もうすぐ結婚記念日を迎える
たぶん47回目・・もしかするおt48回目かめかも。
計算したし、妻と数あわせもしたけど、????
ま、あと数年したら金婚式ということだ。
よく持った。
よくぞこんなに長い月日を私に付き合ってくれた。
妻に対する感謝。
そんな妻との年月に「歓」というお店の存在も長い。
私は調理師としての職人歴が長かった。師匠から
「あっちを手伝いに行け。」
「こっちのお店が開店だ。」
と言われあちこちの飲食店に手伝いに行かされた。そういう世界だったし、当時は疑問も抱かなかった。
短い場合は数ヶ月。長いときは数年。中華料理店という共通項はあったけど、店舗を渡り歩いた。
職人歴は40歳頃まで続く。ある時にホールにコンバートされた。支配人という肩書きがついた。
それまでの業務畑が営業畑という風に仕事内容が変わった。
技術だけを磨いていた業務内容が、いかに売るかという内容に変わった。
大きな転機だった。
当初は職人としてお客様に接した。料理はこうあるべきだ、という話しをお客様と交わした。それしか私には出来なかったから。
お客様と私の間に微妙な空気感が広がる。会話が続かないシラケた空気感だ。
これは、ちょっと、マズいかな・・・。
おそらくお客様の声を汲み取るのではなく、私の調理感を語る一方通行だったと今では理解できる。
お客様の声を少しでも拾おうと、私のスタンスを変えた。
主な話し内容は料理やお酒の味やお店に関することが多かったのだが、勤めていると料理に対する工夫はできたが、他店に関する情報は私は極端に少なかった。
休みの日に、お客様の奨めたり褒めたりされたお店通いが始まる。
私には金のかかる子供たちが3人もいた時期だった。時間的にも金銭的にもすべてを回る余裕はなかった。
が、数少ない試食に行ったお店の話しを教えてくれたお客様に語った。
ここから急速にお客様との距離感が縮まる。
お客様は次々と新しいお店や料理の情報を私に伝えてくれた。時にそのお店に連れて行ってくれた。
私に新しい世界を、未知の世界を見せてくれた。
私のなかの知識や見識が大きく膨らんでいった。嬉しかったし、楽しかった。
喜びは知見の吸収でもあったが、お客様との垣根がなくなり、一歩進んだ関係に構築されていくのが体感できた。
この方々が結果的に「歓」というお店を作ってくださった。
三月に閉店した。21年4ヶ月。
私のなかでの喪失感は大きい。
20年以上の歳月は 私もお客様も老いた。必然的に来店頻度も少なくなったが、お店がなくなることで、お客様との会える場もなくなった。
形あるものはいつか無くなる・・・という万物の条理とわかっていても、この喪失感は大きい。
それに、今、悩まされている。
覆水盆に返らず。
もう二度と戻ってこないお店やお客様との「場」が・・・・。
「場」をなくさないで済む方法はなかったのか、今でも悔やむ。
お客様の場でもあったが、自分の居場所でもあったのだとの悔やみ。
閉店することで、その居場所を従業員からも奪ってしまった。
何でもいつかはなくなる・・・
でも、でも、もっと他の方法は・・残せる方法は・・・なかったのか。
今さらだが、社長の功罪は大きい。
毎日妻と二人だけの世界に身を置いて、この妻は私と過ごした年月をどう受け止めているのだろうか。
ふと、数年後の金婚50周年を思い、考えにふける。
2026年 6月 の投稿一覧
後ろに犯人がいるじゃないの!
今日は弟の一周忌。千歳烏山の弟の自宅であった。
法要は11時から。
10時30分ころに弟宅に着いた。
参列者は弟の子供とその孫たち。親しい友人が一人。
お坊さんを招いて近しい人たち12名ほどの小さな法要。
45分ほど丁寧なお経を唱えて貰い1時間弱の法要だった。
残された家族もそうだったろうが、 仏間に飾られた弟の遺影を見ながら
(一区切りついた・・・)
4歳下の弟の訃報は、私がお店を辞める決断の一つの要素でもあった。
法要後、出前を取っての食事会がセッティングされていた。
開け広げられていたが、二部屋に分かれての食事会。
その一つの部屋にはテレビが置いてあり、間もなく始まるサッカーワールドカップ、日本vsチュジニア戦。
弟や故郷鹿児島の話しをしながら、私も部屋越しにテレビ観戦。
私たち三人兄弟は揃って高校サッカー部所属だった。高校は進学校でスポーツが強い学校ではなかったが、三兄弟とも三年間グランドを走り回った。そして亡くなった弟はキャプテンを務めていた。それだけにサッカーを絡めて子供たちを熱心に育てた。
必然的にサッカー観戦は盛り上がる。
結果は4-0で日本が圧勝。ゴールが決まるたびに隣の部屋から歓声が上がる。
私が座るテーブルは、私を含めてほぼ高齢者グループで締めていた。
私以外は、それほどの盛り上がりを見せていない。女性が多かったのも一因だろう。
日本が点を入れるごとに女性たちは喜ぶものの、となりの歓声の大きさに首をすくめる。
「あそこまで熱くなるのが、わからない。」
と、ちょっと冷めている。
妻68歳、弟嫁(寡婦)63歳、知人女性66歳
「そうだよねぇ。」
と女性たちは同感の嵐。
さも冷静さを装う女性軍に私は
「何言ってんだよ。お前たちだってサスペンスドラマを見ながらテレビに向かって吠えてるじゃないか!」
「ほら、後ろに犯人がいるじゃない!どうして気がつかないのよ!」
テレビに向かって声をかける。
50分で必ず解決するドラマに吠えているお前たちが、サッカーに一喜一憂する男たちを批判する資格は絶対にない!
心の中で毒づく。
ナフタリン
部屋の模様替えをした。
いつの頃からだろう。妻と自宅内別居が続いている。きっと10年じゃきかない。
仲が悪いわけではない。むしろ普通の夫婦よりも仲良い自負がある。
休みが合うときなど一緒に散歩、食事、飲みに行くこと多々。妻もいそいそとついてくる。
一緒に寝ていると、寝付きが悪いときやトイレ小用などで寝床を離れるときがよくあった。私も家内もけっこう目ざとい。少しの物音や肌のふれあいで目が覚める。
相手を気遣い、いつの頃からか別部屋で寝るようになった。これがお互いにけっこう楽なのだ。疲れているときなど隣の部屋から時折妻のいびきが聞こえたりするときがある。きっと心置きなく鼾をかいているのだろう。
たまに
「一緒に寝よか?」
「腕枕する?」
などと甘い言葉をかけることがある。性の営みなどとっくにない。けど、妻を意識している言葉は時々投げかける。
でも、
「けっこう。」
「ううん。」
といつも素っ気ない返事が妻からもどってくる。妻もいつしか独り寝が楽になっているのだろう。
お店をたたみ、お店の残留物がけっこう自宅にもどった。私の部屋は倉庫状態。
荷物の中に布団を敷いて寝る。
商店会の総会があり、その準備で追われた。総会挨拶。決算書。時期実行案などなど・・・。パソコンを開く機会が多くなり、印刷物もけっこうあった。執行部や関係者と会う機会も多くなり、スケジュール管理も過密になる。
書類がまとまれば、ホッチキス・・・あれ、どこ?
クリアファイルは?
あ、プリンタインクが切れた、カートリッジは?
整理がつかない・・・・・。部屋の荷物に紛れて、必要書類などがどこに行ったのか、気がつけば部屋の中を右往左往している。
総会が終わり、一息つけたある日、妻のパートもお休み。
「おい、机が欲しい。」
机は妻の部屋に鎮座し、これまでの会社勤怠表だとか、請求書、これまで数十年分の決算書、確定申告書などが机の上に並べてある。妻用のパソコンも書類のなかで肩身を狭そうに置いてある。ただいつもは食事用テーブルの上で妻の仕事は進む。テレビドラマを見ながらの「ながら運転」
妻にとって机は必須でなかった。
一念発起。机を私の部屋に運び入れる。
夫婦二人で机を持ち上げ移動する。机は部屋と部屋をつなぐ廊下で縦になったり横になったり斜めになったり・・・。
部屋は段ボールに入ったお店の残滓物でいっぱい。段ボールを入れ替えながら机を移動する。
箱を移動するたびに空いたスペースの埃を払う。掃除機をかけ湿った布巾で埃をぬぐう繰り返し。
4時間ほどの奮闘。移動と大まかな整理は終わった。
お互いに疲れ、
「そろそろ終わろうか。」「残りは明日。」
私の部屋に机が収まった。その机上にはパソコンが鎮座する。パソコンの上にはプリンター。部屋が真新しくなった気がした。
入れ替えした際に押し入れの衣服を仕舞っていたラックも入れ替えた。そのラックからナフタリンの香りが部屋に立ちこめる。ナフタリン香が部屋の新鮮さを際立たせていた。
商店会
6月6日土曜日に商店会総会があった。
一応私が会長を仰せつかっている。
私が運営する店舗がなくなり、商店会としての拠点がなくなった。
なのに、この会の役職を続けて良いのかと迷った。
執行部会で問い、かつ目当ての相手に会長職を打診した。
新宿に愛着を持っている若手だ。粘って交渉したが、結果は固辞された。
商店会の通帳を預かり、ハンコを預かりと、気は重い。
まるっきりのボランティアなのに責任は重く感じさせられている。
区の産業振興課にたずねた。結果は出ない。
総会でテーマになるはずの商店会主催「音楽フェスティバル」の試案について、別な執行部の若手を連れて企画会社と話し合いの場を持った。この別な若手は商店会区内にあるホテルの支配人。このホテル(会社)には若手、それもけっこう優秀な人材を抱えている。
支社がいくつもある企業だ。なので、商店会役員は厳しいと私は踏んでいた。転勤でこの地域を離れたり、会社そのものが、社員が自社以外の勤務につくことを賛成してくれるとは考えられなかったからだ。
音フェスに代わるイベントなどを企画会社とともに話し合った。
そのなかで商店会後継者の話しになった。
「オレ、興味があります。この地域をどう関わっていけば良いのか、私がどういう役割を演じられるのか・・・。」
「だから、許せば会長もやってみたいです。」
驚き!
瓢箪から駒が出た!
今期の役員改正プランがすぐに出来上がった。
今期までは私が会長だ。で、一回口説こうとした飲食店の若手と、このホテル支配人を副会長に据えた。
総会が始まる。
会場正面のテーブルに、私、副会長二人、会計の4人を並べて座らせた。
決算報告などを終わらせ、役員改正の報告になった。
今年取り組みたい事業案を示し、それらを実行してくれる副会長二人をみなに紹介した。
拍手で総会が終わった。
総会後の懇親会で、あらためて皆に後継者を紹介した。
来賓は新宿区長、東京医科大学理事長、衆院議員、都議、区議会議長などそうそうたるメンバーが揃う。その前で紹介し、副会長本人たちの自負を語って貰った。
私が会長を務めて12年ほどになる。着任前16名ほどだった会員数は50数名まで増やした。何より平均年齢を下げた。若手会員を増やしたのだ。区に90ある商店会の中で、この商店会だけが会員数を増やし、若手を増やした。大きなイベントも毎年敢行できた。
私の役目は後一年で終わりを告げる。
老いた私よりも躍動ある新宿の商店会を担ってくれることだろう。
肩の荷が軽くなってきた・・・。
ありがとう。
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