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兄弟

私は男兄弟の長男だ。
次男は鹿児島に、三男は世田谷区に、それぞれ健在だ。
兄弟それぞれに三人ずつの子供がいる。
その子供に孫がいるのだが、正直数は把握していない。
兄弟はそれぞれ67歳、65歳、63歳になる。
兄弟の嫁たちも還暦を過ぎた。

コロナ禍で支給された給付金が手つかずで残っていた。
コロナ禍でお店は存続の危機にさらされている。
まだお互い元気なうちに会っておこうか、という話しになった。
長男だから私が音頭を取り、給付金とGO TO トラベルを使って、鹿児島に残っている弟夫婦を招待した。
一昨日の土曜日のことだった。

年齢はともかく、弟たちは老けている。少なくともビジュアル的には私が一番若い。頭髪も下に行くほど禿げている。
羽田に車で迎えに行った。東京でのコロナ感染を心配しているだろうな、と思った。空港までの行き帰りが車だったら、心配も少なくなるだろうという配慮だ。

荷物はなかった。手土産は事前に歓ファンに送られてきていた。到着は13時半ころ。直で帰っても時間が余る。兄弟と息子、孫たちが揃うのは18時。
弟はともかく、その嫁は東京は久しぶりのはずだった。車で首都高を回る。時間的に微妙なために車中での東京巡り。人混みに入っての、コロナ禍の心配もあった。三連休初日の土曜日だけあって、 都心から外に向けて渋滞していたところはあったが、 都心部は割と空いていた。
それでも田舎から出てきた分は、賑やかに見えたし、田舎での祭り状態の人混みだったし、田んぼの中を走る高速と違って、ビルの合間を縫う首都高は都会そのものに映っていた。

ホントは2泊して貰うつもりでいた。1泊は東京で、2泊めは箱根辺りを手配するつもりでいた。それが義母の介護を口実に一泊になった。
介護は口実で、コロナ感染を恐れているのかな、と察しあえて一泊のみを反対はしなかった。

弟たちにはホテルチェックインをさせ、夜の宴に備えて私も小一時間仮眠を取った。

6時。
まず兄弟夫婦、6名の宴が始まった。
マスク姿で気づかなかったが、弟二人とも前歯が抜けていた。
冒頭ビジュアル的に私が一番若いと言ったが、歯抜けは爺いを加速させていた。
「おい、歯を入れろ!」
田舎にいると、会う人も少ないから見た目は気にしない。ありありとそれが見える。私ですら、私自身がおしゃれに見えるのだ。

「病気自慢をする大人にはなりたくない。」が私の持論だったが、兄弟夫婦三組そろって現在患っている病気と薬の自慢になる。
兄弟は順調に老いていた。そして兄弟ともに嫁から逃げられずにここまでの人生を歩いてこられた。

うん、そうだ。もしかするとこれが梅橋家の徳かもしれない、「嫁に逃げられなかった。」という。

美味しい酒だった。6時から始まった宴は、途中から息子、孫たちが加わって総勢13名になっていた。特に走り回る孫たちが時間の進みを早めていた。
気がつけば9時。3時間を過ぎていた。
まず次男が脱落した。田舎生活は夜が早い。眠さを抑えきれずにホテルに帰ろうとした。若いときは無理にでも席に押さえつけたが、今の私にもその元気はない。
明日の羽田までの車での送りもあった。アルコールが残っていてもまずい。
切り上げ時か。
たぶん9年ぶりになる兄弟そろい踏みだった。両親が亡くなると、田舎は遠くなる。

今日、鹿児島に帰った弟、その嫁、世田谷にいる弟からそれぞれ感謝のLINEが来た。
本来の使い道でなかったかもしれないが、有意義な10万円の給付金だった。

コロナで考えさせられたこと

どこに行ってもマスク姿を目にする。マスクなしの人を探すのは難しい。特に人の大勢集まる公共の場所、例えば駅とかスーパーマーケットだとか。
マスクの息苦しさが嫌いな私も、こういった公共の場所に行く直前にマスクをかける。
飲食業だから、ランチ時間やちょっとでも混みそうだな、と感じたときはマスクをかける。だが、嫌いだ。

嫌いな理由。
・顔が見えない、というより相手の表情が読めない。
・鼻と口を覆うというのは、空気を吸う、食べる飲むといった、生物が生きるための本来の行為を制限している。
見た目も不自然に私には映る。

だが、マスクが日常になった。
コロナが収まったとしても、このマスク姿は定着するのではないか。
マスクは外部との接触を遮断することを意味する。ソーシャルディスタンスの物理版だろう。このソーシャルディスタンス、訳すれば社会的距離なそうだ。

母が我が子を抱く。それ以前に愛し合った男女が抱き合い、SEXに発展して結果子が出来る。
密接の最たる例ではないか。密接があったから男が存在し、女が存在し、子供が存在し、家庭ができる。
生まれたままの姿の人は、寒さや敵から身体を守る体毛もない。爪も牙もない。自然界ではとても弱い存在だと思う。それがここまで成長(繁殖)できたのは、個が密集することで自らを守ってきたのだと思う。

それがここにきてコロナが密接や密集に対して疑問符をつけてくれた。
これまで人が生存し、繁殖し続けた密接密集を人類自ら否定しようとしている。
コロナが突きつけた宿題だ。

昔々、地球が誕生し、そこから生命体が誕生した。ミトコンドリアの世界だった。細胞同士が変化して、くっついて、分離して、数多の化学変化が起きて「進化」と呼ぶ変化が続いた延長線に、今の人類がある。変化にはコロナと同類のウイルスが関わってきたことも間違いない。

「歴史」という数千年の単位よりも、もっと長い万年、億年という単位で眺めてみると、「進化」の過程が今、起こっている。コロナはその引き金になっているのではないか。

学校で習ったことを思い出して欲しい。
地球が誕生して、水や空気が出来て、有機類ができ、それらが合わさって生物(その当時は植物)ができ、それらを食べる成長する動物が出現し、と脈々と続いてきた。時間的な単位は億万年という単位だった。
コロナで右往左往している人類は、少なくとも言葉を話したり、「歴史」などと語る、人類の時間単位はせいぜい1万年程度だ。

社会的な距離の中で、それでも人は生き続ける。さらにいえば、100年とか1000年とかいう時間的な単位で考えれば、もっと厳密な「社会的な距離」が生まれてきてもおかしくない。

コロナでに振り回されている間にも、4G、5Gなど大容量の情報を行き来させる電波のインフラが整いつつある。それらが整ってくるとどうなるのか。

バーチャルリアリティ(仮想現実)がリアルそのものになってくると思う。
前述した男と女が、実際に会っているつもりで、実際にセックスしているつもりで、お互いの精子と卵子を融合させ・・・・。

食べるものだって、無菌だとかサプリだとか表示しながら、丈夫(健康)で美味しい肉体に仕上がるだろう餌を自ら作り、自ら食する。

これはもしかしたら・・・・、
ゲージで飼われる鶏と同じではないか。
養豚場の豚と同じではないか。

良いか悪いかではない。
長い年月をかけて人類が向かおうとするのに、今現在、人に求められようとしているのが「社会的距離」。
こういう目で見ると、今の中国のように国で人を押し込める(民主主義でない)制度もアリと思える。(私は嫌いだし、けっしてそうなって欲しくないが)
だとしたら、近い将来(100年ほど後)には、管理される体制が敷かれ、人が管理しているように見えて、実際は人類が作り出したコンピュータが制御管理する。その人類はゲージの中にいる?

コロナは私をSFの世界に誘ってくれた。

末っ子の旅立ち

旅立ちという年齢でもないのだが、34歳の同居していた息子が引っ越した。
土曜日深夜遅くまでガタガタ物音がしていた。途中トイレで目覚めた5時頃も物音が続いていたから、引っ越しの荷造りでほぼ徹夜だったのだろう。
朝方、家内の声が響く。
「これは持って行かないの?」
「あれは忘れてない?」
気ぜわしく、甲斐甲斐しく、子供を気遣う響きだ。

目は覚めていたが、布団から出なかった。
引っ越し先は浅草。
いつでも会える距離なのだろうが、母と子供の別れのシーンに私はいない方が良いと思った。

私のことを煙たがっていた息子。
私の子供の頃を思い出しても、男親と息子の間には奇妙な距離がある。
中学生頃までの親と子の関係が、思春期あたりから徐々に男と男の関係に替わる。
板橋に会った一軒家から、長男、次男と独り立ちし、一軒家である必然がなくなってきた。職場近くの新宿に引っ越してきたのが8年ほど前だったろうか。

愛嬌のある顔をしているのだが、このところ体重が増えていた。デブだ。
単なるデブを通り越して130~140kgはあると思える『巨漢』になった。
本人は気にしているのかしてないのか、でも指摘されるのは嫌なようで、体重を聞かれるのも、「また太ったか?」と揶揄されるのも、表情がムスッとする。

私が糖尿病に罹患しているから、純粋に身体のことを思って忠告するも、返事がない。家内も(ほおっておいて・・・)と目線を送る。
私もそうだったが、病気で苦しい思いを一度味合わないと「健康」であることの重みが実感できない。
息子はすでにこの歳で痛風にかかっている。糖尿病罹患も時間の問題と思える。

基本やさしい子なのだ。笑ったときの顔もやさしさにあふれている。
私のとの接触は避けたがるが、母親とは食事も酒飲みも時間を割く。
自宅でも母親との食事を作る。
「この料理はこのスパイスで。」などと妙なこだわりも見せる。

ある意味、面倒くさい息子なのだが、母親はその時間を楽しんでいた。
その息子が出て行く。

私は、一度は独立した生活をした方が息子のためにも良いと感じていた。
料理を息子がするときもあるが、気が向いたときだけだ。
基本、家でやる食事や洗濯は母親がする。たぶんトイレや風呂掃除もやったことはほとんどないはずだ。たいていは私がやっていた。

家にいると、その不自由を感じない。息子にとってけっして良いことではない、と思っていた。
一度その不自由を経験して、息子がまた戻ってくるのは、私はOKだと思っている。病気と一緒だ。苦しい思いをして「健康」のありがたさを知る。
独り立ちして、親のありがたさを知る。

物音が静かになって、息子が出て行ったのを知る。
家内が部屋に戻ってきた。
「ウウッ、ウウッ」
と泣いている。
気持ちは痛いほど伝わる。家内の気持ちを測ると貰い泣きしたくなる。
家内の背をなでる。
「いつか来る日が、今日だっただけだ。」
「わかっているけど、(涙が)止まらないのよ・・」
かける言葉を失う。
また数回、家内の背をなでる。

息子が出て行って、家内と二人だけの生活が始まる。
粗末だったけど、まばゆい若いときの二人の生活と違って、時間を埋め合わせるだけの空間がこれから二人を包む。

埃っぽさが漂い家具のなくなった部屋のなか 、人生の大きな役目の一つが終わったことを、私たちに息子が残していった。


同級生

飲食店は受難の時代を迎えている。
かなり厳しい。
お客様の来ないこと、こんなに辛いと感じたことは今までなかった。

そういう厳しさの中、同級生たちが手を差し伸べてくれた。
めっちゃ嬉しい!
一人や二人ではないのだ。
その一人一人が、その知人たちに声かけして注文を増やしてくれた。

そして今日、また同級生がメールで注文を入れてくれた。
感謝。
返信する。以下。
--------------------

ありがとう。
同級生からの注文、合計で20万円くらいは行ってると思う。
助かる。ホント助かる。
でも、焼け石に水。

お店継続できる方法をいろいろ模索しているけど、かなり厳しい。
厳しい理由の一つに年齢がある。60歳を過ぎると新規借り入れは困難。会社として借り入れるためには事業継承出来る60歳未満の人材が必要。
その60歳未満の人材が経営者に向いていない。職人だ。

何をするにしても「元気」が必要。元気と年齢は比例する。

今朝、年金事務所に遅れていた年金を支払いに行った。窓口から見ている職員の働き方、正直ぬるい!仕事している風には見えない。私の方がよっぽど仕事している、と思う。
なぜ、人一倍、仕事しているのか、というと私が、少なくとも年金事務所の職員たちよりも元気だから。年金事務所の人たちの倍働く元気を持っている、私は。

年は関係ない。
だけど、年取って、元気が少なくなって、目の前の職員たちの元気と同レベルに近づいているのを感じる。

そういう自分を客観的に見て、一線から退く時が来たようにも感じる。
いや、まだ早い、まだやれる、という負けん気も出てくる。
どちらが正しいかの判断がつかない。引き際の難しさだ。

今、退くことが出来れば、きっと楽になるだろうなぁ、家内もそれを薦めるだろうな、と思う。
どちらの判断をしたとしても、後悔はきっとある。
どちらの後悔を選ぶのだろう、、、、。そういう岐路に自分がある。

平櫛田中という彫刻家がいた。
この人の名前も作品も有名とまでは行かないが、この人の台詞は一回は聞いたことがあると思う。
「今やらねばいつやれる。俺がやらねば誰がやる!」
芸術家であるこの人が、自分を奮い立たせるために吐いたこの台詞。98歳で吐いた台詞なのだ。この方の享年は108歳。

98歳で、この元気。見習いたいと思う。だから、まだ、弱音は吐けないと思う。生きる死ぬは神様に任せるつもりだけど、その死ぬ間際まで鮮烈に生きたい。生きることが出来れば、と思う。
そういう葛藤を感じながら、会社、店舗が生きながらえる道を探している。その気持ちを支える「元気」が、もう少し欲しい。

来年、同窓会、歓ファンで出来たら嬉しいな・・・・・ホント。

マスク

どこに行ってもマスク姿が定着してきた。
用事があって昨日は新宿の繁華街、市ヶ谷と出かけてきた。
マスク姿を数えてもきりがないので、素顔をさらしている人を数えてみた。
気候が涼しくなって、マスク装着でもそう息苦しくもない季節になってきた。
時間にして延べ5時間近く出歩いて、マスク着用なしが10名いただろうか。
マスク姿がすっかり町の風景としてなじんできた。
これから風邪に季節到来。マスクはもっと多くなるに違いない。

このマスク姿が私は気に入らない。
家内とよく都内のあちこちを歩き回る。歩く距離が増えれば自然と息づかいも荒くなる。
そういう中でのマスク着用が辛いこともあるのだが、基本的にマスクは嫌いだ。
あちこち歩き回る中で、駅やデパート、人が多く見受ける場所に行くと「礼儀」として私もマスクは装着する。家内からも
「ほら、マスク!」
と催促される。

マスクで顔が見えない。
特に口の部分が見えない。
笑顔を見せるときの口の役割は大きい。
喜怒哀楽を表す顔の半分が隠れていて、人と人とのコミュニケーションは取り辛い。言葉でカバーしようにも、これまたマスクのせいでくぐもった声になり聞こえ辛くなる。

三密回避とかソーシャルディスタンスだとか、人と人との距離を保つように、国もメディアも薦める。
いつまで?
仮にコロナが収まったとしても、毎冬インフルエンザの季節になると、例年以上にマスク姿を目にすることになるのだろうと思う。

で、これって良いの?
最速コンピューター富岳が飛沫シミュレーションをやり、その結果のビジュアルをテレビで放映していた。
あんなの見せられたら、人と人との出会いに恐怖や警戒心が起きてしまう。

肌と肌が触れあいが少なくなって、人と人との出会いや関係に微妙な距離が出来てしまう。
コロナを絶つのではなく、With コロナ。
潔癖、清潔がすべて良いというわけではないはず。
あまりにも神経質になりすぎているのではないかと思う。

コロナに限らず、人に心の中の鷹揚さが少なくなっているのではないか。
こぢんまりとし、小さな事に足を取られ、足下しか見えず、遠くに見える大きな目的が霞んでしまっている・・・。
コロナがそう見せている気がしてならない。

人と会うこと、人と話すこと、
人が美味しいと見せる顔、人が楽しいと見せる顔。
それを味わいたくて、この飲食の仕事に従事している。
飲食の仕事に従事する醍醐味だと思う。
今のコロナ対策、この醍醐味を全否定されているようにしか見えない。

「みてね」というアプリがある。
長男次男がこのアプリを使って孫たちの画像や動画を送ってくる。
長男に男孫1人、次男に女孫2人。

それぞれの孫たちが画面いっぱいの笑顔をみせてくれる。
育つ環境はそれぞれ違うが、親に育まれていることをすごく感じる。

孫たちの笑顔。
あやすときに満面の笑顔を見せて、親は子をあやしているに違いない。
長男の孫は奇声をあげながら喜びを表す。
次男の孫は女らしさをすでに発揮しながら、クネッと身体をひねりながら笑う。
両方になんとも言えない可愛さがある。

親が言葉のわからない子をあやすときに、親がきっと満面の笑顔を見せながらあやす。それを見ながら子たちは笑顔を覚えていく。
良きにつけ悪しきにつけ子たちは親を見ながら育つ。
だからきっといつも怒ってばかりの親が育てた子供は怒る顔が得意になる。
笑い顔の上手な子は、きっと親だって笑い顔が素敵なんだと思う。
ある意味、子供たちは親のキャンバスだ。
親の顔が子供たちの顔に表れている。遺伝子のせいで似ているというだけでなく。

私が小さい頃、たぶん小学校の頃、友人との諍いの時に
「俺は気が短いんだぞ!」
「それがどうした!」
(えっ、「気が短い」というフレーズで、こいつはどうして怖がらないの?)
と驚愕した。

父から怒られたときに、何かの拍子に
「俺は気が短いんだぞ!」
と怒られた。その時の親父の顔が相まって、非常に怖かった覚えがあった。
そして「俺は気が短いんだぞ」というフレーズが相手を怖がらせる文句として私は覚えた。
信じた。

けんかの際に、この文句が全く脅し文句にならない。
引き下がると思った相手が逆に突っかかってきた。
唯一の武器が効き目がないと分かった時の、私の恐怖感!

今思い出すと笑い話しでしかないのだが、親父の怒った顔と殺し文句はそれだけ強烈だった。
だから私の怒った顔は威厳がない(?)。
怒っているというのは伝えられても、きっと怖くない。
良いんだか悪いんだか、わからないけど。

GO TO

GO TO トラベル、 GO TOイート、GO TO イベント、GO TO 商店街・・・
いろいろと出てきた。
商店会長をしている。
GO TO 商店街の案内が流れてくる。
一つの商店街に300万円の助成金を出してくれる。
二つの商店街が合わされば、300万円+300万円に、さらに500万円が追加して支給される。
国→○○○→JTB→商店街という流れになる。
なぜここにJTBが入ってくるかというと、JTBの救済策という意味が色濃い。
HISなどもそうだ。

しかし待ってくれ。
GO TO トラベルで潤うのは大きな、高級なホテル、旅館だけだ。
イートにしても、グルメサイト経由の予約が必要になる。
小さな飲食店で、あるいは田舎の飲食店で、サイトを用意していないお店だって多々ある。
今回の政府の救済策は大きな偏りがある。
GO TO を使う方も使われる方も資金的余裕のある方たちへの優遇策に見える。
本当に困っているのは、運転資金などを潤沢に用意していない、融資を受けられない小さなお店や小さな旅館なのだ。

コロナはすべての業種に大きな禍を残し、否応ない変革を迫られた。変革は閉店、倒産という喜べない変革も含む
JTB他大きな企業に偏らず、ほとんどすべての困っている業種を救う方法がある。
消費税減税、あるいは消費税廃止だ。
コロナ禍が治まり、経済が回るようになるまでの期間限定でかまわない。
たぶん政府中枢や官庁でも、こういう意見が出ているはずなのに、英断を拒む。

国としての難局場面では、歴史の中でたびたび英雄が出てきて、英断を下していく。今がその時ではないのか。
管さん、いかが?

運転免許更新

誕生日を前にして運転免許更新時期がやってきた。
昨日の日曜日、鮫洲試験場に更新に行ってきた。
到着時刻10:30分。終わったのが15時近く。
日曜だから混んでいたのか、各セクションで並びに並んだ。
しかもソーシャルディスタンスで、人と人との間隔が広い。
列を見た感じが必要以上に長く感じる。
内心
(もっと人員増やせよ、こんなに混んでいるのに・・・)
と思うが、ここは大人の我慢強さを見せてだんまり。
若い人が多い。
へぇー、こんなに運転免許を持っている人がいるんだ、と感心する。
公共の交通が発展している東京は車の需要は低い。先入観で、免許を取る人少ないと思い込んでいた。

試験場は夫婦で出かけた。
講習を待つ間、持て余す時間を二人並んで、人混みを眺めていた。
若い人たちの弾力のありそうな身体を見ながら、
「お前もあのくらいピチピチしてた頃があったなぁ・・」
「あら、そお?」
「あの頃のお前は、眩しいくらいの太腿してた・・」
「太さは変わらないけど。」
「弾力が違う。」
と夫婦で馬鹿を言ってる。
が、若い人のピチピチ感を見ても、ムラムラ感が全く湧かない。
つくづく年をとったのを実感する。

身体にパワーが湧き上がってこないが、それでもまだ体力を落としてはまずい局面が続く。
帰りは土地勘のない大田区は電車で通過。品川から新宿まで歩くことにした。
品川駅で食事を済ませ、第一京浜を北上、泉岳寺を左折。
道なりに行って魚藍坂下を右折、国道1号線(桜田通り)。このあたり白金台と見るからに高級住宅街の雰囲気が町並みに出ている。
そのまま麻布通り上を道なりに一橋を左折、麻布十番界隈を楽しむ。

麻布十番から六本木ヒルズの手前にある朝日テレビのところで、足が痛くなってきた。
(?・・・)
左足親指付け根がジンジンしてきた。
いやな予感。
10年ほど前にやった「痛風」と同じ部位で同じ痛みだ。
疲れてきたこともあって、歩くのはここで断念。
8km。15000歩ほど。
いやだなぁ、痛風だったら。あの痛み。
ここでも年輪が刻まれていくのを感じる。

虎ノ門横丁の赤坂離宮

虎ノ門ヒルズ3Fに虎ノ門横丁なる飲食街がある。
虎ノ門ヒルズが完成してからの横丁だけにまだホヤホヤの商業施設だ。
コロナの影響で人出が少ない中、このフロアだけは大勢の人で混み合っていた。
1Fのエントランスなどは人がまばらであり、3階まで吹き抜け状態のなか、エスカレーターを利用する人もまばらだったが、3階に上がると熱気ムンムン。
何、この盛り上がり方は!

今年一月で閉店した後楽園店や新宿の店を思いやると、この集客力は悔しいやら羨ましいやら。
その一角に赤坂離宮が手がけたという「香港焼味酒家」がある。
ある方に連れられてこの店を覗く。横丁というコンセプトだけに赤坂離宮のような構え方はしていない。こじゃれた居酒屋風であり、ソーシャルディスタンスもここは関係なかった。

その一つの狭いテーブルについて、おすすめを含めて5品ほど料理を頼む。
ホールでキビキビ動き回っている方は原宿の南国酒家でマネージャーを務めていた方で、私もご挨拶したことがある。
この方のおすすめがエビワンタン麺だった。
お店が一押しで薦めていたのが、いわゆる焼きたてのチャーシューだったので、
(あれ?)
と思った。そして麺を食べると、お酒も料理も進まなくなるためにワンタンだけにして貰った。
このワンタンが絶品。
皮の中にエビがまるごと入っている。ゴロゴロしたエビの食感とスープが絶妙。
この後、8時過ぎから予定のあった私、このエビワンタンをスープ付きでお土産にして貰った。

帰りのタクシーの中、スープがあふれないよう気を遣いながら、新宿に到着。

お店に帰るとすぐにこのワンタンを歓ファンの調理長に食させる。
8時からの会合に出るために、食した調理長の顔は見ていない。
だが、次の日からワンタンが変わった。エビのゴロゴロ感が出てきた。
(ふーん、こんなにすぐに料理に反映できるのだったら、普段からいろいろなお店に行って試食しまくれば良いのに・・・。)
(でも、まあ、小さな一歩と認めようかね。)

金を使い、食べてみせ、美味しさを教え、やる気にさせ、作ったところで褒めて見せ、それでも人は育たず。育った頃には飛び立つ時になり、お店を離れることも。
いくつもの無駄の重ねる徒労感。それでも、人を育てることを忘れてはお店(会社)が育たず。辛抱辛抱。

いつか感謝されるときが来るのかね?
社長業ってのはこんなもの。疲れるよ。



持続化補助金

持続化給付金でなく、持続化補助金というのがある。
経営の持続することを前提にした補助金だ。これに今チャレンジしている。
チャレンジという言い方が変だ。
しかしこの持続化補助金の詳細が日本商工会議所を通じて発表されているのだが、ガイドラインが実に91ページに及ぶ。内容も非常に難解だ。日本語で書いてあるはずなのに、(翻訳して欲しい。)と切に願う。

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お店を持続したい、持続させたいと心から思う。
しかしこの持続化補助金の説明、補助金を出したいという気持ちは全く伝わらない。 逆に何としても出すまい!という意思すら感じる。
補助金申請 のために高く大きな壁を作り、
「登ってこい!」
「チャレンジしてみろ!」
と言っているようだ。

誰がこの補助金を作り、このガイドラインを書き上げたのだろう。これだけ難しい文章を作るくらいだから、とても頭の良い人なのだろう。
第3回目の申請締め切りは10月2日必着。

何とか半分程度書き上げたが、気持ちは半ばあきらめている。
日々の苦しさで、それでも諦めずに何とか切り抜ける方法を模索しているのに、この仕打ち。
頭の良い人たちが作ったのガイドラインなのだろうけど、人の痛みが全くわかってない人たちだと感じる。
持続化給付金もそこそこ面倒な記入作業が続いたが、小学校入試と大学入試くらいの差がある。

申請はもう一回ある。来年2月5日締め切りだ。
今回はあきらめて、次回に申請するか・・・・。
それまでお店が保っているといいんだが。
私だけではないはずだ、この難解クイズに困惑諦める人たちは。
「超難解・・・!」というクイズ番組に出演している人たちに応援頼みたい。