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もう二度と会えなくなる前に

私も年を取ったんだろうね。(実際に老人だけど・・・)
女性が男性にあてた文章らしいが、胸キュンとしたので、ここで掲載する。
こんなフレーズに感じ入る歳になった。
遺書のつもりで、答えも考えておこうか。


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もう二度と会えなくなる前に

1、私と初めて出会った日、
あの日の私を見たとき、
どんな気持ちだった?

2、一緒に過ごした中で、
私のどんなところがいちばん好きだった?

3、一緒に重ねてきた
たくさんの思い出の中で
いちばん心に残っているのはどれ?

4、私と過ごした時間はしあわせだった?

5、もし、いつか、あなたがいなくなって
泣いている私を見たら、どんな言葉をかける?

6、私がこれからしあわせに生きていくために
これだけは忘れないで、ということは何?

7、最後に一つ
私に会えて良かった?

こんなこと、今はまだ聞かなくてもいいと思うかも知れない。
少し照れくさいし、急にどうしたのって、笑われるかも知れない。

でも大切な人との時間には、いつか必ず終わりが来る。
だからもし、大切な人がまだそばにいるのなら、いつか聞こう、じゃなくて
今日、今、聞いてみて欲しい。

その答えはきっと、大切な人と会えなくなった後も、これからを一生支える言葉になるから。

寝落ち

商店会一大イベント「音楽フェスティバル」が近づいてきた。
10月25日(日曜日)開催だ。
そのための準備を7月より始めている。残り2ヶ月を切り準備も多忙を極める。
そのなかの一つに各種申請がある。
新宿区への「道路占有許可」「確約書」「道路占有料免除」
新宿警察、四谷警察への「道路使用許可」及び「パトカー白バイ派遣要望書」
新宿消防署への「道路規制申請」
消防団への「演習依頼書」
保健所への主催者としての「催事届け」、各店舗の「催事出店届」
提出先によっては、コピーが2部必要だ。
たった1日のイベントでも煩雑な手続きが多数必要になる。
その一つ、新宿警察署への「道路使用許可」を、本日提出に行った。
道路使用許可と言っても、イベント開催以外でも、道路工事や増改築などの建築など許可を必要とする方はたくさんいる。
その窓口はいつも混雑し、待たされること30分から1時間程度は普通にある。

商店会として道路使用許可を貰うのに毎年都会議員を連れ添って行く。警察署の扱い方がまるで違う。まず待たずに済む。窓口には並ばず、交通課の一番奥にある課長席にまで通される。
忖度省庁と言われる由縁かと。(ナイショ)
以下は、本日のその一部始終。

今日は、13時に新宿警察署に都議さんと道路使用許可申請を行く日だった。
なんと寝坊!
自宅からバイクで行く(10分程度)ために、12時30分に目覚ましをかけていたにもかかわらず、その音に気づかないほど寝落ち。起きたのが12時54分。
すぐに都議さんに電話するも応答なし。ショートメールで
「10分遅れます。」

昨夜に準備をすませ書類を詰め込んでいた鞄をかかえ、6階自宅から階下へ。
バイクをキック始動。

署に着くと待ち構えていた都議さん
「このあと13時15分に別件があるため、ご紹介だけして帰ります。」
とのこと。
私はひたすら平身低頭。

紹介が終え、都議さんが帰った後、私一人で一通りの手続きが終わる。
別会計窓口で手数料2100円を支払い・・・
(あれ、財布にお金がない!)
・・・・・
今度は小雨の中、警察署近くのコンビニに駆け込みATM。
お金を下ろしている最中に署から電話があり
「どこに行かれましたか?」
「はい、お金を下ろしに・・・」

まことにお粗末な一日になる。
原因の発端「寝落ち」
歳のせいかな?

新しいお店のこと

隠れ家 歓fun
まだ「五里霧中」、「試行錯誤」という表現がフィットする。
お店のことを少しずつ語りたいと思う。

お店の雰囲気はとても良い。
新宿5丁目6丁目界隈にカラオケができるお店は他にない。
カラオケ需要も見込めるお店だ。

ホテルのお客様が集う場として作り込まれたパーティ会場とBAR。
ともに地階にあるし、同じインテリアデザイナーが作ったと思われるが、客層はまるで違う。
パーティ会場の方は宿泊客(外人)が主だ。いっぽうこのBARは日本人が主体になる。私のお客様が多いせいだろう。飛び交う言語も違う。隣接する店舗なのにここまで違うのも面白く感じる。

当初、BARという設定で、私はフードに重きは置かなかった。ドリンク主体、それも居酒屋風スナック程度に生ビール、ハイボールなどで十分と考えていた。

1週間、十日と、お客様を迎えるに当たって、お客様のお店に対する感じ方が違うと覚える。何が違うのかまではわからない。
その違いを考えよう、感じようとした。
結論はいまだに出ていないまま、フードに力を入れだした。
が、設備はお粗末だ。火器類、収容力、収容量、作業スペースもかなり制限される。おまけにワンオペという人的能力にも制限がある。

当初はIHを使った焼き餃子、ピータン、青ザーサイ、ピータン豆腐くらいしかなかった。
いまだに揚げ物、蒸し物はできないが、麻婆豆腐、棒棒鶏、雲白肉、レンチン物にチリソース、はては市販の揚げ焼きソバを使った「あんかけ焼きソバ」・・・。
おつまみになる「杏仁豆腐」も考案した。

課題
基本一つの料理を取り分けしていない。
同じ種類の皿が揃ってない。だから4名以上のグループが来店されると、料理の出し方にとても困ってしまう。
皿を揃えれば、と言われそうだが、その皿を常時置く場所がカウンターにない。
これから常連客が増えてきたときにはどうしましょうかね?


ま、ある意味、特徴のあるBARに成長しているかも、ね。


IHクッキングヒーター

私=中華というイメージがつきまとっているらしく。
ま、20歳から中華の世界に入り、ほぼ50年間やり通しているから、そう思われても仕方ないと思うけど。

新しいお店のことを少し話したいと思います。
地下にある、基本BARです。
カウンター9席。ボックス席が6名、6名、2名。総席数23席。
カラオケ設備があり、モニター数は5個。
ガスが使えません。従って換気扇がありません。
隣接するパーティ会場があります。ここは50名収容できる大きな会場です。
上階はインバウンド向けホテル。通常はパーティ会場は外人客で賑わいます。時折DJを呼んで大賑わい状態になります。
ここはガスコンロやフライヤー、スチームコンベクションが充実しています。洋食系の厨房ですが、大抵の料理は作れます。
比して、このBARは静かです。ドアを閉めれば密室状態になり、パーティ会場の重低音の音漏れはしてきますが、ほぼ気になりません。
落ち着きます。イスもゆったり座れる大きさです。雰囲気は悪くありません。

冒頭の文句に移ります。
BARは火力がありません。自前で買いそろえました。電子レンジ、IHクッキングヒーター、電気ポットを設置しました。

当初は、おつまみは、乾き物かお新香ですませるつもりでした。
カウンター内は小容量の冷凍庫、冷蔵庫などがあります。しかしパーティ会場用の食材やビールなどの飲料で満杯でした。
私がこのBARを請け負うようになって1週間ほどしてようやく部分的に空けて貰いました。
そのころになって、まだ数名しかやってこないお客様に提供するおつまみが乾き物やお新香では不十分と感じてきます。
私のイメージが中華なのです。
「ねぇ、麻婆豆腐が食べたい。」
「チマキはできるの?」
「炒飯、美味しかったじゃない。」
「シナモンで和えたカシューナッツは?」
はては酢豚、青椒肉絲やホイコーロー・・・。

次第に追い込まれてきます。
一応IHで餃子は焼いていました。ちゃんとした餃子鍋を買って。
5切れ、6切れは普通に焼けてました。でもね、鍋いっぱいに餃子を並べると、IHの悲しさか、焼きムラが出てきます。均等に火が通せません。ガスと違って鍋を回しても均一に焼けません。
餃子ですらこのありさま。他の料理は・・・・・。

でもね、お客様の声には抗えません。
開店間もなくもあり、お盆時期であり、猛暑が続いていることもあり、まだまだお店はヒマな日が続いています。

まず麻婆豆腐から挑戦しました。
1、挽肉を買ってきました。以前はかなりの粗挽きを使ってましたが、入手できる挽肉は普通の挽肉。お店の需要を考えると200gとか300gしか購入できません。2kg、3kgとか購入するのであれば肉屋にわがままを言えるのですが、無理。
2、麻婆用の味噌の材料を揃えます。以前は豆板醤と麻辣醤にニンニク、生姜、豆鼓(トーチ)、醤油などをくわえて合わせミソを作っていました。
大久保にある中華材料も置いてある業務スーパーに行きました。麻辣醤がどこを探してもない。ラベルを調べて似ているものを購入。
3、ラー油は市販のもの。生姜、ニンニクは本来みじんに切ったものを使うのですが、これもチューブで妥協。
4、木綿豆腐を買い、賽の目にカット。いったん煮詰めます。豆腐の水分を出すのと型ずれ防止のためです。これをしないと仕上がりが大味になり、豆腐くずの多い麻婆になります。
5、肉を炒めて麻婆用合わせミソを作ります。以前作っていた3kg用を300gの肉に合わせた分量を。メンドクサ!
300g肉でも、数回分はストックできるため、ここは何回も味を調整します。

我が儘の効く、前回麻婆の要望があったお客様がきました。
何も言われないでもおつまみで麻婆豆腐を作ります。
言い分けを前もって伝えました。
「現状でできる精一杯の麻婆豆腐です。」

「美味しいぃ!」
よしっ!

今度、IHで作る料理教室をやろ、っと。

ジパング

毎週土曜日、産経新聞の「週刊誌うおっちぃんぐ」というコラムを好んで読んでいる。今週は

★☆ ★☆★☆
今年も8月15日がめぐってきた。この日を意識した特集では『週刊文春』(8.13/8.20夏の特大号)、昨夏もやった「戦争の記憶を紡ぐ 時代の証言 百寿者が見た戦争」。
当時、戦争に巻き込まれた若者たちも、今や100歳前後。〝史上最悪の作戦〟と言われたインパール作戦に参加した佐藤哲雄さん(106)の証言。
<撤退の道中、ハゲタカがね、羽を広げて体当たりしてくるんだよ。狙われたのは、負傷や飢え、マラリアなどの病気でフラフラになっている兵士。倒れたら最後、二羽三羽とのしかかられて、顔とか肌が出ている部分から長いクチバシでつつかれ、食われていく。
ヒョウも、衰弱した兵を襲おうと木の上から機会を窺(うかが)っている(中略)だけどバタバタと倒れた兵は、ハゲタカや猛獣に貪(むさぼ)り食われ、わずか数日で白骨になった>
もう一人。陸軍の高射砲兵だった松坂亀一(かめいち)さん(101)。8月6日。あの日、国鉄広島駅にいた松坂さんは、駅に近い救護所で運び込まれる人々の応対をした。
<忘れられないのが、小さい男の子を連れた、焼けた着物姿の母親です。「助けてください」じゃなく「兵隊さん、もう殺してください」言うて、私にすがりよるんです。体の半分が焼けとって、「もう始末つけてください」と。いま思い出しても辛いです>
読んでいても涙が止まらない。
5人の証言が5ページ。10人、10ページくらいとってもよかったのでは。

終戦記念特集はYouTubeでも。
アニメ「ジパング」26話が期間限定公開されている。講談社の「モーニング」かなんかで掲載されていたアニメだったと記憶している。立ち読みだったか単行本だったか忘れたが、紙媒体で1、2話程度読んだ覚えがある。かわぐちかいじの緻密な画と細かな兵器データに驚かされ、アニメというより読み物として引き込まれた。
YouTubeで流れている画面に「協力・防衛庁」とあるのもうなずける。

イージス艦がタイムスリップして太平洋戦争のまっただ中に置かれるというSFものだ。当時にない能力を保持した戦艦が、その能力ゆえ、戦争という非日常に突然置かれたときの、過去人、未来人に限らず、人々の葛藤が細かい描写で描かれている。

痛みを伴わないSFアニメだけに賛否はあるだろうが、「戦争」を考えさせる一つのきっかけになるかと思う。


湯船の中で

風呂につかる。
ここ1ヶ月ほど身体に違和感を覚える。
月一の健康診断では異常はない。強いて上げれば、以前主治医から言われた
「肺に影があります。カビなのかガンなのか今のところわかりません。大きな専門病院で看て貰ってください。」
くらいだ。が、診察は受けてない。ヘタに病名がわかり入院など言われもしたら困った。診察日が3月4月の閉店整理さなかであったからだ。
以後そのままになっている。
違和感は覚えるものの、身体に痛みや不都合の自覚はない。

新しい仕事を始めているが、以前と比べると負担は格段に少ない。採算はともかくも、マイペースで仕事をこなしている。
営業許可申請が遅れていたせいもあり、目立った宣伝もしていない。が、お客様の反応を見ていると、時間がかかってもいずれお客様は定着するだろうとの手応えはある。
年齢的にも身体的にも、ここはノンビリ、確実にやっていこうと腹は決めている。

風呂につかる。
身体に違和感を覚える。
仕事は格段い楽になっている。
だのに 病気なのか老化の一部なのかは不明だが、今まで感じたことのない疲労感と覇気の衰えを感じる。

4歳下の弟の、昨年の訃報をよく思いだす。67歳だった。
俺だって、もういつ亡くなってもおかしくない歳なんだと、自分に言い聞かせる。
72歳という歳で始めた新しい仕事を、ホントに始めて良かったんだろうか、と、浴槽につかりながら問い直す。

私が20歳の時、鹿児島で日本蕎麦屋を営んでいた親父から、
「これから中華の世界がやってくると思う。お前、中華料理を覚えてみないか。」
と言われた。親父としてはいずれ私を跡継ぎにという思いがあったのだろう。
私も諸事情で大学進学をあきらめた時期だった。2年続けた大学浪人生活に終止符を打ち、新橋に会った中華の老舗「新橋亭」の門をくぐった。以来50年「中華料理」というレールの上を走った。職人(調理人)であり、営業職(店長)であり、経営者という分岐点はあったが、中華料理というレール上を50年ほど走り続けた。

私のなかでは面白い人生を歩かせて貰った。職人時代も、営業職時代も、経営者時代も、自分で考えたことをほぼ実行できた。だから悔いがない。
失敗すらも楽しかった。

風呂につかる。
浴槽の中で過去の思いにふける。
思いにふけるという自体が、自分自身を過去に追いやっている。

風呂につかる。
身体に違和感を覚える。

まだ生きてて良いのかな、
まだ生きてる意味があるのかな、
まだ生きてる価値があるのかな、

上手に言えないが、そういう違和感を覚えている。


山の日

祝日「山の日」
お盆休みと連なる夏の大型連休。
妻も明日から5日ほどの予定で実家の山形へ帰る。
実家は山形県東置賜郡川西町にある。
地図上では朝日連峰と飯豊連峰の狭間にある小さな町だ。

趣味が登山と公言していた40歳~50歳ころは、いずれ妻の実家で余生を送るつもりだった。妻の実家にてこの連山を歩いて回るのが引退後の夢だった。標高は2,000m前後と、少し無理をすれば日帰り登山も難しくはない。

夏山は、1ヶ月前から山地図をにらみながら計画を練った。富士山だったり、丹沢だったり、尾瀬だったり。近いところでは大山や奥多摩、高尾山。
その中でも一番好きな山が、木曽の御嶽山だ。
山道のところどころに置いてある石仏が、私を誘う。3000mちょいの標高で、お天気の変わりやすい山だった。十年ほど前の噴火がなければ、まだまだ行けてた山だった。

明日から妻がいなくなる。ホントはこういうチャンスで山を計画したかった。が、今は足に3000m級の山を目指す自信がない。年齢と、この数ヶ月間の休業状態が足腰をかなり弱らせた。
せめて自転車をと思ったが、200kmほどを走破する肝心の自転車が今はない。

早くこの店を軌道に乗せて、身体をいじめたい。
この小さな冒険に思いを馳せるだけで、ときめく何かが身体のどこかにまだ宿っている。








新店舗オープン

お盆を伴う夏休みは先週から始まってるところが多いかと思う。
明日は祝日の「山の日」。そしてお盆。

「隠れ家 歓fun」の営業許可証が本日発行された。新宿保健所まで取りに行った。知人を招いての模擬営業は始めていたが、やっと公に営業を知らせることができる。
BARだ。カラオケができる。
新宿区新宿5-3-15 UNPLAN新宿 B1
医大通り沿いの地階へ降りる階段を使ってください。
地階のドアを開けすぐ右の分厚いドアが「隠れ家 歓」です。
日曜、定休日 営業時間17時~23時

私が会長を務める商店会の会員が営むインバウンド向けホテルの地下一階。
そのためもあって家賃はとても好意的な価格にしていただいた。
ただ現状の設備はほぼいじることができない。ポジティブに捉えれば設備投資がゼロ。
私の72歳という年齢を鑑みれば、長くて4~5年の営業かと思える。初期投資がほぼかからない。ありがたい。
地階のお店は、50名ほど収容のパーティ会場と、私が請け負う20名ほど収容のBARに別れている。インバウンド向けのホテルだけにパーティ会場の方はほぼ外人。連日大いに賑わう。
一方のBARは、従業員が休憩で使うくらい閑散としている。お店の雰囲気が少し高級そうなのも一因かと思える。ほぼ一ヶ月の模擬営業で、BARの客層はほぼ日本人。それも平均年齢は60歳超え。
よく言えば、落ち着いた大人のBARなのだ。

昨日8日、一昨日9日とけっこうな数のお客様が来店された。
連休前のせいだろうか。追われた。
追われた割りには売上は思うほど上がらなかったが、この賑わいはホッとする。
こんな感じで推移してくれたら良いな、と思う。
どんな飲食店も同じだろうが、お客様から元気をいただく。多ければ多いほど元気をたくさん貰う。
この元気が必要な歳になった。

お盆をはさむ連休、お待ちしています。
帰省ラッシュを他所に、ゆっくり飲みましょう。
都心の静けさを、ゆっくりお話ししましょう。








靱帯損傷

朝7時30分
妻がいつものパートに出かける。
私の部屋のドアを半分開け、
「行ってくるね。」
半分寝床で
「おお、稼いでこいよ!」
自分の夕方からの仕事に、少し後ろめたい思いを感じながら送り出す。
パート先は4~500メートル先にあるスーパーマーケット「マルエツ」
仕事内容はレジや商品の並べ替え。

1時間もしないうちに携帯が鳴る。発信者は妻の名前だ。
(忘れ物か?)
取ったスマホから
「足が動かなくなったの!」
????
「後退の人を頼んだから、その人が来たら、帰る。」
「歩けないの。迎えに来てくれる。」
半分泣きそうな声がスマホの向こうから聞こえてくる。
いつもは簡単に弱音を吐く妻じゃない。それがこの声。
「すぐ行く。救急車は呼ばなくて良いか?」
「そこ(救急車)まではいらない。でも一人では歩けそうもないの。」

バイクで駆けつけた。一人乗りの小型だから妻を乗せられないが、一番早く駆けつけられる方法だ。

妻がいつも立つレジ周りにいない。近くにいた女性に名前を告げ妻の行方を聞いた。
主任と呼ばれる男性がすぐに来た。私をいざない店舗のバックヤード奥の更衣室に連れて行かれる。
存外元気そうだったが、不安と痛みが混ざり合った顔がある。それでも私の顔を見て少し安心した顔に代わる。
脇下に腕を入れ妻を支える。しばらく歩いただけで脇下の汗を感じてきた。無理な力が働いているのだろう。
8時半。
タクシーを探すが、ほぼみんな「予約」の札がフロントウインドーに見える。
15分ほど捜してあきらめる。
ふたたび妻の脇を抱えて帰路につく。500mほどの距離が長い。

「オレより5歳若いんだぞ。」
「もう一度、お前と山に行くんだぞ。」
「尾瀬を歩くぞ。」
励ましてるつもりのセリフが続く。

相生(あいおい)なのか、相老(あいおい)なのか
と、お互いの歳月を確かめている二人がいた。





高齢者講習

免許更新半年前に行う高齢者講習の受講に行った。
講習は武蔵境にある自動車教習所。ヒマを持て余していた妻同伴でなかよく行った。

教習所だけあって免許取得目的の若者で溢れていた。そのなかであきらかに”老”が匂う私たち夫婦姿は、自分たちですら違和感を覚えた。
講習会場は三階。受講者は私を含めて三名。女性1名、男性2名。
男性はけっこう老けていたが、女性はまだ50代後半ほどに見える。受講するくらいだから70歳は過ぎているのだろうが・・・。

一通りの講習と目の検査(動体視力、暗い所の視力)が終わると、今度は実車試験。試験場のコースはさほど大きくない。そこへ10mほどの間隔で右左折のコースが組み込まれている。
1番手は女性。私は最後に回された。
女性の運転、正直怖かった。よくノッキングする。降車後
「初めてで、乗り慣れなくて・・・」
などと言い分けしていたが、親族も一緒に乗りたがらないのではと心配になる。
高齢者講習の実車試験のメインは「段差乗り上げ」
10センチほどのコンクリート盛り土があり、そこをゆっくり乗り上げ、その後にブレーキを踏む試験。アクセルの踏み具合と、アクセル、ブレーキに踏み違いをはかる試験だ。ここでも無用にアクセルを踏む。空ぶかしのエンジン音が車内に響く。
(免許返納すれば良いのに・・・・)
心の声を口に出したくなる。
次の初老(私もだが)の男性はここまでひどくはなかったが、縁石乗り上げが2回。高齢者でなくとも試験中止案件だ。試験官が我慢していたのは、こういう方は案外多いのかな?と想像させた。

私の番になる。
自分で言うのも何だが、三人の中では一番安定の運転。
昔、バイトでタクシーに乗っていたことも功を奏したのかも知れない。
一度も注意を受けることなく、段差乗り上げも無難。試験官は「次、右」「そこを左。」とコースを指示するのみ。

自慢風に書き込んだが、でも、でも、こうやって、講習受けて、”老い”を悟らせてくれるんだろうな、と思う。
お店の閉鎖の時も感じたが、
「なんでもいつかは終わりが来るんだよね。」
ということを教えてもらっている。