8月16日
金曜日だが、表題の行事(?)が重なる。
営業してもしなくても売上的に厳しい日程が毎年続く8月。
10~12日が土日月と続く曜日だったために歓の夏休みはこの日に決めた。
お盆だが、まだ平日の13~15日の方がお客様が来やすいだろうという読みだったが、状況はあまり変化がなかった。10日から18日までの連続での夏休みにしても大丈夫だったかも・・・。
自分で出した決断なのに、お店のヒマさが憂鬱にさせる。
折からの雨も手伝い、気分は重い・・・。
この文章をパソコンを打つこんでいる私の脇に置いてあった電話が鳴った。
(どこの営業だ?お盆くらい休めよ・・)
と、心で毒づきながら受話器を取る。
「今からランチ14名なんですけど、空いてますか?」
「空いてますよ。ガラガラですよ。」
とたんに心は、外の雨とは打って変わって晴れ模様。
小さな事で一喜一憂する自分に我ながらあきれてくる。
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鷹揚さ
男の汗臭さがイヤだと、ネットで流し、それが原因でフリーアナウンサーを契約解除されたという女性のニュース。
男の立場からだって男の体臭イヤだ!
この女性アナウンサーの言ってること同意します。正しいです。
言葉にする、ネット上(公)で発言というところで非難囂々。
そして契約解除。
どう考えてもやり過ぎ。
契約してた”事務所”って、普通に考えて会社であり、フリーアナウンサーはその社員的な立場でしょう。本来なら会社が社員を守らなきゃいけないのに”契約解除”。
非難囂々した人たちって、どうせ匿名でしょう。
こういう人たちって利口ぶって小っさな正義感を言ってるだけなんだから、ほっとけばいいのに。こういう人たちの小っさな言葉に過剰(大きな)反応。
きっと小っさな会社なんだろうね。
マスコミもこんな小っさな事をいちいち取り上げる。
そんなにニュースないのかね。
あなたたちが世の中を小っさくしてるよ。
なんか世知辛いね。
いつからこんなに鷹揚さがなくなったのかね。
電車(その頃は汽車)の中でタバコぷかぷか吸ってた時代だってあったのに。
牙も爪もない生身の人間は、ホントは弱くって、お互いを守らなければ生きていけないのに。
もっと優しくなれよ。
と思う今日この頃。
年を取ってくると、ホント自分の弱さがつくづくわかってきてるもんだからね。
ウナギ弁当食中毒
横浜、京急百貨店、ウナギ弁当での食中毒。
約160人の食中毒が出たというから、けっこう多い。
折からの暑さで体力消耗、少しでも元気にと考えてウナギ弁当を購入したのだろうと思うが、逆に体力を奪う結果となった。
食中毒を出したお店(会社)は自主的に営業停止にしたとニュースで報じている。会社の役員が揃って謝罪の映像がニュースで流れる。
同じ飲食の世界に身を置いている立場として身につまされる。
この暑さ、厨房もかなり暑い。服の中に空気を送り込む「空調服」を着込んで仕事しているが、ランチのかき入れ時は体中に汗が噴き出す。中華の厨房は事さらだ。
注文に間に合わせるために、食材は作業台の上に並べる。
エビ、いか、肉、各種野菜・・・。中華では刺身のような生の食材はないし、直前で食材を油通し(揚げる)する。和洋中の中でも比較的食中毒の起こりにくい業種だと思う。それでもこの暑さは食材には気を遣う。作業台に並べた食材を入れてあるステンレスの器には氷を差し込む。その氷もこの暑さで数十分で溶ける。頻繁に氷を補給する。
野菜はともかく肉類を切ったまな板はすぐそばにある洗い場に持ち上げて洗う。
中華のまな板は、丸くて大きい。重量もかなりある。
「よっこらしょ。」と声が出るほど力を入れてシンクに持って行き洗う。
そこまで気を遣う。
食中毒を出したら終わりなのだ。最低でも1週間は営業できなくなる。飲食店にとってはまさに死活問題だ。
それでも(食中毒が)出るときは出る。
無責任な言い方をするが、お客様の体調が悪いときだってある。食中毒が避けられない時がいつ訪れるか、運もある。
めちゃくちゃきれいなお店、厨房にしていても、なぜか繰り返し食中毒を起こすお店や調理人がいる。神経質なくらい清掃に努めていても食中毒を起こすお店や調理人がいるのだ。
運も確かにある。
私は飲食の世界に身を置き50年経つが、幸いまだ食中毒を起こしたお店で仕事をしたことはないし出したこともない。
食中毒を出す確率を下げることはできるだろうが、100%出さないというのは不可能だ。
デパートや社食などに弁当などを入れる会社は、衛生面のハードルはかなり高い。そういうことを要求されるし、それが出来て初めてデパートなどの取引ができる。この会社もそういう要求に応えてきた会社だったんだと思う。
それでも食中毒は起きる。
あらためて、我が身のことと思い、気を引き締めて、調理にあたろう。
食欲
この暑さは来客数はあまり期待できない・・・。
自分自身が歩き回りたいと、まったく思わない。お客様だって同じだろうと、当然ながら売上の少なくなることは憂う状態なのだが、ここは一番耐えるしかあるまい、と覚悟を決めている。
が、予想に反して月曜日の今日はランチが混んだ。それも正午近くから一気にお客様がいらっしゃった。厨房も追われたが、ホールは77歳の女性が一人で切り回している。おそらく数組は入りきれないお客様を返したろうと察する。
厨房にて。頭も身体もフル回転して注文に対処するのだが、この暑さ、厨房も半端なく暑い。中華に従事していて、厨房の、特に夏の暑さは覚悟しているのだが、噴き出す汗を抑えきれない。「空調服」という左右の腰上当たりに扇風機のついている服を着込んで仕事をしているのだが、焼け石に水。
夕方になり予約のお客様がいらっしゃった。昔からのお客様だ。割と痩せたタイプのお客様なのだが、肩、背中からお腹当たりまで汗でびっしょり。
心の中で
(よくぞ、この暑さの中、来店くださいました。)
そういえば、昨日のお休み、妻と二人で久しぶりのトンカツ屋「王ろじ」に行こうとしたら、お店が見える角を曲がったところで看板を消えて、「営業中」の札を裏返しにするのが見えた。まだ19時。
あらぁー
(不義理している)久しぶりのお店は他にもあったのだが、この暑さ、早く涼みたくて、すぐそばの、ヒマそうなイタリアンのドアをくぐった。いろいろとお店を物色する意欲は、この暑さが消し去ってくれた。
でも、伊勢丹界隈は若い人はゴチャゴチャいる。元気だなぁと思うと同時に、あちこち物色する意欲も元気さゆえと痛感する。
高齢者には危険な暑さがまだまだ続く・・・・・・・。
顔
ランチの客数・・・雨も手伝って悪し!
数ヶ月前からランチ数は、徐々にだが良くなってきていた。
厨房に入っていて、さほどお客様の顔は確認してないのだが、コロナ前とすると新顔がだいぶ増えている。むしろ旧来のお客様の比率は小さい。
ま、増減を繰り返しながら増える方向で進むのだろうと思う。手応えを少しずつ感じている。もどかしいくらい「徐々」になのだが。
社員の手前、ここは社長の私がどっしり構えて・・・。
でも、でも、人間がまだまだできてないのだろうな、、、
お客様が少ないと、やはり気持ちは落ち込む。それが私の場合、すぐに顔に出る。つくづく小さい男だな、と我ながら情けなくなる。
パワハラで自殺者が出て、斎藤元彦兵庫県知事が対策に追われているニュースが流れる。副知事が責任の一端を担って辞職。それを持っても知事は辞職しないという。
パワハラの内容も虚実も因果関係もまだまだ不明な点が多い。だからその辺に言及するつもりはないのだが、知事の顔が良くない。嘘は言ってないだろうけど、まだ「本当」を話してない顔だ。
試しに、「斎藤元彦」の画像を検索した。知事になる前と後ではだいぶ顔つきが違う。検索では選挙用ポスターの顔が多く出てきたが、それ以外でも今と昔じゃだいぶ顔が違う。素直さが感じられなくなっている。
顔は私も気にする。他人を見るときになるべく先入観を持たずに見ようと心がけているのだが、それでも好感を持てる顔、持てない顔は無意識に選択している。
自分の中での選択理由はいろいろあるが、正しい根拠はない。
でも、自分の顔も好悪の感情で見られているのだろうな、と思うし、嘘や見栄を張っていると、浅はかな顔に少しずつ変わってくると信じている。
人にわからない嘘でも、それが積み重なってくると、インチキくさい顔に変わってくると。だから些細な嘘もつかないようにしている。
今、斎藤元彦知事は窮地に追い込まれている。絶体絶命のピンチと言っても良いくらいの窮地だと思う。あの顔は、その窮地で逃げている、本当のことを話してない「顔」に、私は見えるのだ。
私もピンチに追い込まれたことは何度もあるし、これからの人生にも1回か2回はあると思う。 その時に逃げない、嘘をつかない「強さ」を私は欲しい。
天網恢々疎にして漏らさず
でもお客様がもっと来ると、心から笑える顔ができるのになぁ
エヌビディア
新聞やメディアのニュースで「エヌビディア」の単語をよく目にするようになった。
32~34歳ころだったと思う。
パソコンが流行り(?)始めたころだった。
初めて買ったパソコンはNEC のPC98。
当時一番下の子供がどこかの景品でカシオのQV10というデジカメを当てた。レンズ部分がクルクル回る、独自の製品だった。そのカメラで写した人物を画像処理ソフトでパソコンに取り込み、トリミングやデフォルメをグラフィック処理でおこなった。絵画調やパステル風など。あるいは数枚の写真を切り取りコラージュ、それを印刷してお客様にその場でお渡しした。
まだフィルムカメラが主流だった時代、撮った写真をカメラ屋に持って行き現像する時代だった。その時代に10~15分程度で、その場全員を入れ、花束持った主人公を中心に据えたコラージュは画期的だった。
ただパソコンの処理能力が小さいと、パソコンがフリーズしたり、気が遠くなるほど時間がかかった時があった。
それを補ったのが、エヌビディアのCPU(中央演算処理)だった。パソコンのCPUにガッチャと差し込む奴で、劇的に処理能力が上がった。
エヌビディアのCPUはパソコンゲームの処理速度も上げた。
信長の野望、三国志、A列車で行こう・・・
ゲームはソフトのプログラムが大きくなればなるほどメモリや演算処理機能の大きさがもの言う世界だった。
株を買うという知識も金もなかったあの時に、エヌビディアの株をもしも買ってたら・・・・
そんな知識持ってたら、ゲームもしなかったな、きっと。
[フカヒレ姿煮]の姿が見えない
厨房に入っていると、とにかくデスクワークがやりにくい。
油まみれ、水まみれのなかにパソコンはさすがに持ち込めない。
料理を考え試行錯誤する際も、取りあえずのメモは鉛筆かボールペンに紙に頼る。これが一番安全確実なのだ。
そして厨房とホールの境目に、まるで関所のように大きな板がかかっている。
料理を並べたり出したりする時、お客様が帰った後の下げものの置き場とけっこう働き者の「板」なのだが、厨房への上がり口が30センチほどの高さで2段になっているために、人は屈んで出入りする。身体が柔らい若い時はともかく凝り固まった老体にはかなりきつい。簡単に出たり入ったりできないのだ。
食材が毎週のように値上がりする。小幅でもこう頻繁に値上がりすると馬鹿にならない。原価率維持は非常に苦労する。
で、メニューを少しいじりたいのだ。新メニューもある。だが、食材を揃え、料理を作り、作った料理の写真を撮り、そのメニューの構成を考えたり、試し印刷をかけたりと、厨房への出たり入ったリが非常に億劫なのだ。
ネットへの変更処置もある。こういう作業のできるのは私しかいない。
そういう作業を予想しただけで気持ちはネガティブになる。という言い分けでお店のホームページもメニューもコロナ前から何も変わっていない。
コロナ前のコース料理は4000円でフカヒレ姿煮がついていた。食材高騰の折4000円や5000円での姿煮はもはや不可能!
でも、でも、そういう事を知らないお客様から問い合わせは何度も来る。その都度ホールの担当者は苦しい言い分けをお客様に伝える。
どうにかならないものか・・・・・・。
雨のない梅雨空だが、うっとうしい日々は続く。
北京ダック
少しずつ忙しくなってきたようだ。
予約が増えてきた。まだ”猛暑”や”酷暑”という暑さが来てないせいかと思えるが、毎年秋口になるまで営業的な閑散期に入る。が、手応えが少しずつ感じる。喜ばしい限り。売上的にもう少し増えると資金的な余裕が出来るはずだ。が、そうなると体力や、お店としてお客様に提供できる能力が厳しくなってくるかもしれない。自分の中で弱気と強気が交互に出てくる。
前勤務先であった頃から、そして歓ファンのオープン当初から来店されてるお客様の誕生日がお店であった。だから20年以上かよっていらっしゃるお客様だ。鍼灸師をされている。そのお弟子さんたちがサプライズで北京ダックをと注文された。
年に数回北京ダックの注文が入るが、歓ファンの北京ダックは焼かない。オーブンはあるが焼き釜のないのが大きな理由だ。歓ファンでは大きな鍋で揚げて仕上げる。
前勤務先では、約30年ほど前は北京ダックは生のアヒルから仕込んでいった。予約の日の三日前に届くように手配する。毛を取った生のアヒルが業者から届くと、アヒルのお尻に口をつけ大きく膨らませる。膨らんだアヒルを沸騰したお湯に浸し表面の雑菌を取り、そこへ蜂蜜、水飴、醋を混ぜた液を塗る。表面をパリパリに張らせるためだ。そうしたアヒルを三日ほど風通しの良いところでさらす。
前勤務先は2階にあった。その階段の途中にぶら下げていた。階段を上がってくるお客様にはビックリだったろうと思う。冬場は問題なかったが夏の暑い盛りにはそのアヒルは腐敗した。ハエがたかった。腐臭もした。
ご存知のように北京ダックは皮を食べる料理だ。時代的にもそういうことが許容される時代だった。逆にお店の「本物志向」がウリになった。
予約されるお客様が来て、北京ダックの順番が近くなると厨房では大きな鍋でアヒルを揚げ始める。
鍋の中では画像のようにきつね色に仕上げていく。時折アヒルを突いて皮の張り具合を確かめる。

北京ダックの美味しさは、皮の張り具合と香ばしさ、そしてミソの甘さの交叉した味だ。それを皮に包んで食する。
揚げる段階こそ厨房だが、揚がったアヒルをお客様の目の前で捌く。一種のパフォーマンスにお客様の視線は集まる。
今では生のアヒルから仕上げるお店を私は知らない。この方法を知っている職人も少なくなったと思う。揚げるだけのアヒルを業者は持ってくる。前述の蜂蜜を塗るのは、時としてムラがあり、当然のように蜂蜜の薄い部分は焼き色が薄くなった。そういう失敗は現代はなくなった。
それでもお客様の目の前で切り分けるパフォーマンスをやるお店はそうざらにないと思う。
北京ダックのご注文お待ちしております。
かくして誕生日の一つのイベントとなる。
ワンオペ
相棒の女性が法事で土曜日休ませてくれと言ってきた。
何の問題もない。率直にOKした。
6月2日(土)は予約は夜1組。土曜ランチはいつもさほど混まない。
多くても20名様程度。
たまにはいいか、その程度はやれるか、と一人で営業することに決めた。
一人でやることを知った、相棒の女性も妻も心配そうな顔をする。
「大丈夫?」
「間に合いそうもなかったらお客さん断るから。」
一人、ヤキソバ。一人、チャーハン。
続いてお二人。
オーダーはA定食(青椒肉絲)と担々麺。
「あ、それと、チマキを買いに来たんですけど・・・。」
「冷たいチマキですか?それとも暖めますか?」
「贈り物なので冷たいままでけっこうです。」
そのまま包めば良いことなので、楽勝だ。
厨房に入り、お湯の費を大きくしながら、A定食を準備・・・・
あ、その前にお盆にセット(全ての注文にサラダ、杏仁豆腐、お新香がつき、箸、デザートスプーンを置いて完成)しなきゃ。
ん?入口に人が立っている。お客様だ。
「いらっしゃいませぇ」
「表の看板、準備中ですよ。営業してますか?」
後にぞろぞろ人がいる。
キター!
「営業してます。何名様ですか?」
「5人です。」
「ワンオペなんで、準備中と言うことでお客様制限をしようかと。料理の出が少々遅れてもかまいませんか。」
「大丈夫ですよ。」
さあ、戦闘開始だ。
おしぼり、お茶を準備
最初の焼きソバ、チャーハンを食べているお客様も、今しがたチマキを注文されたお客様も(どうするんだろう?)という心配顔で私を見ている。
「注文良いですか?」
「焼きソバ3個と、A定食、マーラー麺お願いします。
(ん、注文、同じ商品にしてくれ・・・)とは口が裂けても言えない。
「ありがとうございます。」
頭はフル回転。できるだけ無駄な動きを避ける。
「段取り七部、仕事三部」
口元で唱えながら準備を進める。
さあ、準備は整った。あとは釜の前に行って料理を作るのみ!
と、腹に力を入れた瞬間、新規のお客様が目に飛び込んでくる。
あ、住んでいるマンションの大家さんだ。これは断れない。でもワガママは利く。
「時間かかっても大丈夫ですか?」
イヤとはいわせない。
と、話している背中で、
「カウンターの上に置いてある冷茶は私たちのものですよね。」
5人組のお客様が、トレンチに用意したお茶を見つけて取りに行こうとする。
「あ、スミマセン。用意はしたんですが、持って行くの忘れてました。」
「大丈夫ですよ。」
お客様との共同作業になってきた。
大家さんは三人組。
「注文だけするわよ。私はトロトロ冷やし。」
一番手間がかかる季節商品、だからわざとメニューは出してなかった。先日召し上がったのが美味しかったからと知人を誘って来店された模様。
が、残りの二人はA定食、B定食・・・。
うん、うん、こんな時は同じオーダーに・・・と、またまた口に出そうだったがこらえた。
厨房に飛んで戻った。待ってくれると言ってもお腹が空いているときの待たせる時間は経つのが早い。もう一石の余裕もできない。
わずかだが、同じオーダーがある。まとめて作らなくて何ぞや!
手早く準備する。
もう一度釜の前に立つ。火は全開。炎の調理人になる。
セットしたお盆に出来上がった料理を置く。スープを注ぐ。ライスを盛る。
スープなどちょっとでもこぼしたら、入れ直すのはもちろんのこと、こぼした個所を”拭く”という余計な仕事が増える。早くやる部分と慎重にやる部分と硬軟をつける。
「お待ちどおさま。」
5名様の配膳が済む。
と新たなお客様だ。
(あ、ちょっと難しいお客様だ。)
ふだんだったらどうって事ない70歳半ばのご夫婦なのだが、細かい注文が多いお客様だ。
「時間、大丈夫ですよね。ゆっくりしていってください。」
「今日、私一人だから、かまってられないです。」とは絶対に言えないが、細かい注文も今日はダメ!、との「押さえ」を含む口調で話す。
奥様が「大丈夫よ。」と旦那をなだめる役を買ってくれる。
旦那は
「早くできるものだったら何でもいいよ。」
そういう問題じゃない。でも出来上がった料理を運ぶの先決だ。
「はい、はい、ありがとうございます。」
手際は悪くない。順調に料理を出し終わった。最後のご夫婦の料理だ。
海鮮焼きソバを作った。いつもよりエビイカを多く入れる。
作ってご夫婦に配膳を終わってから、まだお茶が出てないことに気がつく。
老夫婦だ。
「温かいお茶で良いですよね。」
と持って行った後で有無を言わせないセリフ。
「おうおう。」
いつもは一言二言嫌みをいう旦那が素直に応じる。
「店長、お店の中走ってたね。」
「店長、若いねぇ。」
と奥様。
ハァハァ。
気がつけば、息も上がっていれば、背中には汗も掻いている。
瞬間的に動けるのはわかったが、最大の誤算は自分の歳を計算に入れてなかった。
パンツ少ないわよ
「パンツ少ないわょ!」
そんな声で目を覚ます。
はぁ?
ヒドく酔っ払ったときは別だが、風呂嫌いだった私も寄る年波にいつしかほぼ毎日風呂にはつかるようになった。そして風呂に入るたびに下着は毎回取り替える。
「どっかそこへんにあるだろう。」
「ないから言ってるの!」
そんなに大問題か、大声で、人の眠りを妨げるような問題か・・。
「知らんよ。」
「どう数えても1枚足りないよ。」
「パンツの枚数なんか知らん。だからどうした。」
もう相手にしてられない。もう一回寝たい、そんな欲求で答えもつっけんどんになる。
半分もう一度の眠りにつきながら
(女って自分の下着ならいざ知らず、亭主のパンツの枚数まで勘定に入れてるのか・・。不思議な動物だな・・・・。)
というのと、
(パンツ、どこに置いたっけ、はて?風呂場脇のバスケットの中に放りこんだはずのパンツが行くとしたら、どこ?)
そんな女に対しての思わくと、喪失しただろうパンツの行方を推理しながら・・
まあ、また起きてから考えてみるか・・・
いつしかまた寝ていた。