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麺つゆ

 背中がずーっと張っていた。
ほぼ一人厨房で立っていたせいだ。
特に3月終盤は、今思い出してもすごかった。
鍋を持つ左手の親指の付け根は痛みが常駐していた。
鍋のなかの油を油壺に移す際に鍋はほぼ垂直になるが、左親指に力が伝わらず持ち手から落ちそうになることも度々。
ごまかしごまかし左腕を使っていた。かばっているせいもあるのだろう、左肩から背中にかけての痛みもすごかった。

店舗の明け渡しや、会社廃業の残務作業が日を追うごとに少なくなってきた。
当然のように時間も余裕が少しずつ出てきた。
一月に一度くらい通っていた鍼灸へ久しぶりに予約を入れた。場所は世田谷区経堂。
お天気日よりも良く、妻のパートもお休みだったために妻を誘った。
厨房仕事がなくなり、身体がなまっているのが自分でもわかる。運動不足だ。
力仕事がなくなり、身体は格段に楽になっているのだが、比例するように筋肉が落ちていくのを感じる。

「行けるところまで歩いて行こうか。」
と妻を誘う。
自宅のある新宿から、取りあえず小田急線に沿って歩くことにした。
あいかわらず新宿は人が多い。変な比較だが、田舎のお祭りよりも人出は多い。田舎のお祭りが毎日二つ三つ重なっているのが新宿・・・
やっぱり比喩がおかしい・・・。
新宿のどこを歩いても、人と人の間を縫うよう・・ではなく人垣と人垣の間を縫うように歩く。新宿に住み新宿で働いていても、この人の多さには圧倒されるし、「元気」負けをする。老いたせいでもある。

喉が渇いた。
飲料の自販機を探した。
すぐに見つかったのだが、歩くのに手荷物を増やしたくないなぁ、と思い直し、妻に聞いた。
「お茶、持ってきてる?」
何事も節約する妻は、普段から途中での買い物も最低限に抑えようとしていた。
案の定、
「持ってきてるよ。」
と大きめの手提げ袋を探す。袋の中から自宅で作ったであろうお茶のペットボトルをだす。
色が濃い。
煮出したのかな・・・
差し出したペットボトルからお茶をゴクッと飲む。
ビューッ
思わず吐き出した。
「おい、これ、麺つゆじゃないか!」
「えっ、うそ!」
「飲んでみろ!」
「そんなことないよ。」
と変な自信を妻はみせているくせに、妻はその「麺つゆ」を飲もうとはしない。
ペットボトルの匂いを嗅いだり、ツユ独特の色合いを確かめているが、やはり口に運ばない。
「飲んで確かめろ!」
「だって塩っぱいのを飲んだら、喉が渇くじゃない。」
「麺ツユでなくてお茶を持ってきた自信があるんだろう。だったら飲め。」
こういうことになったら妻は頑固になる。
(こいつ・・オレにだけ塩っぱいの味合わせて、知らん顔しようとしてる)

腹立ちとともに麺ツユの塩っぱさで余計に喉が渇いてきた・




墓参り

 身延山に行ってきた。
身延山に妙石房というお寺にあるお墓に、今回の閉店を報告に行ってきた。
新宿で歓をオープンする前の勤務先「胡座楼」の上司だった方のお墓だ。
この会社に勤務していたときも、歓がオープンしてからも影になり日向になり私を支えてくれた方だ。実父以上に私を支えてくれたかもしれない。

新橋に日本初の糖質制限中華というコンセプトのお店をオープンさせた。
糖質を制限すれば、血糖値が下がり、結果血管を守り、健やかな日常を過ごせる。糖質(麺、バン、ご飯)を控え、その代わりにタンパク質である肉、魚はお腹いっぱい食べる。アルコールもウイスキー、ブランデー、焼酎などの蒸留酒はOK。ワインも比較的糖質は低い。
お腹いっぱい食べて、お腹いっぱいお酒を飲んで、それでも健康を維持する、そういうコンセプトのお店だった。
今では一般的になったが、「糖質制限」という言葉すらなかった時代だった。
週一で、新聞、雑誌、テレビなどで取り上げられる評判のお店になった。
が、評判とは逆にお店の運営は火の車だった。
”制限”というフレーズが、新橋のサラリーマンには響かなかった。
毎月50~100万円近くの赤字を計上していた。
金策に走った。営業にも走った。それでも状況は改善できず、店舗の廃業を考えた。その時に真っ先に相談したのがこの上司だった。
相談というより廃業の報告をしに伺ったというのが実情に近かった。

当時私は板橋に住居を構えていた。最寄り駅は千川だった。そこから自宅に帰り着くのに歩いて10分ほどかかっていた。
妻と一緒に帰っていたのだが、よほど深刻に悩んでいたのだろう。妻から
「ねえ、下ばっかり見て歩かないでよ。下見てたってお金なんか落ちてないんだから。あんたが下を見てると社員も下を見るよ。苦しくたって上を、前を見て歩いて。」
あ、おれ、下向いてた?しょぼくれてた?
当時の私はそのくらい追い詰められていた。

表情そのままに元上司に辞める相談(報告)をしに行った。
上司は私の顔を見るなり
「おい、苦しいか?もっと苦しめ!」
(はあ?この人何を言ってるんだ。オレはまだ何も話してないぞ。)
「おい、お前が選んだ道(日本初の糖質制限中華料理)は正しい道なんだ。」
「正しい道はどんなに苦しくたって、貫き通せ!」

飲食の世界に私は身を置き、「美味しい」とか「儲かる」とかいう価値感は持っていた。しかし「正しい」という価値感は当時持っていなかった。

そうなの・・・オレが選んだ道ってのは、そういうことなの・・・
でも、お金はどうするの・・・・
今月の社員への給料は?
業者への支払いは?
そういう私に100万円、ポンと出してくれた。
(いや、こんなの貰っても、ひと月で消えるし、根本的な解決は何もないし・・・・)
逃げ場のないところへ追い込まれて、私はただただ絶望的になっていた。


私を見守ってくれる妻がいた。
50過ぎの私に「生きる」という根本的なことを教えてくれる人がいた。
ついてきてくれる部下がいた。
振り返る余裕が私のなかに出来たときに、
こういう人たちに恵まれた人生にただただ感謝だった。

身延山にある元上司のお墓に廃業の報告をした。
もっと嬉しい報告だったら良かったのだろうが、
「やるだけのことはやりました。結果はこうなりましたが、向こうに行ったときにあらためてお話し聞いてください。」
最後の甘えを報告した。




廃業から15日記念日

 体重計に乗る。
72㎏台になった。
廃業前が75㎏前後だったから3㎏ほど減ったことになる。
まだ廃業に伴う諸手続きは続いている。
思いのほかやることがある。
今日も銀行口座の解約を2件やってきた。
一つの行保険銀行は、会社の登録が移転前の新宿3丁目になっていた。
銀行から注意を受け、現在の「履歴事項全部証明書」を北新宿にある法務局まで取りに行った。
再び銀行に戻って手続きを済ませる。

他にも従業員の労災(失業保険)の手続きなどもある。
商店会や町会の役員も兼ねているため、5月の町会の主体の例大祭や、6月上旬に開催予定の商店会総会の準備など、ちょこまかと動くことは多い。

それでも店舗を営んでいるころよりも身体はずいぶんと楽になった。
店舗がないために作業はいきおい自宅で行うことが多い。
家内はそれが目障りらしい。
チクチクと愚痴のような嫌味をのたまう。
「亭主元気で留守がいい」ということなのだろう。
仕事がないために当然収入も途絶える。
目下おもな収入は年金だけとなる。
これも嫌味を増加させる一因なのだろう。
若くてかわいいツバメだったら可愛げがあるのだろうが、72歳のツバメは成立しない。妻は、「ツバメ」でなく「ヒモ」と表現したいのかも知れない。
明日は家内のパートもお休みで、一日じゅう家で角突き合わせることとなる。
ツバメらしく小さくなっているか、ヒモのように自室でグルグルととぐろを巻く事にしようかね。




身内

 4月9日午後1時。
管理会社と大家がお店にやってきた。
最後のお店の明け渡しだ。
店内のガラーンとなった跡を点検する。
ガス、電気、電話は止めた。
水道は隣と共同で使っていたために、水道局には連絡したが、水道元栓はそのまま。
殺伐と、そして思いのほか広く感じる店内は、もうお店を営業していたころを思い出せそうにない。

終わったな・・・・

10分ほどの立ち会いが終わった後、お店を後にした。
疲れるようなことしてないのに、睡魔が襲う。
眠りでもしないと、名残と決別と、そして他の入り交じった今の思いを吹っ切れ、他の思いや考えを入れこむすき間が心にないのだ。

夕方、スタッフからの申し入れで、これまで歓で勤務してことのあるスタッフを集めてのお別れ会をおこなった。
現従業員以外にも、
14年間勤め上げた調理長も参加した。
中卒15歳で勤務していた者もきた。
週3日ランチを手伝ってくれた歌舞伎町のホステスも来た。
湿っぽいお別れ会になるかもと思ったが、思い出話しが先行する。
気持ちが少し重たくなっていた私にとってホッとする。

でも、よく長い間お店を支えてくれた。
ありがとう。
それぞれに年を取って、もう一回同じ職場で仕事をすることはないだろうけど、お前さんたちを仕事が出来て良かった。感謝だ。
ありがとう。








ひげ

4月5日。
実質的な閉店(4月2日)してから3日たつ。
ひげは1日に剃った。
もともと身なりにあまりこだわらない性格のせいか、無精することは多い。
今日は人と待ち合わせがあったのだが、髭剃りのないそのままで出かけた。
家内も一緒だった。
私の顔をまじまじと見ながら、
「ねえ、少しは鏡を見ている?」
「みっともない顔してるよ。」

店の後片付けが始まっているのだが、どうにもこうにも力が出ない。
熱などはない。いたって健康なのだが、身体がだるくて、何かをしようという気が起こらないのだ。
ときどき思い出したように、チョコチョコと片付けらしいものをするのだが、すぐに椅子に腰かける。
せわしく動くスタッフを見ながら、申し訳ないと思いながら、身体は動かない。

自分なりに自己の気持ちと向き合うのだが、・・・・。
自分のことをけっして弱いメンタルだとは思ってない。
気持ちの切り替えも早いほうだと思っている。
なのに・・・・。

山川草木転(うたた)荒涼
客席に広がった什器備品の山々に立ち尽くす自分がいた。

自宅に帰る。自分の部屋も居間も店から持ち帰った備品で埋まる。
寝床のスペースだけ確保して、風呂につかる。
5日ぶりに髭を剃る。
うん、少しまともな顔になった。
明日は少し元気が戻ってくるかな。



新興勢力

店舗備品の整理が始まった。
掃除を兼ねているのだが、まずはいろいろなところへ置いてある食器類グラス類調理用品他いろいろな備品を棚や引き出しの奥から取り出すことから始めた。

私は閉店にともなう業者への連絡や書類の整理を始める。始めるそばで客席のテーブルの上に、食器類がどんどん積み重なる。よくもまあこんなにも、とその多さに驚嘆する。
15時ほどになるとテーブルの上に並べられた什器備品の整理がままならぬようになってきている。整理をしている従業員からの、(どうにかしてよ。)という視線が私に集まるようになる。
言われるまでもなく、LINEで商店会の飲食店向けのインフォメーションを始めた。
◆◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◆
 飲食店関係者にお知らせ
歓ファンで使っていた、お皿、グラス、調理用品(バット、ボール他)など出てきています。
欲しい方がありましたら見に来てください。
他、フードプロセッサー、HI調理器、プリンター用紙、
早い者勝ちだよ。
 ◆◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇
開店前の準備にかかっている時間なのに、商店会員の数名がすぐに集まってきた。
その中の一人、この界隈で数店舗を営んでいる一人が、
「これもください。あれもください。」
と、ショベルカーでかき集めるように運び出す。そのグループの各店の従業員を集めて持って行かせる。聞けば「倉庫」なる部屋を新宿二丁目に借りているそうだ。
私はと言えば、とっくに覚悟を決めていたのに、もう(閉店を延ばす、撤回するような)後戻りできないんだと、心臓が締め付けられる思いをあらためて噛みしめる。いっぽう什器備品をかき集めている40代半ばの若き社長には、漲る精力、精悍さが溢れている。
まだ4~5年は仕事はできる、続けられると思ってる私なのだが、この勢いはない。なくなった。これを痛感させられる。

閉店に伴う諸事が終われば、店舗規模を縮小しての再開はねらっているだが、この精力精悍さは少し分けて欲しいなあ・・・。











お別れ会

厳密な限定はしなかったが、4月1日は町会関係者で、2日は商店会関係者に集まって貰って「お別れ会」を開催した。
会費はほぼドリンク代(2,000円)だけをいただいて、食事は無料。
料理30種類は出しただろうか、残っていた食材をほぼ出し終えた。
棒棒鶏、
焼き豚、
くらげ、
アワビと肝ソース
蒸し鶏のリンゴ和え
青椒肉絲、
酢豚、
アワビの醤油煮
麻婆豆腐、
レバニラ炒め、
茄子と挽肉のミソ炒め、
春巻き、
唐揚げ、
チーズボール、
ソフトシェルクラブの金沙粉和え
焼きソバ、炒飯、
焼き餃子、
シューマイ、
小籠包他饅頭5種類くらい
他にも多々

両日とも座れきれないほどの盛況さになった。
自分で言うのもなんだが、こんなにもこのお店に親しんでいただいていたんだと万感の思いを抱く。
両日とも残っていただいたお客様と二次会まで流れ込む。
握手やハグを取り交わし、それぞれのカメラで写真をとりあった。
ただただありがたい。うれしい。
けど、ひとときを楽しみながら、心のどこかに寂しさも少しずつ感じ始めていた。
貰い泣きをしたことは何度もあるが、自分が悲しくて泣いたこと、最近では記憶にない・・・・・けど、今回は泣きそうだなぁ・・。
みんなと離れることで自分のエネルギーがどんどん少なくなってくる。
逆に、これまでみんなからたくさんのエネルギーを貰っていたんだなあとつくづく感じる。


ランチタイム

昨日で営業が終えた。感無量。
営業終了前の2週間ほどは連日満席状況が続いた。
ランチも連日混み合う。通常40名様を超えると、ランチに添えるスープが亡くなったり、ご飯の残量を気にする数量だ。
それが70名様を超えてきた。閉店だけのせいか?
厨房は、あれがなくなり、これがなくなりと、代用品の心配まですることになる数値なのだ。

それも終わった。
今日と明日は、近隣の方を招いて「歓のお別れ会」を催す。夕方6時より。
朝7時頃目が覚め、初めて二度寝をしてしまった。気がついたら10時を回る。
お店に行き、冷蔵庫冷凍庫の在庫を調べる。お別れ会に提供する食材の確認だ。

確認作業をしながら、時は12時を回る。
閉店を知らずにいたお客様が何度もドアを開ける。
「三月末をもって閉店いたしました。21年の長きにわたってのご愛顧、誠にありがとうございました。 歓店主」
の大きな張り紙をガラスドアに貼り付けてあるにもかかわらず。

「申し訳ありません。営業は終了しました。」
と張り紙を指さし謝る。
謝りながら目はうるうるしてくる。
数ヶ月前から決断し、この日のあるのを幾度も確認、覚悟してきたのにも関わらず。
時とともに、この寂寥感は募るのだろうか、薄まってくるのだろうか。








営業最終日

連日大盛況!
閉店(廃店?卒店?)が近くなってくると、毎日毎日がすごい!
昼も夜も予定以上のお客様で賑わう。

一昨日は年に数回の宴会をいただける九大声楽部OBの方たちが集まってくれた。
一列に並んだ、私、妻、ホール担当西井に送辞の唄を披露してくれた。
「童は見たり~♪」
いつも感動ものの声量が店中に響くのだが、それが私たちのお店への感謝となると、唄を送られた三人は涙が止まらない。

昨日は故郷鹿児島の同級生が16名集まってくれた。
来られなかった友からも大きな花やさつま揚げが届く。
(こんなにも集まってくれるの!)
これまた感激に浸る。

厨房まで来て、顔を見せて別れの挨拶をしてくれる方、
「新しいお店が決まったら教えてね。」
私もホール担当の西井も、あと数年は仕事をしたいと思い、こぢんまりとしたお店を探してはいるが、この72歳という年齢になると、契約まで至るかは確率は下がる。
それでもこの方たちの声に応えたいと、あらためて思う。

愛されるお店に、少しは答えてこられたのかな・・・・
ありがとうございます。

廃店の手続き、掃除や片付けが終わって、落ち着けるようになったら、これまでの顛末や出来事など、少し書き込んでいきます。




いつかは迎える終わりに1

まだナイショ。
この梅日記を見ている人はどのくらいいるのだろうか。
でもナイショで教えちゃおう。
3月末でお店は終わっちゃうよ。
・・・・
・・・・
いろいろと手を尽くしたつもり・・・
この数ヶ月・・・
でも、もう、思いつく手立ては、終わりかな・・・

詳細はもう少し待ってて・・

従業員には、いや、一緒に終わりを迎えてくれる仲間たちには今週の初めに伝えた。それでもお客様にはまだ言えない・・・。
この葛藤がけっこう辛い・・・

この梅日記で、知る人だけに伝えるよ。
でもまだナイショ。
もう少しだけナイショ。

三月末で歓は営業を終えます。
いつかは迎える終わりを、もう少しで迎えます。