房を離れる工面したいと思うが、今の売上を考えると・・・。
悩みは尽きない。

そういうなかでの最低賃金1,113円の記事。
鼓動が、心拍数が急に上がってきた。







免許更新前夜

10月7日土曜日夜、それも23時過ぎ、鶴瓶さんから電話がかかってきた。
携帯の「鶴瓶師匠」の表記が出、時間帯を考えると
(あ・・チマキだ!チマキの注文だ!)
携帯から響き出てくるいつもの声
「今日の明日という注文は無理か・・・」
明日?!
思わず声が出た。
「無理やったら他のもん頼むからええんやでぇ。」
「いや、師匠、明日、私、高齢者講習の日なんです。」
「あ、ほうか、わしも高齢者講習やがな。」
電話の向こうから別な笑い声が聞こえてくる。
師匠は私より一つ上、71歳。
「師匠、免許あるんですか?」
「あるがな。高齢者講習やがな、わしも。」
周りの聞いている人に、
「高齢者や高齢者や。」
と笑いを誘う。その笑い声が電話口から聞こえてくる。
「スミマセン。そういうわけで明日は難しいんです。」
「わかった。わかった。ほなまた頼むわ。」
笑い声とともに電話は切れた。

誕生日までもうちょっと時間はある。
平日だったら都庁で更新が出来るのだが、日曜日は東陽町、鮫洲、府中の試験場のみ。試験場での更新は予約が要らない。
どこに、だれに、何個の注文なのか、聞かなかったのでわからないが、チマキ受注をためらった自分に少し嫌悪感と悔いが残る・・・・・も、
(師匠!もうちょっと余裕を持って注文くださいませ。)











コーン春巻き

連日の猛暑日が手伝っていたのか、9月初旬までは美味しいトウモロコシがスーパーに並んでいた。
そのトウモロコシを皮ごと蒸し、蒸し上がったコーンを中華包丁で可食部分を削る。それを塩だけを加えて味を調えた鶏挽肉と混ぜる。
ネットライスペーパーという網目模様のライスペーパーがある。揚げると皮がパリパリしてなかなかの食感。このネットライスペーパーで上記の鶏肉コーンを巻く。
すごく単純な料理なのだが、なかなかの評判だった。コーンの甘さと皮のパリパリが絶妙なのだ。 つなぎとして鶏肉を選んだのは一番匂いが少ないからだ。コーンの香りと甘さを邪魔しないと考えた。

9月中旬が過ぎ猛暑が少しずつ収まってきた。同時にコーンの時期が終わった。
評判が良かったため「コーン春巻き」の継続を図った。真空パックのコーンや冷凍コーン、色々と試した。コーン以外も試した。
甘い食材が合うと思ったから 南瓜、薩摩芋などなど・・・。これらの食材は火を通すと柔らかくなりネットの網目から流れ出す。揚げた油が濁るくらいにあふれ出す。
こりゃダメだ・・・。
単純な料理で使う食材も鶏肉、コーン、ライスペーパーの三種類。それでもこれだけ悩む。

今、売上が厳しい。何とか新メニューを開発しようと躍起なのだが、コーン春巻きすら試行錯誤が続く。
厨房の仕事”半端ない!”とあらためて思う。

先日、新メニューのヒントを得るべく数人で「新橋亭」に行った。刺激も欲しかった。厨房に入っていると、お店を抜けて他の店舗を、他の料理を食べに行くというのが無理なのだ。
新メニューや料理の提供方法を考えるのだが、頭の中で懸命に考えても思いつかない。<百聞は一見にしかず>なのだ。厨房にあるためにお客様からの情報も手に入らない。

たかが「コーン春巻き」されど「コーン春巻き」。
悩ませてくれる。










秋分の日

暑さなかなか収まらず、今週末は秋分の日を迎える。
暑さも収まらないが、お客様もなかなか戻ってこない。
厳しい日々が続く。

お節をどうしようか迷っている。
現状で、現状スタッフでお節を作るのは厳しいと感じている。
そろそろお節の案内も発送する時期になっているのだが、文面はおろかメニューすら決まってない。
従来の二段重と一段重の二種類を作るのにメニュー数は40品が必要と考えている。その40品から30品前後に絞っていく。昨年までは32品目だった。
結果がどうなるかに関わらず、メニューは少しずつ増やしていた。現状でほぼ半分の18品目。メニューそのものを決定する時間はまだある。
依頼されてお断りできないだろうお客様はけっこういらっしゃる。
一段重だけに絞ってご案内を差し上げようかと、現状で考えている。

10月29日(日)、歓の前を通っている医大通りを交通規制し商店会主催の「医大通り音楽フェスティバル」を行う。
この準備も粛々と進めている。今年は副会長の一人が会社移転のために脱会した。有能な副会長だった。
代わっての新副会長も決めた。やる気満々の新副会長だ。商店会の後継者としても有望な若者だ。が、しかし副会長に就任しまだ数ヶ月しか経てない。経験不足なのだ。彼自身は企画会社の経験もありアイデアもあり、それをこなすだけのパワーもありと楽しみな存在なのだが、一人でこなすイベント規模ではない。会員の協力が必要なのだが、彼の存在が会員間で認知されるにはもう少し時間が必要だ。で、私も限られた時間で商店会の活動に精を出さざるを得ない。
これがお節の準備にブレーキをかける。

お客様の戻りがまだまだのなか経営的にやはり厳しさが続く。
先週の日曜日、今日、そして来週の日曜日(24日)と三週連続日曜日にお店を使った撮影が入った。
日本人と中国人が混じった撮影スタッフ、中国映画だそうだ。1960年代に日本へ留学した中国人が中華料理店を開店するサクセスストーリーらしい。
他の中華料理店での撮影が決まっていたのだが、そのお店が約束した撮影日に予約を入れてしまったそうな。撮影は同じ場所で行う必要があり、撮影メンバーの一人がその昔、歓で宴会をしたことがあり、それを思い出し、私の所に打診に来た。
場所を提供することでいくらかのお金がはいる。売上の伸び悩む中、この場所提供代金はけっこう助かる。
初回分の料金を妻に渡したところ、
「苦しくなったら何らかの助けが来るね・・・」
ボソッと言う。
そうか、まだ”助け”が来るのか。彼女はそう思っているのか。

撮影日の今日、朝6時半ころからお店で待機。撮影スタッフたちは7時前からそろい始めた。俳優たちをはじめスタッフたちは、(金銭的に)恵まれた職場とは言い難いのだろうが、「一つの夢」を作るのにみな夢中でとりかかっている。
若さゆえに続けられるのだろう。

このお店にも夢があった。
もういっかい夢を作ってみたいな、と思う。
もういっかい夢を作れるかな、とも思う。
70歳が近づいてきた。







アルバイト募集

かっぱ食堂。歓ファンの近くにあるイタリアンのお店。
美味しいお店だ。
オーナーである店長とアルバイトの二人で運営している。
アルバイトは二人ほどいて交互に勤務している。基本的に二人でお店を切り回している。
カウンターが角材を建に何本も並べた形、それも長短がそろってない。だからカウンターは手前側にデコボコと面白い形をしている。オーナーのこだわりを感じるが、理由を聞いたことはない。
この近辺の飲食店では、なぜか私が一番落ち着けるお店だ。
パンを使った「パングラタン」「リゾット」そしてデザートの「テラミス」がおすすめ。

かっぱ食堂で、二人いるアルバイトのうち一人が突然辞めたそうだ。一人では回せないために現在週三日ほどお店をお休みしている。
辞めた理由を聞くが、いわゆる五月病(五月ではないのだが・・)らしく、アルバイトがお盆休みに田舎に帰ったら、そのまま上京する気が失せたらしく、電話で「もう辞めます。」とのこと。

次のアルバイトは求人専門の会社を通して探しているそうだ。
募集の時給を聞いておったまげた。
1350円/時!
これでも見つかるかどうか分からないという。
この金額は衝撃だった。
今、歓はギリギリの人数で運営しており、売上的にも今時点での募集はありえない。が、私を含めたスタッフ全員が高齢化しており、事故や傷病などいつ何があってもおかしくない。人材的にも人数的にも余裕がない。売上が回復したら、当然募集はあり得る。
が、しかし、この1350円という時給は考えられない。募集したアルバイトだけを1350円にするわけにもいかない。現メンバーの給与も上げざる得ないだろう。
現スタッフの給与も最低賃金を少し上回る1100円だ。

やっていけるのか!
きゃー!
心中悲鳴が上がる。
社員の給与は上げたい。心からそう思う。
が、その余裕は、今、まったくない。

食材の高騰、人件費の高騰、なのに客足の伸び悩み・・・、というか客足が戻ってきてない。
コロナ禍から難局はいろいろと続いている。






台風

台風13号が関東地方を直撃とニュースが昨夜から流れていた。
すっかり忘れていて、出がけに6階の部屋から階段で降りる最中、外の漏れ聞く雨音に気がつき
(あ・・、そうか、台風だ・・・。傘を持ってこなきゃ・・)
もうすでに3階の踊り場まで降りてきていた。
地階に降りていたエレベーターを待つのも癪で、3階から階段をふたたび上がる。エッチラホッチラ。

(台風か・・・一日・・、少なくともランチタイム中は雨にたたられそうだな。
ランチのお客様、きっと少ないだろうな・・・)
と勝手に思い込む。

平日は毎日北新宿まで10個ほどの弁当配達がある。宅配用のバイクで運ぶ。
屋根付きワイパー付きのバイクだ。ただ側面は何もない。
肩から腕、そして足下はしっかり雨にさらされる。
これだけの雨なら上下の雨合羽の出番だ。登山用で購入したカッパは余裕があり、雨をしっかりガードしてくれる。雨などへっちゃらに配達できる。
それでも雨は嫌だ。
売上の少なさに思いを至るから、やはり憂鬱になる。
・・・・
・・・・
・・・・
お昼過ぎた。(ランチが終わった。)
ランチ、思いのほかお客様が来てくれた。
この雨の中、お店まで足を運んできていただいた。
いつもより少ないのだが、予想はもっと少なかった。
うれしいね。素直にうれしいね。

お金のやりくりをしてくれる家内の顔を思い浮かべる。
こんなんでも足りないのだろうが、もうちょっと我慢してくれよ。




古稀と高齢者講習

誕生日はまだ1ヶ月以上さきなのだが、区からお祝い金が届いた。
古来稀なりが語源の古稀。
100歳時代が来ようという今じゃ、ぜんぜん「稀」じゃなくなったし、実感的にあまり嬉しくもない。
お祝い金の金額は5000円。ま、ほどほどの(嬉しい)金額だ。
全国的にみると、70歳でいただけるお祝い金というのは珍しいのではないかと思う。たぶん新宿区はお金を持っているからだと邪推している。貰っている立場から言うと罰が当たりそう。ありがたくいただくことにしよう。

またコロナにかかったようだ。
症状はもう治まった。
先週の木曜日あたりから痰が絡まりはじめ、徐々に喉に痛みが伴ってきた。
コロナとも思わなかったし、熱も出なかった。ただただ喉が痛かった。
喉の痛みがピークだった金曜日は予約宴会が終わった夜8時で閉店。次の日のランチはお休み。夜は予約が1件。いらっしゃれば普通に営業するつもりだったが、予約以外のお客様はゼロ。予約が終わったのは夜9時前。そのまま営業終了。
もうこの頃はだいぶ喉の痛みもなくなってきていた。

翌火曜日に月一の定期検診があるために病院に行った。そこで喉の痛みの症状を聞いた。
「コロナっぽいですね。」
という返事だったが、コロナに対する手当はなかった。もうその程度らしい。

古稀という年齢になり、気持ちはまだ50歳代なのだが、身体は間違いなく古稀だ。そして来月10月1日には運転免許の高齢者講習を受けに行く。今度の誕生日が免許更新にあたるため、更新半年前に受けなければならない講習らしい。
電話した。更新に必要なものを聞いた。
免許証、高齢者講習の申請書、黒ボールペン、そして動きやすい靴・・と言われた。
「えっ?靴ですか?」
「運転して貰います。」と当たり前のように電話口で言われた。
そこではじめて実施運転があるんだと気がついた。講習という名前がついているために講習だけで終わるもんだと勝手に思っていた。

バイクは毎日運転してるし、車だってほぼ1か月に1回は運転している。たぶん大丈夫だろうが、ちょっとドキドキしてきた。
身体動かすのはけっこう好きなので、ほぼ日曜日ごとに10km程度のウォーキングしている。その歩いている時に平坦な道で時々躓く。自分で考えている以上に足が上がってない時があるのだ。
それを思いだし、講習の時に、なにがしかの身体能力の劣化が出ること想像して、つい(嫌だなぁ・・)と感じる。

古稀、70歳。
お祝い金と高齢者講習も稀なり(今までなかった)。








月末

久しぶりに忙しい月末になった。
予約もそこそこあったが、気がつけば満席。
初っぱなのお客様が開店時間の17時。次が18時、18時30分に二組。
円卓を埋めてくれた9名様以外は人数こそ少なかったのだが、時間を分散して満遍なく来てくれた。
厨房に立ち、追われてはいたのだが、料理が遅れることは無かった。
ホールから紹興酒のカメを開けてくれと頼まれ、今日は2カメを開けた。
紹興酒を含め醸造酒は、私の酔いの回るのが早い。
30分、間を開けずにカメ開けする。例によって最初の一杯を私が試飲する。
今日は、その紹興酒の酔いがきつかった。
カメ開けした後、すぐに厨房に戻り、宴会料理、アラカルト料理を仕込み、作る。
作ること自体はどうってことないのだが、その注文が10個以上重なると、頭のなかはフル回転になる。
宴席料理の進み具合、揚げ物の揚がる時間、煮物の仕上がる時間、それぞれ単品の材料を5台ある冷蔵庫、冷凍庫に取りに行く。一番離れている冷蔵庫まで10歩もないのだが、何度も往復するこの時間が惜しい。
全てのオーダーの、材料を頭にたたき込み、なるべく一度で終えるよう走る。

やがて全てのオーダーを出し終える。すぐに片付けと材料の残を確認する。まだ閉店で無い。次の注文に備えなければならない。

おかげで紹興酒の酔いがだいぶ冷めてきた。お客様からただいたハイボールは手つかずで残り、中の氷は溶けている。
それでもこの忙しさは、久しぶりの忙しさは、嬉しい!メチャ嬉しい!